<板橋高校卒業式> 杜撰きわまりない高裁判決!
☆☆ 偽証を見抜けない高裁判事は辞職せよ! ☆☆
★ 最高裁は国民が素直に理解できる公正な判決を! ★
12月24日に第4回最高裁要請行動を行いました。「要請文」を3回(3週)に分けて掲載。
<板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 第4回最高裁要請行動>
◎ 最高裁宛要請文(2)

「ナナカマド」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
3,表現そのものを処罰することの憲法適合性を判断する必要性
(1)「威力」の不成立ないし判例違反
「田中からの制止」が存在しないなら、「これを無視して呼びかけを行い」もありえず、「威力」の認定が揺らぐことは避けられません。(原判決P34)
そもそも、卒業式開式前の私語も自由な雑然とした待機時間中に、誰から制止されることもなく、マイクを使ったり壇上を占拠したりなどのいかなる有形力を行使することもなく平和的な方法で約30秒ほど行われた呼びかけが「威力業務妨害罪」に問われた先例があるのでしょうか。
刑罰の適用は慎重に行われるべきであり、些細な反法行為などまでを当然の適用対象としないよう解釈適用は謙抑的に行われなければならないとする判例に、明治の「一厘事件」(大審院明治43年10月11日)があります。
(2)「妨害」の不成立 ~保護者に起立を求める校長の「権利」は存在しない
原判決では「本件実施要綱に反する行為を呼びかけた」(原判決P27)ことで「妨害行為」を認定しています。しかし原判決には、校長作成の『実施要綱』の法的効力について以下のような矛盾する記述があります。
「国歌斉唱時には卒業生、保護者を含む全員に起立を求めることを含め、その権限に基づいて作成した本件実施要領」(P27)の存在を妨害罪の成立根拠にする一方で、別な箇所では「そもそも保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係にはなく」(P46~P47)と、校長の権限は保護者に及ばないことを認めているのです。
藤田さんの呼びかけが、校長の権限対象外なら「被害届」に「法的根拠」はないことになり、もし表現の「中味」が「妨害罪」の成立要件ならば、言論の制圧には余程慎重で厳格な審査が必要になります。そもそも公権力の行使に異議を唱える「言論・表現」それ自体が「妨害」として刑事罰の対象になるものでしょうか。まして藤田さんは来賓であって校長の部下ではなかったのです。
校長の権限をあたかも不可侵であるかのように扱うことは、旭川学テ大法廷判決(昭和51年5月21日)に、「教基法第10条1項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用がある」とあるように、重大な判例違反と思われます。
(3)「葛飾ビラ配布事件」との違い ~表現そのものを処罰すること
去る11月30日に上告棄却された「葛飾ビラ配布事件」の判決文には以下の下りがあります。
「本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているのであって…」(P4)
これに対し藤田さんのケースは、「来賓」としての参列ですから「承諾なく」立ち入ったのではなく外形を問われることはありませんし、校長の「管理権」が保護者に及ばないことは原判決も認めている通りですから、呼びかけ行為自体が違反に問われることもありません。
すると、呼びかけの「中味」が、校長の「管理権」を侵害したかが問題となるわけであって、本件はまさしく憲法21条に直接関わって「表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われている」案件そのものとなります。正面から憲法判断をしていただけるようお願いします。
法令が合憲であってもその法令が憲法で保障された権利・自由を侵害する形で適用される場合、その適用行為が違憲であり無効となるとする「適用違憲」の判例もあります。(「強制調停違憲判決」最高裁大法廷昭和35年7月6日)
(3回目に続)
【補足】 杜撰な高裁判決②~保護者に起立を求める校長の「権利」?
