◆ いじめは法律でなくなるか
~学力偏重主義の転換こそ、
◆ 国会で与野党協議が
2011年10月、滋賀県で中学生がいじめを苦に自殺する事件が勃発した。この事件は社会的にも大きな衝撃を与えることとなった。
昨年末に成立した安倍政権は、政権発足と共に内閣直属の教育再生実行本部を立ち上げ、2月26日、「いじめ問題の対応について」の「提言」を行った。その提言の内容をほぼ踏襲した形で、与党が「いじめの防止等のための対策の推進に関する法律案」(以下「いじめ法案」)を衆議院に提出した。
また、民主党を中心に生活・社民の3党による「いじめ対策推進基本法案」も参議院に提出されている。
このために衆参で与野党の協議が行われている。維新、みんなの党もこの協議に加わり、参議院選挙前には成案が出される見通しとなっている。
◆ 与党自民党案の問題
自民党の法案は、第4条で「児童等は、いじめを行ってはならない」として、児童等への懲戒を規定している。
全体として厳罰主義と警察権力介入による脅しによる防止の方向だ。加害児童生徒を「教室以外の場所で学習させる」など、隔離する指導の方法が示されている。
とくにいじめが犯罪行為にあたる場合には警察との連携・援助を規定し、教育現場への警察権力の介入を求めている。凶悪なケースの場合は、死に至るケースもあり、警察権力導入もやむを得ないとする意見もあるが、とくに学齢児を警察権力に突き出すことは教育の放棄とも言える。
この「法案」には警察権力介入の制限が規定されていないのである。このままでは無制限の介入に繋がりかねない。
また、懲戒は学校教育法11条に規定され、同施行規則26条でその適用条件が示されている。同条では、学齢児童及び生徒に対して懲戒を行うことができないだけでなく、「教育上必要な配慮をしなければならない」と規定されている。
このように、「法案」は、こうした既存の教育法による教育的視点が欠落している。この点、野党案は教育的立場にたち慎重な立場にたっている。
また「法案」は、いじめの調査や通報義務、そして相談態勢などを規定している。そして防止のために保護者や地域との連携も規定している。
野党案では、学校や地域での「いじめ対策委員会」の設置が提案されている。しかし、地域や保護者の学校教育への参加を制度である学校協議会との関係が不明確である。
◆ 道徳教育推進に利用
与党「法案」では、いじめ対策として「全ての教育活動を通じた道徳教育及び体験活動の充実」を規定している。
道徳教育は愛国心教育と結びついたものであり、体験活動は、東京の場合自衛隊への体験を企画する学校も多くなってきている。「いじめ法案」に便乗して道徳教育を進めようとする思惑が見える。
いじめ対策で道徳教育が出てくる根拠は、「法案」の第2条のいじめの「定義」に由来する。
いじめとは「当該児童生徒等と一定の人間関係にある」場合を言うのだという。つまり、「人間関係」であるから、道徳教育で解決できると言う論理だ。
しかし、この定義には大きな問題がある。被差別部落や在日韓国・朝鮮人、そして障がい者など横々な差別によるいじめは、人間関係がなくとも行われることが多い。
また、この定義の「児童生徒が心身の苦痛を感じているものを言う」の規定も問題だ。これでは本人が「苦痛である」と申し出ればいじめとして断定されることになる。誰かを陥れるために利用されるケースも危惧されるからだ。
野党案との協議の中では、この箇所は「客観的にいじめと認められる」と修正される方向になりそうだが、「客観的」をどのように担保するかが課題となる。これまでのように建前論が優先され、いじめを黙殺することになれば法案化意味がなくなってくる。
いじめ「法案」の大きな欠点は、いじめの原因に触れていないことだ。子どものストレスや社会的な格差などが遠因となっていることは確実だ。
全国学力検査の実施案通りに子どもを追い立てる手法は、文字通りいじめを作り出していることになる。この点の改善なくしていじめはなくならないのは当然だ。
『週刊新社会』(2013/6/11)
~学力偏重主義の転換こそ、
永井栄俊(立正大学講師)
