=本の紹介=
● 金重明 著『物語 朝鮮王朝の滅亡』(岩波新書 定価820円)
1392年、高麗王朝の武官であった李成桂(太祖)は高麗朝を亡ぼし朝鮮王朝を建て、王位についた。朝鮮朝では、文官と武官の両班がおり、文官が政治上の実権を掌握し、文官内部の抗争が絶えず、国王は常にその統制に苦慮した。
第21代英祖、22代正祖の時代に入り、蕩平策が功を奏し、王権が安定を見た。しかし、正祖死後、いわゆる勢道政治が復活、とくに安東金氏の勢力が強まり、党争が再び、激化。19世紀に入り、西洋列強がアジアに進出し、植民地化の危機にさらされる。
東アジア一帯が侵略の危機にさらされているなかで、大院君は、中華思想から鎖国攘夷政策を推進する。隣国日本は「脱亜入欧」で、欧米帝国主義にならい、朝鮮・台湾・中国への利権確保を狙った。
朝鮮内部にも攘夷政策一本では国権は維持できないとする「開化派」が登場、高宗の妃となった閔妃が夫高宗に影響力を行使し閔氏一族の力が強まり大院君派とが抗争、列強のつけ入る隙を与えた。
また長年の民の生活を顧みない悪政虐政の結果、民衆蜂起が起こった。そのなかで最も知られているのが東学甲午農民戦争で、「輔国安民」をスローガンに、政府軍と果敢にたたかうが、折からの日清両国の軍事的介入の危機に際し、全州和約を締結し、いったん矛を収めた。
当時の伊藤博文首相・陸奥宗光外相は、朝鮮支配を狙い、朝鮮の宗主国であった清国を戦争へと引きずり、日清戦争(1894~95年)を惹き起こす。当事国でない朝鮮半島が戦場になったため、犠牲者は朝鮮人が一番多かった。
戦後、日本は、開化派で親日政権である金弘集内閣を樹立させる。金弘集は、甲午改革を推進し、身分差別の撤廃、男女の一定程度の平等などに取り組む。
が、その年の10月、在朝日本公使三浦梧楼らが陸軍参謀本部首脳と図って王妃閔妃を虐殺、その結果、朝鮮で一斉に義兵闘争が起こった。翌年には金弘集も民衆の怒りをかって殺害された。
日本政府は、容赦なく義兵闘争を武力鎮圧し、1905年の日露戦争の辛勝で、ロシアに朝鮮支配を認めさせ、米国とは桂・タフト協定の密約で朝鮮を事実上の植民地化する。
歴史家であり同時に思想家であった申采浩の言葉を借りれば、「強盗日本」は「わが生存の必要条件をすべて剥奪」し、子どもが生まれれば「『日本語が国語であり、日本の文章が国文である』と教える奴隷養成所-学校に-送らざるをえないのだ」、「朝鮮人が朝鮮の歴史をひもとこうとしても、その書は『檀君は素戔嗚尊の兄弟だ』と偽るありさま」と慷慨し、民衆による革命を次のように訴えた。
「挙国一致の大革命となれば、奸猾残暴なる強盗日本も必ずや駆逐されるはず」(「朝鮮革命宣言」1923年)と力説し、民衆の決起による日本帝国主義(強盗政治)の打倒、特権階級の「破壊」を訴えた。そして、「人類として人類を圧迫することのできない社会として社会を収奪することのできない理想的な朝鮮を建設」しようと呼びかけた。
今日の日本の政治と社会に根強く蔓延る朝鮮差別や「嫌韓」意識など、「慰安婦」問題への認識・対応や、朝鮮学校問題にみられるように、差別政策が継続されている状況をみるにつけ、本書は、コンパクトながらよくまとまった日韓(朝)近代史で、日本人には必読の著である。
『週刊新社会』(2013/12/3)
● 金重明 著『物語 朝鮮王朝の滅亡』(岩波新書 定価820円)
鈴木裕子(女性史研究家)
1392年、高麗王朝の武官であった李成桂(太祖)は高麗朝を亡ぼし朝鮮王朝を建て、王位についた。朝鮮朝では、文官と武官の両班がおり、文官が政治上の実権を掌握し、文官内部の抗争が絶えず、国王は常にその統制に苦慮した。
第21代英祖、22代正祖の時代に入り、蕩平策が功を奏し、王権が安定を見た。しかし、正祖死後、いわゆる勢道政治が復活、とくに安東金氏の勢力が強まり、党争が再び、激化。19世紀に入り、西洋列強がアジアに進出し、植民地化の危機にさらされる。
東アジア一帯が侵略の危機にさらされているなかで、大院君は、中華思想から鎖国攘夷政策を推進する。隣国日本は「脱亜入欧」で、欧米帝国主義にならい、朝鮮・台湾・中国への利権確保を狙った。
朝鮮内部にも攘夷政策一本では国権は維持できないとする「開化派」が登場、高宗の妃となった閔妃が夫高宗に影響力を行使し閔氏一族の力が強まり大院君派とが抗争、列強のつけ入る隙を与えた。
また長年の民の生活を顧みない悪政虐政の結果、民衆蜂起が起こった。そのなかで最も知られているのが東学甲午農民戦争で、「輔国安民」をスローガンに、政府軍と果敢にたたかうが、折からの日清両国の軍事的介入の危機に際し、全州和約を締結し、いったん矛を収めた。
当時の伊藤博文首相・陸奥宗光外相は、朝鮮支配を狙い、朝鮮の宗主国であった清国を戦争へと引きずり、日清戦争(1894~95年)を惹き起こす。当事国でない朝鮮半島が戦場になったため、犠牲者は朝鮮人が一番多かった。
戦後、日本は、開化派で親日政権である金弘集内閣を樹立させる。金弘集は、甲午改革を推進し、身分差別の撤廃、男女の一定程度の平等などに取り組む。
が、その年の10月、在朝日本公使三浦梧楼らが陸軍参謀本部首脳と図って王妃閔妃を虐殺、その結果、朝鮮で一斉に義兵闘争が起こった。翌年には金弘集も民衆の怒りをかって殺害された。
日本政府は、容赦なく義兵闘争を武力鎮圧し、1905年の日露戦争の辛勝で、ロシアに朝鮮支配を認めさせ、米国とは桂・タフト協定の密約で朝鮮を事実上の植民地化する。
歴史家であり同時に思想家であった申采浩の言葉を借りれば、「強盗日本」は「わが生存の必要条件をすべて剥奪」し、子どもが生まれれば「『日本語が国語であり、日本の文章が国文である』と教える奴隷養成所-学校に-送らざるをえないのだ」、「朝鮮人が朝鮮の歴史をひもとこうとしても、その書は『檀君は素戔嗚尊の兄弟だ』と偽るありさま」と慷慨し、民衆による革命を次のように訴えた。
「挙国一致の大革命となれば、奸猾残暴なる強盗日本も必ずや駆逐されるはず」(「朝鮮革命宣言」1923年)と力説し、民衆の決起による日本帝国主義(強盗政治)の打倒、特権階級の「破壊」を訴えた。そして、「人類として人類を圧迫することのできない社会として社会を収奪することのできない理想的な朝鮮を建設」しようと呼びかけた。
今日の日本の政治と社会に根強く蔓延る朝鮮差別や「嫌韓」意識など、「慰安婦」問題への認識・対応や、朝鮮学校問題にみられるように、差別政策が継続されている状況をみるにつけ、本書は、コンパクトながらよくまとまった日韓(朝)近代史で、日本人には必読の著である。
『週刊新社会』(2013/12/3)
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