言論表現の自由への過剰な弾圧は、2004年~05年に崎坂誠司という一人の公安検事によって引き起こされた。
2004年2月27日 「立川反戦ビラ入れ事件」3人が不当逮捕、75日間拘留。3月19日起訴。
2004年3月11日 「板橋高校卒業式事件」。12月3日在宅起訴。
2004年12月23日 「葛飾政党ビラ配布事件」、不当逮捕23日間拘留。1月11日起訴。
その後、3つのうち2つの事件は、最高裁で「結着」がついている。
「立川反戦ビラ入れ事件」は、一審無罪(2004/12/16)、二審逆転有罪(2005/12/9)を経て、最高裁上告棄却(2008/4/11)有罪確定。(高裁から最高裁まで2年半)
「葛飾政党ビラ配布事件」は、一審無罪(2006/8/28)、二審逆転有罪(2007/12/11)を経て、最高裁上告棄却(2009/11/30)有罪確定。(高裁から最高裁まで2年)
両事件とも、最高裁は、「表現の自由」の憲法適合性を避けて、「手段」の憲法適合性を判断している。該当部分を少し長くなるが、判決文から丸ごと引用する。下線部以外は一字一句全く同一の文章であって、同じ第二小法廷とは言え要するに「コピペ」ある。
★立川反戦ビラ入れ事件の最高裁判決文から(2008/4/11)
確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。
しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁参照)。
本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人らが立ち入った場所は,防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり,自衛隊・防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。
たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは,管理権者の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。
★葛飾政党ビラ配布事件の最高裁判決文から(2009/11/30)
確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,本件ビラのような政党の政治的意見等を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。
しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3206頁参照)。
本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人が立ち入った場所は,本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり,その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。
たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。
今井功第二小法廷裁判長は、こんなコピペの判決文を書くために、「立川反戦ビラ入れ事件」判決から1年半、いったい何の仕事をしていたのであろうか。
長々と引用したが、ここからが本題だ。「板橋高校卒業式事件」でも最高裁第一小法廷は「コピペ」で済ませられるのだろうか。
そうはいかない点の一つ目が、「許可なく立ち入った」である。
先行両事件では、「本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ」で、「人の看守する邸宅」を「管理組合」に置き換えたようが、同様に「卒業式式場に校長の許可なく立ち入った」とはできないことだ。
なぜなら藤田さんは、「来賓」として「許可を得て」卒業式に出席していたのである。「管理者の承諾なく立ち入った」ことで犯罪に問われることはない。
だから、簡単に「本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく」という逃げが打てないのである。
では、他に「その手段が他人の権利を不当に害するようなもの」に該当することがあるのか。
原判決には、「校長の権利」という言葉が出てくる。
これにはどうやら2つの意味が込められていて、①「卒業式を円滑に執り行う職責」(P33)があることと、②「保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係には」(P46~P47)ないことである。
ところが前者は、「職責」=「公権力の行使」であって、憲法上の保障される私人の権利とは対立する概念であり、「校長(個人)の権利」とは言えない。
また後者は、藤田さんが着席を呼びかけた「保護者」には、そもそも校長の権限は及ばないことを裁判官も認めているのであるから、藤田さんの呼びかけで校長の「権利を不当に害する」ことはありえないのである。
校長は、職責として「保護者に起立を求めること」は出来ないし、個人として「藤田さんを制止する」権利もない。
では藤田さんは、校長の一体何を「妨害」したのか。「卒業式を円滑に執り行う職責」だとするなら、それは校長「個人の権利」ではなくまさしく「公権力の行使」だろう。
さて、最高裁は「表現そのものを処罰する」法的根拠を、「北爪らにとって容認できないもの」(P28)だからに求めるのであろうか。いよいよ「お上がやることは不可侵である、個人がつべこべいったら罰するぞ」という戦前の治安立法に逆戻りしてしまうのだろうか。
※「第4回最高裁要請行動 要請書(1)」
http://wind.ap.teacup.com/people/3694.html
☆☆ 偽証を見抜けない高裁判事は辞職せよ! ☆☆
★ 最高裁は国民が素直に理解できる公正な判決を! ★
12月24日に第4回最高裁要請行動を行いました。「要請文」を3回(3週)に分けて掲載。
<板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 第4回最高裁要請行動>
◎ 最高裁宛要請文(2)

「ナナカマド」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
3,表現そのものを処罰することの憲法適合性を判断する必要性
(1)「威力」の不成立ないし判例違反
「田中からの制止」が存在しないなら、「これを無視して呼びかけを行い」もありえず、「威力」の認定が揺らぐことは避けられません。(原判決P34)
そもそも、卒業式開式前の私語も自由な雑然とした待機時間中に、誰から制止されることもなく、マイクを使ったり壇上を占拠したりなどのいかなる有形力を行使することもなく平和的な方法で約30秒ほど行われた呼びかけが「威力業務妨害罪」に問われた先例があるのでしょうか。
刑罰の適用は慎重に行われるべきであり、些細な反法行為などまでを当然の適用対象としないよう解釈適用は謙抑的に行われなければならないとする判例に、明治の「一厘事件」(大審院明治43年10月11日)があります。
(2)「妨害」の不成立 ~保護者に起立を求める校長の「権利」は存在しない
原判決では「本件実施要綱に反する行為を呼びかけた」(原判決P27)ことで「妨害行為」を認定しています。しかし原判決には、校長作成の『実施要綱』の法的効力について以下のような矛盾する記述があります。
「国歌斉唱時には卒業生、保護者を含む全員に起立を求めることを含め、その権限に基づいて作成した本件実施要領」(P27)の存在を妨害罪の成立根拠にする一方で、別な箇所では「そもそも保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係にはなく」(P46~P47)と、校長の権限は保護者に及ばないことを認めているのです。
藤田さんの呼びかけが、校長の権限対象外なら「被害届」に「法的根拠」はないことになり、もし表現の「中味」が「妨害罪」の成立要件ならば、言論の制圧には余程慎重で厳格な審査が必要になります。そもそも公権力の行使に異議を唱える「言論・表現」それ自体が「妨害」として刑事罰の対象になるものでしょうか。まして藤田さんは来賓であって校長の部下ではなかったのです。
校長の権限をあたかも不可侵であるかのように扱うことは、旭川学テ大法廷判決(昭和51年5月21日)に、「教基法第10条1項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用がある」とあるように、重大な判例違反と思われます。
(3)「葛飾ビラ配布事件」との違い ~表現そのものを処罰すること
去る11月30日に上告棄却された「葛飾ビラ配布事件」の判決文には以下の下りがあります。
「本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているのであって…」(P4)
これに対し藤田さんのケースは、「来賓」としての参列ですから「承諾なく」立ち入ったのではなく外形を問われることはありませんし、校長の「管理権」が保護者に及ばないことは原判決も認めている通りですから、呼びかけ行為自体が違反に問われることもありません。
すると、呼びかけの「中味」が、校長の「管理権」を侵害したかが問題となるわけであって、本件はまさしく憲法21条に直接関わって「表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われている」案件そのものとなります。正面から憲法判断をしていただけるようお願いします。
法令が合憲であってもその法令が憲法で保障された権利・自由を侵害する形で適用される場合、その適用行為が違憲であり無効となるとする「適用違憲」の判例もあります。(「強制調停違憲判決」最高裁大法廷昭和35年7月6日)
(3回目に続)
【補足】 杜撰な高裁判決②~保護者に起立を求める校長の「権利」?
