☆ 4次訴訟・原告証人尋問(続)11月11日(金)9:55~ 東京地裁103
103号大法廷行われた、今回の本人尋問は、9時55分から始まり、16時30分に終わるという長い一日でした。傍聴支援に来てくださった方々本当にありがとうございました。7人の陳述ですが、紙面の関係があり少しだけしか紹介できないのは残念です。
○ 10・23通達前の特別支援学校の卒業式は、①子供が主体的に動ける。②共感が得やすい。③安全という理由からフロア形式になっていた。特別支援学校で学ぶ子どもたちの様子や使っている車イスの大きさを示して、フロア形式が卒業式の形になっていったことを説明した。
近藤精一が「障害児学校では個別対応を指示して」いるとの都議会答弁をしたので、校長に問い合わせてもらったが、壇上授与が強行された。アラームがなって処置をする最中、副校長が「立て」と安全よりも「起立」を優先させている実態、生徒の車椅子自力走行を禁じるなどの実態が陳述された。不起立は子どもの人権侵害への加担拒否が大きな理由だと語った。(渡辺)
○ 通達前に、3年間クラス替えがなく、生徒自身が考え、徹底した議論をして結論を出す伝統があった都立高校のことが話された。通達後は、職員会議が企画調整会議の決定を伝達する場に変わったことで、教員が指示に従うことばかり考えるようになった。考える経験をもたない教員に、生徒を議論に導く力がなくなってしまった現状が話された。(大能)
○ 両親に「二度と戦争をしてはいけない」と聞いて育った私は、教員になって平和教育に取り組んだ。通達が発令された時、広島のようにつぶされてはいけないと苦悩の末起立した。私が40秒我慢すればいいのだと考えたが、心に背いて行動することで、精神的に深く傷ついた。異動した学校で、担任として生徒と一緒にHRで平和学習をする中で、生徒に語ってきたことと自らの行動が異なってはいけない、些細なことでも戦争に加担することはできないと思い、初めての不起立をした。(小林)
○ 外国籍や帰国子女の多い国際高校の通達前の卒業式では、生徒の滞在国の国旗が並べられ好評であったが、通達後は他校と同じになった。教育は不当な支配に屈してはならず、通達による職務命令を許してはならないとの信念の下、不起立をした。(永原)
○ 国語科の高校教員として作文を指導してきた。自分の考え・思いを的確に表現する力は、自分の生活を見つめて将来を切り開く力になる。作文指導をしている自分が、卒業式で信条に反して起立するのを情けないと思った。自分の思いに向き合い、その通りに書くよう指導したのに、自分の信条に反した行動が不誠実と考えて、教員最後の年に不起立した。(木村)
○ 生まれ育った京都で、根強く残る差別を知り、教員になったら、生徒の面前で恥じることのない教員になって、人権を尊重し、差別やイジメのない社会を実現するための教育をしたいと思った。通達が発出され、本意ではない起立をしていたが、起立斉唱命令が違憲違法との難波判決が出て励まされた。不起立による不利益が怖くてすぐには踏み切れなかったが、2007年4月から起立を拒否している。起立してもしなくても心の痛みはあるが、起立は自分の思想や良心を裏切る精神的苦痛があり、不起立は、周囲からの偏見や不利益を受けるという精神的重圧があると陳述した。(田中)
○ 定時制高校のエピソードを2つ話した。1つは当時60代のまじめで礼儀正しい生徒が、日の丸君が代の話になると、「教育なんて、くそっくらえ」怒りをあらわにした話。戦中の小学校時代は天皇の行事をさぼって教師に殴られ、戦後は墨塗りの教科書になり、教師のいうことが180度変わった。教育なんて信用できないと思いって働いてきたという。どんな時代がきても正しいことは正しいと言える信念のある教員になりたいと思った。もう1つは、通達が発令された時の卒業式前のHR。「私には内心の自由はないが、みんなには内心の自由がある」と説明しても、生徒からは、「一緒に座って」と声があがるだけ。しかし一緒に座ることはできなかった。その結果として、起立したくなかった生徒も立たせることになった。私が起立することは、生徒の起立を強制し、生徒の内心の自由を奪うことだった。再び担任になった時、信念のある教師になりたい、生徒の信頼を裏切ったこと思った事を思いだし、また真蟄に生徒と向き合いたいと思い立つことはできなかった。(Y)
被告代理人による反対尋問の主なものは、学習指導要領に書いてある「国旗・国歌を指導したか」「あなたが不起立した時に、周りに影響を与えたのか」というものでした。不起立が苦渋の決断だった故に、原告は周りに気を配る余裕もなかったのが実態でした。
報告集会で、主尋問に立った澤藤弁護士が「個性的で多様な原告が、気持ちの面で一つになった尋問だった。これを受け止めない裁判官はいないはず」と発言があり、傍聴者より「7人の原告がそれぞれいろいろ思い悩んで不起立に至った、ということが生々しく伝わってきました」との感想が寄せられました。
11月11日も本人尋問の続きです。103号法廷は、大法廷です。ぜひ多くの方の傍聴支援をお願いします。
※ 君が代第4次訴訟第13回口頭弁論は、原告本人尋問の続きです。
11月11日(金)9時55分~16時30分
東京地裁103号法廷 先着順(傍聴抽選なし)東京メトロ霞ヶ関駅A1出ロ徒歩1分
尋問予定順(午前9:55~12:00 井黒・永井)
(午後1:10~4:30 川村・加藤・井上・大高)
『ぽこあぽこ』(2016年10月17日発行)
イタリア語で「ゆっくり・すこしずつ」という意味です。
=10月14日、東京「君が代」裁判第四次訴訟 第12回口頭弁論=
◆ 原告のそれそれの思いを法廷で堂々と陳述
◆ 原告のそれそれの思いを法廷で堂々と陳述
103号大法廷行われた、今回の本人尋問は、9時55分から始まり、16時30分に終わるという長い一日でした。傍聴支援に来てくださった方々本当にありがとうございました。7人の陳述ですが、紙面の関係があり少しだけしか紹介できないのは残念です。
○ 10・23通達前の特別支援学校の卒業式は、①子供が主体的に動ける。②共感が得やすい。③安全という理由からフロア形式になっていた。特別支援学校で学ぶ子どもたちの様子や使っている車イスの大きさを示して、フロア形式が卒業式の形になっていったことを説明した。
近藤精一が「障害児学校では個別対応を指示して」いるとの都議会答弁をしたので、校長に問い合わせてもらったが、壇上授与が強行された。アラームがなって処置をする最中、副校長が「立て」と安全よりも「起立」を優先させている実態、生徒の車椅子自力走行を禁じるなどの実態が陳述された。不起立は子どもの人権侵害への加担拒否が大きな理由だと語った。(渡辺)
○ 通達前に、3年間クラス替えがなく、生徒自身が考え、徹底した議論をして結論を出す伝統があった都立高校のことが話された。通達後は、職員会議が企画調整会議の決定を伝達する場に変わったことで、教員が指示に従うことばかり考えるようになった。考える経験をもたない教員に、生徒を議論に導く力がなくなってしまった現状が話された。(大能)
○ 両親に「二度と戦争をしてはいけない」と聞いて育った私は、教員になって平和教育に取り組んだ。通達が発令された時、広島のようにつぶされてはいけないと苦悩の末起立した。私が40秒我慢すればいいのだと考えたが、心に背いて行動することで、精神的に深く傷ついた。異動した学校で、担任として生徒と一緒にHRで平和学習をする中で、生徒に語ってきたことと自らの行動が異なってはいけない、些細なことでも戦争に加担することはできないと思い、初めての不起立をした。(小林)
○ 外国籍や帰国子女の多い国際高校の通達前の卒業式では、生徒の滞在国の国旗が並べられ好評であったが、通達後は他校と同じになった。教育は不当な支配に屈してはならず、通達による職務命令を許してはならないとの信念の下、不起立をした。(永原)
○ 国語科の高校教員として作文を指導してきた。自分の考え・思いを的確に表現する力は、自分の生活を見つめて将来を切り開く力になる。作文指導をしている自分が、卒業式で信条に反して起立するのを情けないと思った。自分の思いに向き合い、その通りに書くよう指導したのに、自分の信条に反した行動が不誠実と考えて、教員最後の年に不起立した。(木村)
○ 生まれ育った京都で、根強く残る差別を知り、教員になったら、生徒の面前で恥じることのない教員になって、人権を尊重し、差別やイジメのない社会を実現するための教育をしたいと思った。通達が発出され、本意ではない起立をしていたが、起立斉唱命令が違憲違法との難波判決が出て励まされた。不起立による不利益が怖くてすぐには踏み切れなかったが、2007年4月から起立を拒否している。起立してもしなくても心の痛みはあるが、起立は自分の思想や良心を裏切る精神的苦痛があり、不起立は、周囲からの偏見や不利益を受けるという精神的重圧があると陳述した。(田中)
○ 定時制高校のエピソードを2つ話した。1つは当時60代のまじめで礼儀正しい生徒が、日の丸君が代の話になると、「教育なんて、くそっくらえ」怒りをあらわにした話。戦中の小学校時代は天皇の行事をさぼって教師に殴られ、戦後は墨塗りの教科書になり、教師のいうことが180度変わった。教育なんて信用できないと思いって働いてきたという。どんな時代がきても正しいことは正しいと言える信念のある教員になりたいと思った。もう1つは、通達が発令された時の卒業式前のHR。「私には内心の自由はないが、みんなには内心の自由がある」と説明しても、生徒からは、「一緒に座って」と声があがるだけ。しかし一緒に座ることはできなかった。その結果として、起立したくなかった生徒も立たせることになった。私が起立することは、生徒の起立を強制し、生徒の内心の自由を奪うことだった。再び担任になった時、信念のある教師になりたい、生徒の信頼を裏切ったこと思った事を思いだし、また真蟄に生徒と向き合いたいと思い立つことはできなかった。(Y)
被告代理人による反対尋問の主なものは、学習指導要領に書いてある「国旗・国歌を指導したか」「あなたが不起立した時に、周りに影響を与えたのか」というものでした。不起立が苦渋の決断だった故に、原告は周りに気を配る余裕もなかったのが実態でした。
報告集会で、主尋問に立った澤藤弁護士が「個性的で多様な原告が、気持ちの面で一つになった尋問だった。これを受け止めない裁判官はいないはず」と発言があり、傍聴者より「7人の原告がそれぞれいろいろ思い悩んで不起立に至った、ということが生々しく伝わってきました」との感想が寄せられました。
11月11日も本人尋問の続きです。103号法廷は、大法廷です。ぜひ多くの方の傍聴支援をお願いします。
※ 君が代第4次訴訟第13回口頭弁論は、原告本人尋問の続きです。
11月11日(金)9時55分~16時30分
東京地裁103号法廷 先着順(傍聴抽選なし)東京メトロ霞ヶ関駅A1出ロ徒歩1分
尋問予定順(午前9:55~12:00 井黒・永井)
(午後1:10~4:30 川村・加藤・井上・大高)
『ぽこあぽこ』(2016年10月17日発行)
イタリア語で「ゆっくり・すこしずつ」という意味です。
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