《河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会 都庁前通信》
● 6月20日都教委定例会を傍聴して
● 学校への情報端末の持ち込み 禁止から可へ
――なぜ? 子どもの教育を受ける権利よりも、企業の利益優先か
これまで子どもたちが携帯電話やスマホなどの情報端末を学校に持ち込むことを、都教委は通知(2009年)によって、小学校から高校まで禁止し、特別支援学校では生徒の実態に応じて学校が判断するとしてきた。この通知は文科省の同通知とほぼ同時期に出された。
しかし今後、都教委は2009年通知を廃止し、都立学校(中等教育学校後期課程を含む)では校内への持ち込みや使用許可を校長が判断する、区市町村立学校については、各教委が判断するという方針を示すという。
文科省が今年5月に「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」を設置し、今後、学校における情報端末の取り扱いについて、改めて方針を出す予定というから、それに合わせてのことのよう。
文科省がこれを打ち出したのは、総務省からの強い要請(=教育への介入)があってのことだ。教育は政治からから独立しているという理念も消えてしまった。
方針の変更について都教委は、児童・生徒のスマートフォン利用率が高校で97,3%、小学生でも63,9%にのぼる中、スマートフォン等の持ち込みを一律に禁止するのではなく、学習指導や安全確保のために適切に活用できるようにするためだという。
昨日まで持ち込んで取り上げられたり叱られたりしていたのが、今日からは授業等での活用となる。まず、生徒と保護者に丁寧な説明が必要だろう。
すでに都教委は2018年4月から2年間、白鴎高校及び附属中学校など10校をBYOD(Bring Your Own Device)研究指定校に指定し、「Wi-Fi環境を普通教室に整備し、生徒の所有するICT機器を活用した学習支援等を実施することの有効性を検証し、導入時及び運用における課題の解決の方向性を検討」しているという。
方針が大きく変ったにもかかわらず、2009年通知についての総括を都教委は出さなかった。教育委員からはいつものように一言ずつではあるが、「ゲームをしてしまうなどのマイナスの側面をどうするか」「このことがさらに教員の負担になるのではないかと心配」との発言もあったが、報告は了承された。
情報端末を授業で用いるということは、企業がさらに教育に参入し、ハード面・ソフト面ともに莫大な利益をあげるということだ。
教育を受ける権利の主体である子どもたちは、生の声での対話の機会を奪われ、また、ますます「教師と生徒との人格的接触」(旭川学テ最高裁判決)の機会が奪われ、孤立させられていくのではないか。
集団の中で自己を表現し、行動を選択することを学ぶ場が学校であり、そのかじ取りをするのが教師の役割であるのに、子どもたちからその場を奪うことになるのは必至。教員は、情報端末の操作さえできれば事足りることになり、非正規雇用がますます増えるのではないか、とも危惧する。
一方で、学校カウンセラーやソーシャルワーカーを非正規雇用で配置していることとの矛盾。子どもたちに必要なのは、生活する中でじっくりと話を聞いてくれる、主体的・自律的な教員であり、そうした学校体制である。
子どもの育ちと企業の利益(=政権の利益)を天秤にかけるような愚策・悪策に、腹立たしく悲しくなる。
● 18年度都内公立学校における体罰
――都教委は研修による体罰根絶を掲げるが
2012年度から文科省が始めた体罰実態調査。全公立学校の校長、副校長、教職員、児童・生徒を対象にした調査結果を、都教委が「体罰関連行為のガイドライン」(2013年)に示された体罰分類基準に沿って、「体罰」「不適切な指導、暴言等行き過ぎた指導」「指導の範囲内」に分類した報告である。
調査方法は、教職員は校長による聞き取り、児童・生徒は質問紙及び聞き取りによる。
報告は、
また、集計段階で「指導の範囲内」と認定された149という件数の多さも異常だ。本人や周りが体罰と感じ、心を痛めてこたえたことに対し、一体どのような“基準”で体罰ではない、「指導の範囲内」としたのだろうか。この報告の信ぴょう性自体に疑念を持った。
報告を受けて教育委員から、「体罰ではなく、教育の一環ではないかというケースもあるかもしれない。」との発言があった。児童・生徒、教職員から「体罰」と上がった行為のうちの149人が「指導の範囲内」と認定されたのも、この教育委員のような“基準”が働いた結果なのではないのか。
この教育委員の発言に対し人事部長は、「教員に主体的に考えてもらうよう、(校長に)研修を計画してもらう」と応答した。
体罰等の根絶に向けた今後の取り組みとして都教委は、「7・8月を体罰防止月間とし、・・・校内研修等を全公立学校で実施」「全公立学校が体罰根絶の宣言を行い、ホームページ等で公表」などを挙げる。
しかし、研修や宣言で体罰根絶が不可能なのは明白だ。調査を始めた2012年度と比べれば体罰は減少しているが、それは至って当然のこと。研修や宣言で根絶に向かわなかったから、その後横ばい状態が続いている現実を都教委は直視すべきである。
人事部長の「主体的に考えて」の発言に一言。
都教委は、日常の仕事の中で教員には指示に従うことばかりを求め、主体的に考え行動する機会を奪い続けている。この件だけに主体性を求めても、求められるものではないだろう。
また、教員自身が中学生以降、体罰が横行する部活動を体験した人もかなりの数いるだろうから、暴力の再生産が起き、体罰を教育と勘違いしてしまいがちなのだ。
戦前の軍国主義日本で教育が体罰と親和的だったことも忘れてはいけない。
体罰根絶に向けて必要なのは、仕事の中で同僚と論議でき、自由な発言・助言が行き交う自立的な職場環境である。
教員たちが話し合いによって職場・学校をつくり、子どもたちとも話し合いをもとに教育活動していったなら、暴力=体罰に向かわなくなるだろう。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会』(2019年7月11日)
● 6月20日都教委定例会を傍聴して
● 学校への情報端末の持ち込み 禁止から可へ
――なぜ? 子どもの教育を受ける権利よりも、企業の利益優先か
これまで子どもたちが携帯電話やスマホなどの情報端末を学校に持ち込むことを、都教委は通知(2009年)によって、小学校から高校まで禁止し、特別支援学校では生徒の実態に応じて学校が判断するとしてきた。この通知は文科省の同通知とほぼ同時期に出された。
しかし今後、都教委は2009年通知を廃止し、都立学校(中等教育学校後期課程を含む)では校内への持ち込みや使用許可を校長が判断する、区市町村立学校については、各教委が判断するという方針を示すという。
文科省が今年5月に「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」を設置し、今後、学校における情報端末の取り扱いについて、改めて方針を出す予定というから、それに合わせてのことのよう。
文科省がこれを打ち出したのは、総務省からの強い要請(=教育への介入)があってのことだ。教育は政治からから独立しているという理念も消えてしまった。
方針の変更について都教委は、児童・生徒のスマートフォン利用率が高校で97,3%、小学生でも63,9%にのぼる中、スマートフォン等の持ち込みを一律に禁止するのではなく、学習指導や安全確保のために適切に活用できるようにするためだという。
昨日まで持ち込んで取り上げられたり叱られたりしていたのが、今日からは授業等での活用となる。まず、生徒と保護者に丁寧な説明が必要だろう。
すでに都教委は2018年4月から2年間、白鴎高校及び附属中学校など10校をBYOD(Bring Your Own Device)研究指定校に指定し、「Wi-Fi環境を普通教室に整備し、生徒の所有するICT機器を活用した学習支援等を実施することの有効性を検証し、導入時及び運用における課題の解決の方向性を検討」しているという。
方針が大きく変ったにもかかわらず、2009年通知についての総括を都教委は出さなかった。教育委員からはいつものように一言ずつではあるが、「ゲームをしてしまうなどのマイナスの側面をどうするか」「このことがさらに教員の負担になるのではないかと心配」との発言もあったが、報告は了承された。
情報端末を授業で用いるということは、企業がさらに教育に参入し、ハード面・ソフト面ともに莫大な利益をあげるということだ。
教育を受ける権利の主体である子どもたちは、生の声での対話の機会を奪われ、また、ますます「教師と生徒との人格的接触」(旭川学テ最高裁判決)の機会が奪われ、孤立させられていくのではないか。