言論表現の自由への過剰な弾圧は、2004年~05年に崎坂誠司という一人の公安検事によって引き起こされた。
2004年2月27日 「立川反戦ビラ入れ事件」3人が不当逮捕、75日間拘留。3月19日起訴。
2004年3月11日 「板橋高校卒業式事件」。12月3日在宅起訴。
2004年12月23日 「葛飾政党ビラ配布事件」、不当逮捕23日間拘留。1月11日起訴。
その後、3つのうち2つの事件は、最高裁で「結着」がついている。
「立川反戦ビラ入れ事件」は、一審無罪(2004/12/16)、二審逆転有罪(2005/12/9)を経て、最高裁上告棄却(2008/4/11)有罪確定。(高裁から最高裁まで2年半)
「葛飾政党ビラ配布事件」は、一審無罪(2006/8/28)、二審逆転有罪(2007/12/11)を経て、最高裁上告棄却(2009/11/30)有罪確定。(高裁から最高裁まで2年)
両事件とも、最高裁は、「表現の自由」の憲法適合性を避けて、「手段」の憲法適合性を判断している。該当部分を少し長くなるが、判決文から丸ごと引用する。下線部以外は一字一句全く同一の文章であって、同じ第二小法廷とは言え要するに「コピペ」ある。
★立川反戦ビラ入れ事件の最高裁判決文から(2008/4/11)
確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。
しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁参照)。
本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人らが立ち入った場所は,防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり,自衛隊・防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。
たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは,管理権者の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。
★葛飾政党ビラ配布事件の最高裁判決文から(2009/11/30)
確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,本件ビラのような政党の政治的意見等を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。
しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3206頁参照)。
本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人が立ち入った場所は,本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり,その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。
たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって,本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。
今井功第二小法廷裁判長は、こんなコピペの判決文を書くために、「立川反戦ビラ入れ事件」判決から1年半、いったい何の仕事をしていたのであろうか。
長々と引用したが、ここからが本題だ。「板橋高校卒業式事件」でも最高裁第一小法廷は「コピペ」で済ませられるのだろうか。
そうはいかない点の一つ目が、「許可なく立ち入った」である。
先行両事件では、「本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ」で、「人の看守する邸宅」を「管理組合」に置き換えたようが、同様に「卒業式式場に校長の許可なく立ち入った」とはできないことだ。
なぜなら藤田さんは、「来賓」として「許可を得て」卒業式に出席していたのである。「管理者の承諾なく立ち入った」ことで犯罪に問われることはない。
だから、簡単に「本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく」という逃げが打てないのである。
では、他に「その手段が他人の権利を不当に害するようなもの」に該当することがあるのか。
原判決には、「校長の権利」という言葉が出てくる。
これにはどうやら2つの意味が込められていて、①「卒業式を円滑に執り行う職責」(P33)があることと、②「保護者は…起立・斉唱することを,都教委及び北爪らから,法的にはもとより事実上も,強制されるような関係には」(P46~P47)ないことである。
ところが前者は、「職責」=「公権力の行使」であって、憲法上の保障される私人の権利とは対立する概念であり、「校長(個人)の権利」とは言えない。
また後者は、藤田さんが着席を呼びかけた「保護者」には、そもそも校長の権限は及ばないことを裁判官も認めているのであるから、藤田さんの呼びかけで校長の「権利を不当に害する」ことはありえないのである。
校長は、職責として「保護者に起立を求めること」は出来ないし、個人として「藤田さんを制止する」権利もない。
では藤田さんは、校長の一体何を「妨害」したのか。「卒業式を円滑に執り行う職責」だとするなら、それは校長「個人の権利」ではなくまさしく「公権力の行使」だろう。
さて、最高裁は「表現そのものを処罰する」法的根拠を、「北爪らにとって容認できないもの」(P28)だからに求めるのであろうか。いよいよ「お上がやることは不可侵である、個人がつべこべいったら罰するぞ」という戦前の治安立法に逆戻りしてしまうのだろうか。
※「第4回最高裁要請行動 要請書(1)」
http://wind.ap.teacup.com/people/3694.html
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます