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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

国連自由権規約委員会「最終所見」パラ22"公共の福祉"を読み解く

2014年07月27日 | 板橋高校卒業式
 「板橋高校卒業式事件から『表現の自由』をめざす会(IFE)」は、日本政府の「公共の福祉」概念の使い方の間違いを、「公共の福祉という名の言論弾圧」としてカウンターレポートによって国連に訴えてきた。7月24日に発表された、第6回日本政府審査の『最終所見』パラグラフ22(※注1)は、「公共の福祉」による人権制約の事例として板橋高校卒業式事件を取り上げるのは世界標準から不適切であると、国際社会がはっきり判断してくれたことを示している。
 ◎ 「公共の福祉」を理由とした基本的自由の制約
22 本委員会は、「公共の福祉」の概念はあいまいであり、無制限であるということ、そして、規約(2条、18条、19条)の下で許容されるものを大きく超える制約を許容するかもしれないということへの懸念を改めて表明する。
 本委員会は、以前の最終所見(CCPR/C/JPN/CO/5, para.10)(※注2)を想起し、第18・19条の第3項(※注3)における厳しい条件を満たさない限り、思想、良心、宗教の自由表現の自由の権利に対するいかなる制約をも押し付けることを差し控えるように締約国に要求する。
 [「公共の福祉」をめぐって過去3回、日本政府は説明を求められていた]
 「公共の福祉」概念について、これまで3度重ねて、人権制約に悪用されるのではないかとの懸念が表明され、説明(定義づけるか立法措置を執るか)が求められてきていた。
  ○1993年11月4日 第3回日本政府報告に対する総括所見パラ8
  ○1998年11月19日 第4回日本政府報告に対する総括所見パラ8
  ○2008年10月30日 第5回日本政府報告に対する総括所見パラ10(※注2)
 これに対して、第6回審査において日本政府は、決着をつけるべく?独り善がりの説明を試みたのである。(↓)
 [第6回日本政府報告(2012年4月)](※注4)
 第6回日本政府報告「2.日本国憲法における『公共の福祉』の概念」において、
  ・パラグラフ5には、「公共の福祉」概念についての日本政府の解釈を書き、
  ・パラグラフ6では、「公共の福祉」概念による裁判例として、板橋高校卒業式事件最高裁判決文が引用した。
 しかし、この判例は「公共の福祉」が国際人権基準に外れていることを分かりやすく示すやぶ蛇の逆の例だったのである。日本政府の人権理解はその程度である。
 [IFEのカウンターレポート(2013年7月)(※注5)・追加レポート(2014年6月)(※注6)で反撃]
 私たちは、この無神経な引用に黙っていることが出来なかった。
 『追加レポート』から
 1-(1) List of Issues 政府回答(184~186)の根本的な誤り
 1. 「人権」と「公共の福祉」とは、本来対立概念ではないにも関わらず、政府回答は両者を対立させて、あたかも「人権」を「公共の福祉」の下位概念に位置づけているようである。「人権保障と言えども絶対無制約ではない」(『List of Issues政府回答』para184)というが、「公共の福祉」こそ絶対無制約ではない。 (略)
 3-(2)日本政府は、締約国の義務として、速やかに以下のことを行うべきである。
 23-1. 日本政府は、「公共の福祉を理由に本規約の下で許容されている制約を超える制約が課される事態」(『List of Issues政府回答』para186)が現実に存在する実態を認め、19条3項に存在しない「公共の福祉」概念を、人権制約概念として用いることを止めるべきである。 (略)
 [そして今回の第6回最終所見]
 今回のパラ22の勧告は、今までの「公共の福祉」を定義せよ、ではなく、一歩踏み込んで、もう日本の「公共の福祉」が人権制約概念としては不適切であることがはっきり分かったから、今後締約国として人権制約概念として使うことをお止めなさい、とストレートに言い切っているのである。まさに「板橋の会追加レポート」パラ23-1をそのまま受け容れていただいたことは明白である。
 ということは、第6回審査に向けた日本政府の説明(パラ5,6)が受け容れられなかったことは明白であり、「板橋高校卒業式事件」の裁判事例も国際標準から到底受け容れられないものとして否定されたことがはっきりしたわけである。まさしくこれは「板橋高校卒業式事件」が「公共の福祉という名の言論弾圧」であることが、国際社会に認められたこととと言って良いだろう。
 [18条は君が代裁判に生かせる]
 パラ22は、同列で、規約18条(思想・良心・宗教の自由)と、規約19条(意見及び表現の自由)を取り上げている。
 この2つの条文の第3項には共通性がある、というか基本は全く同じである。
すなわち、基本的人権は人間の固有の尊厳として尊重されるべきであり、それを制約する場合には厳格な基準を要することを明示していることである。
 「板橋高校卒業式事件」は、最高裁も認める「表現の自由」の問題なのであるから、その権利が優先されるべきであることが明示されたが、加えて、その背景にある「10・23通達」に基づく都教委による「君が代強制」も、「思想・良心・宗教の自由」を制約するには厳格な条件を満たさなければ許されないことが示されたというべきである。
 今後の裁判において、パラ22は自動執行力を持つ裁判規範として活用していかなければならない。
 [もしも、個人通報制度が批准されれば]
 今後、わが国でも、個人通報制度が批准される日が来れば、
 (OECD加盟国で批准していないのは日本だけだから、恥ずかしくてまもなく批准するだろうが)
 継続している事案は批准以前のものでも「通報」できると言うことだから、「公共の福祉と表現の自由」の事案と言うことで、「板橋高校卒業式事件」はもちろん、「立川反戦ビラ入れ事件」「葛飾政党ビラ入れ事件」も、国際人権の場で、世界標準によって判断し直してもらえることになるだろう。
 その時が、日本の民主化の第2の夜明けとなる。
 日本の司法は、「公共の福祉」を人権制約概念として用いることは、国際基準から許されないとされた今回の勧告を、肝に銘ずるべきである。
(※注1)
■Restriction of fundamental freedoms on grounds of "public welfare"

