《国際人権活動ニュースから》
★ 「シャラップ」国連人権人道大使ついに辞任
シャラップ大使こと上田秀明国連人権人道大使(68歳)は、9月20日付で退任した。
同氏は外務省のキャリア退職後、外務省参与の肩書きで、2008年4月、前述の大使に就任した。国際人権条約の政府報告審査では、同年10月の自由権規約第5回審査から日本政府代表団を引率し、当時「日本の人権は遅々として進んでいる」などと軽口を叩いて苦笑させ、審査に参加したNGOの中で話題になった人物である。
彼を有名にしたのは、今年5月22日、ジュネーブで行われた拷問等禁止条約第2回政府報告審査である。同委員会のモーリシャスのドマー委員から、「日本の刑事捜査は、自白に頼り過ぎでは。中世の名残だ。日本の刑事手続きを国際水準に合わせる必要がある」と指摘され、「日本はこの分野では最も進んだ国のひとつだ」と述べて参加者の苦笑を誘い、「笑うな!なぜ笑うのか!シャラップ!シャラップ!」と声を荒げた。
笑ったのはNGOだけではない。委員も笑った。こうした人々に対し、審査を受けている日本政府の代表者が、理由は何であれ、「てめえ、黙りやがれ」はないだろう。NGO参加者の怒りをかったことは言うまでもない。
その時の様子を撮影した動画やAFP通信記事などが配信され、アルジャジーラまでが放送した。ユーチューブ動画で拡散し、ネット上でも騒ぎとなり、情報は一気に国内をかけ巡った。
普段は国連の人権報道をしない日本のマスコミも珍しくこれを取り上げた。「日本人としてめちゃくちゃ恥ずかしい」、「こんな男をこんな役職につけておくことが問題」と非難が集中した。院内集会で上田大使は外務省から注意を受けたと聞いたが、ついに官の退任、職の辞任に追い込まれた。
上田大使は第一次安倍内閣時に、拉致問題や慰安婦問題に関する「日本の国際的地位を高めるため」として2008年に設置された人権人道大使(それまでは2005年に設置された人権大使)に着任したのだが、それで思い当たることがある。
拷問等禁止条約審査のおよそ1ヶ月前、今年4月30日の社会権規約第3回日本政府報告審査の際に、中高等教育の教育費無償化の問題で朝鮮学校の生徒を無償化の対象から外す理由として、北朝鮮政府の拉致問題に国民が納得しないなどと的外れな答弁をしたり、慰安婦問題では「これは解決ずみの問題なんだ!」と興奮気味に大声を上げたりした。人権の何たるかを知らない、問題の人物だと、これを拝聴した私は危惧の念を抱いていた。
日本の刑事司法はご存知のとおり、代用監獄、長時間取り調べ、長期間勾留、密室取調べ、自白偏重など国際水準から大きく外れたやり方を長年にわたって頑なに続けており、自由権規約委員会や拷問等禁止委員会から度々の是正勧告を受けてきた。まさに刑事司法における被疑者の人権が「中世」状態であることを知るべきなのだ。
ドマー委員がいみじくも言うように「国際水準に合わせる必要」は否定しがたいところであって、法務省はこうした指摘を国際的に受けていることは十分承知している。しかし、外務省出身の上田大使には、そうした認識は欠如しており、あらゆる分野の人権問題についても、政府をかばう意識しかなく、「人権の最も進んだ国」などと反省に乏しい卑俗な表現しか思い当たらない人物なのである。
私は彼の実績を長らく見てきたうえで、重い任務に当てた外務省の責任は大きいと思う。日本国を代表し、その外交を担当するという特命全権大使に最もふさわしくない人物を当てたからである。日本国を代表するとは、日本国民を背負っていることである。暴言を吐いても安倍首相がバックにいるので安心と思ったとしたら勘違いも甚だしい。
第2次安倍内閣になってから、外務省の対応は著しく悪くなった。それまで、国際人権活動日本委員会などの要請では気さくに会ってくれた人権人道課長は、現在の課長に交代後は諸々の口実をつけて会おうとしなくなった。日弁連でも個人通報実現、国内人権機関設置等国際人権定着のための諸施策は遠ざかったとの認識だ。
人権の国際基準についての法執行官への教育が重要だとの勧告が度々なされている。自国の人権水準に無知で、国際的に「最も進んだ国」だなどと云って憚らない人権人道大使にまず人権教育が必要であろう。
問題の発言後4カ月で外務省から彼をお引き取り願った我々庶民の運動は小さいながら、ひとつの前進を勝ち取ったと言える。
★人権人道大使の後任は、佐藤地(くに)外務報道官が兼任するとのことです。
『国際人権活動ニュース 第120号』(2013年11月18日)
http://jwchr59xrea.com/
★ 「シャラップ」国連人権人道大使ついに辞任
議長 鈴木亜英
シャラップ大使こと上田秀明国連人権人道大使(68歳)は、9月20日付で退任した。
同氏は外務省のキャリア退職後、外務省参与の肩書きで、2008年4月、前述の大使に就任した。国際人権条約の政府報告審査では、同年10月の自由権規約第5回審査から日本政府代表団を引率し、当時「日本の人権は遅々として進んでいる」などと軽口を叩いて苦笑させ、審査に参加したNGOの中で話題になった人物である。
彼を有名にしたのは、今年5月22日、ジュネーブで行われた拷問等禁止条約第2回政府報告審査である。同委員会のモーリシャスのドマー委員から、「日本の刑事捜査は、自白に頼り過ぎでは。中世の名残だ。日本の刑事手続きを国際水準に合わせる必要がある」と指摘され、「日本はこの分野では最も進んだ国のひとつだ」と述べて参加者の苦笑を誘い、「笑うな!なぜ笑うのか!シャラップ!シャラップ!」と声を荒げた。
笑ったのはNGOだけではない。委員も笑った。こうした人々に対し、審査を受けている日本政府の代表者が、理由は何であれ、「てめえ、黙りやがれ」はないだろう。NGO参加者の怒りをかったことは言うまでもない。
その時の様子を撮影した動画やAFP通信記事などが配信され、アルジャジーラまでが放送した。ユーチューブ動画で拡散し、ネット上でも騒ぎとなり、情報は一気に国内をかけ巡った。
普段は国連の人権報道をしない日本のマスコミも珍しくこれを取り上げた。「日本人としてめちゃくちゃ恥ずかしい」、「こんな男をこんな役職につけておくことが問題」と非難が集中した。院内集会で上田大使は外務省から注意を受けたと聞いたが、ついに官の退任、職の辞任に追い込まれた。
上田大使は第一次安倍内閣時に、拉致問題や慰安婦問題に関する「日本の国際的地位を高めるため」として2008年に設置された人権人道大使(それまでは2005年に設置された人権大使)に着任したのだが、それで思い当たることがある。
拷問等禁止条約審査のおよそ1ヶ月前、今年4月30日の社会権規約第3回日本政府報告審査の際に、中高等教育の教育費無償化の問題で朝鮮学校の生徒を無償化の対象から外す理由として、北朝鮮政府の拉致問題に国民が納得しないなどと的外れな答弁をしたり、慰安婦問題では「これは解決ずみの問題なんだ!」と興奮気味に大声を上げたりした。人権の何たるかを知らない、問題の人物だと、これを拝聴した私は危惧の念を抱いていた。
日本の刑事司法はご存知のとおり、代用監獄、長時間取り調べ、長期間勾留、密室取調べ、自白偏重など国際水準から大きく外れたやり方を長年にわたって頑なに続けており、自由権規約委員会や拷問等禁止委員会から度々の是正勧告を受けてきた。まさに刑事司法における被疑者の人権が「中世」状態であることを知るべきなのだ。
ドマー委員がいみじくも言うように「国際水準に合わせる必要」は否定しがたいところであって、法務省はこうした指摘を国際的に受けていることは十分承知している。しかし、外務省出身の上田大使には、そうした認識は欠如しており、あらゆる分野の人権問題についても、政府をかばう意識しかなく、「人権の最も進んだ国」などと反省に乏しい卑俗な表現しか思い当たらない人物なのである。
私は彼の実績を長らく見てきたうえで、重い任務に当てた外務省の責任は大きいと思う。日本国を代表し、その外交を担当するという特命全権大使に最もふさわしくない人物を当てたからである。日本国を代表するとは、日本国民を背負っていることである。暴言を吐いても安倍首相がバックにいるので安心と思ったとしたら勘違いも甚だしい。
第2次安倍内閣になってから、外務省の対応は著しく悪くなった。それまで、国際人権活動日本委員会などの要請では気さくに会ってくれた人権人道課長は、現在の課長に交代後は諸々の口実をつけて会おうとしなくなった。日弁連でも個人通報実現、国内人権機関設置等国際人権定着のための諸施策は遠ざかったとの認識だ。
人権の国際基準についての法執行官への教育が重要だとの勧告が度々なされている。自国の人権水準に無知で、国際的に「最も進んだ国」だなどと云って憚らない人権人道大使にまず人権教育が必要であろう。
問題の発言後4カ月で外務省から彼をお引き取り願った我々庶民の運動は小さいながら、ひとつの前進を勝ち取ったと言える。
★人権人道大使の後任は、佐藤地(くに)外務報道官が兼任するとのことです。
『国際人権活動ニュース 第120号』(2013年11月18日)
http://jwchr59xrea.com/
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