◆ 国会で与野党協議が
2011年10月、滋賀県で中学生がいじめを苦に自殺する事件が勃発した。この事件は社会的にも大きな衝撃を与えることとなった。
昨年末に成立した安倍政権は、政権発足と共に内閣直属の教育再生実行本部を立ち上げ、2月26日、「いじめ問題の対応について」の「提言」を行った。その提言の内容をほぼ踏襲した形で、与党が「いじめの防止等のための対策の推進に関する法律案」(以下「いじめ法案」)を衆議院に提出した。
また、民主党を中心に生活・社民の3党による「いじめ対策推進基本法案」も参議院に提出されている。
このために衆参で与野党の協議が行われている。維新、みんなの党もこの協議に加わり、参議院選挙前には成案が出される見通しとなっている。
◆ 与党自民党案の問題
自民党の法案は、第4条で「児童等は、いじめを行ってはならない」として、児童等への懲戒を規定している。
全体として厳罰主義と警察権力介入による脅しによる防止の方向だ。加害児童生徒を「教室以外の場所で学習させる」など、隔離する指導の方法が示されている。
とくにいじめが犯罪行為にあたる場合には警察との連携・援助を規定し、教育現場への警察権力の介入を求めている。凶悪なケースの場合は、死に至るケースもあり、警察権力導入もやむを得ないとする意見もあるが、とくに学齢児を警察権力に突き出すことは教育の放棄とも言える。
この「法案」には警察権力介入の制限が規定されていないのである。このままでは無制限の介入に繋がりかねない。
また、懲戒は学校教育法11条に規定され、同施行規則26条でその適用条件が示されている。同条では、学齢児童及び生徒に対して懲戒を行うことができないだけでなく、「教育上必要な配慮をしなければならない」と規定されている。
このように、「法案」は、こうした既存の教育法による教育的視点が欠落している。この点、野党案は教育的立場にたち慎重な立場にたっている。
また「法案」は、いじめの調査や通報義務、そして相談態勢などを規定している。そして防止のために保護者や地域との連携も規定している。
野党案では、学校や地域での「いじめ対策委員会」の設置が提案されている。しかし、地域や保護者の学校教育への参加を制度である学校協議会との関係が不明確である。
◆ 道徳教育推進に利用
与党「法案」では、いじめ対策として「全ての教育活動を通じた道徳教育及び体験活動の充実」を規定している。
道徳教育は愛国心教育と結びついたものであり、体験活動は、東京の場合自衛隊への体験を企画する学校も多くなってきている。「いじめ法案」に便乗して道徳教育を進めようとする思惑が見える。
いじめ対策で道徳教育が出てくる根拠は、「法案」の第2条のいじめの「定義」に由来する。
いじめとは「当該児童生徒等と一定の人間関係にある」場合を言うのだという。つまり、「人間関係」であるから、道徳教育で解決できると言う論理だ。
しかし、この定義には大きな問題がある。被差別部落や在日韓国・朝鮮人、そして障がい者など横々な差別によるいじめは、人間関係がなくとも行われることが多い。
また、この定義の「児童生徒が心身の苦痛を感じているものを言う」の規定も問題だ。これでは本人が「苦痛である」と申し出ればいじめとして断定されることになる。誰かを陥れるために利用されるケースも危惧されるからだ。
野党案との協議の中では、この箇所は「客観的にいじめと認められる」と修正される方向になりそうだが、「客観的」をどのように担保するかが課題となる。これまでのように建前論が優先され、いじめを黙殺することになれば法案化意味がなくなってくる。
いじめ「法案」の大きな欠点は、いじめの原因に触れていないことだ。子どものストレスや社会的な格差などが遠因となっていることは確実だ。
全国学力検査の実施案通りに子どもを追い立てる手法は、文字通りいじめを作り出していることになる。この点の改善なくしていじめはなくならないのは当然だ。
『週刊新社会』(2013/6/11)
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