22. The Committee reiterates its concern that the concept of "public welfare" is vague and open-ended and may permit restrictions exceeding those permissible under the Covenant (arts. 2, 18 and 19).
The Committee recalls its previous concluding observations (CCPR/C/JPN/CO/5, para. 10) and urges the State party to refrain from imposing any restriction on the rights to freedom of thought, conscience and religion or freedom of expression unless they fulfil the strict conditions set out in paragraph 3 of articles 18 and 19.
(※注2)
■第5回総括所見 2008年10月30日
10.委員会は、「公共の福祉」が、恣意的な人権制約を許容する根拠とはならないという締約国の説明に留意する一方、「公共の福祉」の概念は、曖昧で、制限がなく、規約の下で許容されている制約を超える制約を許容するかもしれないという懸念を再度表明する。(第2条)
 締約国は、「公共の福祉」の概念を定義し、かつ「公共の福祉」を理由に規約で保障された権利に課されるあらゆる制約が規約で許容される制約を超えられないと明記する立法措置をとるべきである。
10. While taking note of the State party’s explanation that “public welfare” cannot be relied on
as a ground for placing arbitrary restrictions on human rights, the Committee reiterates its
concern that the concept of “public welfare” is vague and open-ended and may permit
restrictions exceeding those permissible under the Covenant (art. 2).
The State party should adopt legislation defining the concept of “public welfare” and
specifying that any restrictions placed on the rights guaranteed in the Covenant on
grounds of “public welfare” may not exceed those permissible under the Covenant.
(※注3)
■ 第18条(思想・良心・宗教の自由)
 1 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
 2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
 3 宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。
 4 この規約の締結国は、父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
■ 第19条(意見と表現の自由)
 1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
 2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
 3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
 (a)他の者の権利又は信用の尊重
 (b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護


(※注4)
 ■第6回日本政府報告(2012年4月)
 2.日本国憲法における「公共の福祉」の概念
 5.憲法における「公共の福祉」の概念は、これまでの報告のとおり、各権利毎に、その権利に内在する性質を根拠に判例等により具体化されており、憲法による人権保障及び制限の内容は、実質的には、本規約による人権保障及び制限の内容とほぼ同様のものとなっている。したがって、「公共の福祉」の概念の下、国家権力により恣意的に人権が制限されることはもちろん、同概念を理由に規約で保障された権利に課されるあらゆる制約が規約で許容される制約を超えることはあり得ない。
 6.このような基本的人権相互間の調整を図る内在的な制約である「公共の福祉」についての典型的な判例としては、これまでの報告のとおりであるが、最近のものとして、次の最高裁判所2011年7月7日小法廷判決(要旨)等でこの判断が踏襲されている。
 本件は、高等学校の卒業式において起立して国歌斉唱することに反対していた被告人(元教諭)が、卒業式の行われる体育館で大声で保護者に呼びかけを行い、制止した教頭らを怒号し、その場を喧騒状態に陥らせて卒業式の開会を遅らせた事案であるところ、最高裁判所は「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならないが、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ意見を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。被告人の本件行為は、その場の状況にそぐわない不相当な態様で行われ、静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせたものであって、こうした行為が社会通念上許されず、違法性を欠くものでないことは明らかである。」旨判示して被告人に威力業務妨害罪の成立を認めたものである。
(※注5)カウンターレポート「和文」
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20130722itabashicounterreport.pdf
(※注6)追加レポート「和文」
http://wind.ap.teacup.com/people/html/20140602repliestothelistofissuesjapanese.pdf
IFE(Support Group for the Case of Itabashi High School Graduation Ceremony and "Freedom of Expression")
(板橋高校卒業式事件から「表現の自由」をめざす会 花輪)


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