集団の中で自己を表現し、行動を選択することを学ぶ場が学校であり、そのかじ取りをするのが教師の役割であるのに、子どもたちからその場を奪うことになるのは必至。教員は、情報端末の操作さえできれば事足りることになり、非正規雇用がますます増えるのではないか、とも危惧する。
一方で、学校カウンセラーやソーシャルワーカーを非正規雇用で配置していることとの矛盾。子どもたちに必要なのは、生活する中でじっくりと話を聞いてくれる、主体的・自律的な教員であり、そうした学校体制である。
子どもの育ちと企業の利益(=政権の利益)を天秤にかけるような愚策・悪策に、腹立たしく悲しくなる。
● 18年度都内公立学校における体罰
――都教委は研修による体罰根絶を掲げるが
2012年度から文科省が始めた体罰実態調査。全公立学校の校長、副校長、教職員、児童・生徒を対象にした調査結果を、都教委が「体罰関連行為のガイドライン」(2013年)に示された体罰分類基準に沿って、「体罰」「不適切な指導、暴言等行き過ぎた指導」「指導の範囲内」に分類した報告である。
調査方法は、教職員は校長による聞き取り、児童・生徒は質問紙及び聞き取りによる。
報告は、
ア.調査に対し、〈体罰があった〉との報告を提出した学校は13,6%。提出しなかった86、4%の学校は体罰がなかった学校とのこと。「体罰がなかった学校が86,4%」というのは本当か。傷害に至らなくても言葉による暴力を「体罰」と認定したか。校長による聞き取り調査の段階で「体罰」から外されたのではないのか。
イ.「体罰を行った者」は23人。調査を始めた2012年度の182人との比較では、1/8に減少しているが、この3年間と比較すると横ばい。「体罰」とは認定されなかったが、「不適切な指導等」をした者が197人。「指導の範囲内」と認定された者が149人。
ウ.体罰を受けた児童・生徒は、23校31人。2017年度は19校23人であり、増加している。
エ.「体罰」の程度が著しい事案(=体罰を行った件数が5件以上、傷害あり、悪質・危険な行為)と認定されたのが、高校で4件、中学校で2件、小学校で1件の、計7件(SNS投稿がきっかけでその後、新聞報道もされた町田総合高校の件も、ここに分類されている)。
また、集計段階で「指導の範囲内」と認定された149という件数の多さも異常だ。本人や周りが体罰と感じ、心を痛めてこたえたことに対し、一体どのような“基準”で体罰ではない、「指導の範囲内」としたのだろうか。この報告の信ぴょう性自体に疑念を持った。
報告を受けて教育委員から、「体罰ではなく、教育の一環ではないかというケースもあるかもしれない。」との発言があった。児童・生徒、教職員から「体罰」と上がった行為のうちの149人が「指導の範囲内」と認定されたのも、この教育委員のような“基準”が働いた結果なのではないのか。
この教育委員の発言に対し人事部長は、「教員に主体的に考えてもらうよう、(校長に)研修を計画してもらう」と応答した。
体罰等の根絶に向けた今後の取り組みとして都教委は、「7・8月を体罰防止月間とし、・・・校内研修等を全公立学校で実施」「全公立学校が体罰根絶の宣言を行い、ホームページ等で公表」などを挙げる。
しかし、研修や宣言で体罰根絶が不可能なのは明白だ。調査を始めた2012年度と比べれば体罰は減少しているが、それは至って当然のこと。研修や宣言で根絶に向かわなかったから、その後横ばい状態が続いている現実を都教委は直視すべきである。
人事部長の「主体的に考えて」の発言に一言。
都教委は、日常の仕事の中で教員には指示に従うことばかりを求め、主体的に考え行動する機会を奪い続けている。この件だけに主体性を求めても、求められるものではないだろう。
また、教員自身が中学生以降、体罰が横行する部活動を体験した人もかなりの数いるだろうから、暴力の再生産が起き、体罰を教育と勘違いしてしまいがちなのだ。
戦前の軍国主義日本で教育が体罰と親和的だったことも忘れてはいけない。
体罰根絶に向けて必要なのは、仕事の中で同僚と論議でき、自由な発言・助言が行き交う自立的な職場環境である。
教員たちが話し合いによって職場・学校をつくり、子どもたちとも話し合いをもとに教育活動していったなら、暴力=体罰に向かわなくなるだろう。
『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会』(2019年7月11日)
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