貧困問題で論議
★ 「ベーシック・インカム」って?
年は明けたものの足元をみると、ちょっと素直には喜べない。世はいまや「格差」というより「貧困」が大問題。そんな中、「ベーシック・インカム(基礎所得、BI)」という考えが近年、論壇をにぎわしている。日本での浸透はまだイマイチなのだが、このBIって一体何?(田原牧)
必要最低限所得を国民全員に
★ 生きることへの給付金
日本が「豊かな国」というのは、もはや過去の話。経済協力開発機構(OECD)諸国の中で、日本は平均所得に満たない人々の比率(相対的貧困率)が米国に次いで二位。国民健康保険の保険料が払えず、医者にかかれないまま、死亡する例すら出始めている。
貧困が広がる中、BIという考えが注目を集めている。この考えは簡潔にまとめると「就労しているか否か、資産状況、性別、年齢などに関係なく、個人に対し、必要最低限度の所得を税金から支給する仕組み」だ。BIに詳しい同志社大学の山森亮准教授(社会政策)はこう補足する。
「日本の年金は一種の保険。保険というのは一般に病気や失業など不幸な事態を想定するので、年金支給年齢以上は生きていることが"不幸"扱い。あるいは生活保護も"申し訳ない"という感情が伴う。そうした感覚を逆転する発想だ」
つまり、人の生命はカネで奪われてはならず「生きている自体が支払われるに値する」という考えだ。
山森氏によると、BIの歴史は十八世紀に活躍した英国出身の社会思想家トマス・ペインにさかのぼり、現実には「欧州の複数の国で採用されている税方式による年金や、所得制限のない児童手当」などの土台になっているという。
ただ、この考えを聞くとぎょっとする向きもあるかもしれない。例えば、日本には「働かざる者食うべからず」という言葉がある。
山森氏は「現実には働かないで食べている資産家はたくさんいる」と苦笑し、こう続ける。「重度の障害者や貧困者は食べちゃいけないと言えるのか。結局、『人間だから』生存する権利はある。それと、賃労働ばかりが労働ではない。家事労働やボランティアなど社会貢献も労働。生産活動と生存権を切り離して考えるべきではないのか」
でも、そんな財源がどこにあるというのだろう。「こうした話には必ず財源の"恫喝"が加えられるが、年金記録の照合や国会の会期延長、防衛予算に対して同じ問いはあまり出されない。それが必要だという合意があれば、財源は調達できる」(山森氏)
実際、別の識者は試算で月八万円という数字をはじいている。ただ、働かなくてもカネをもらえるなら人は働かなくなるのでは?
この問いも杞憂だと山森氏は答える。「その生活水準で満足する人はほとんどいない。逆に支給額は財政状況に規定されるので、あまり低くなると自然に一般の人は働くようになる」「重要なのは『貧者はなまけ者で、それは自己責任』といった言い分がもう通用しない点だ。大阪市で路上で亡くなる人は少なくとも年間数百人以上。大卒男性がワーキングプアになる時代。それを生む構造を直視しなくてはならない」
BIには多様な考えがあるが、興味深いのは労働観や「育児の責任は社会か家庭か」といった家庭観にまで議論が広がる点だ。
慶応大学の金子勝教授(財政学)は全員に現金給付という形は非現実的だろうが、日本では定義のない貧困ラインを定めるのに重要な発想だ」と話す。
「部分的な採用には賛成だ。例えば、母子家庭や医療も受けられない人々には程度にちなんで適用すべきだ。考え自体も、実は突飛ではない。憲法にも『健康で文化的な最低限度の生活を保障(生存権)』(二五条)がある。憲法を空文化させないためにも、BIの理念は生かされるべきだ」
『東京新聞』(2008年1月4日「ニュースの追跡」)
★ 「ベーシック・インカム」って?
年は明けたものの足元をみると、ちょっと素直には喜べない。世はいまや「格差」というより「貧困」が大問題。そんな中、「ベーシック・インカム(基礎所得、BI)」という考えが近年、論壇をにぎわしている。日本での浸透はまだイマイチなのだが、このBIって一体何?(田原牧)
必要最低限所得を国民全員に
★ 生きることへの給付金
日本が「豊かな国」というのは、もはや過去の話。経済協力開発機構(OECD)諸国の中で、日本は平均所得に満たない人々の比率(相対的貧困率)が米国に次いで二位。国民健康保険の保険料が払えず、医者にかかれないまま、死亡する例すら出始めている。
貧困が広がる中、BIという考えが注目を集めている。この考えは簡潔にまとめると「就労しているか否か、資産状況、性別、年齢などに関係なく、個人に対し、必要最低限度の所得を税金から支給する仕組み」だ。BIに詳しい同志社大学の山森亮准教授(社会政策)はこう補足する。
「日本の年金は一種の保険。保険というのは一般に病気や失業など不幸な事態を想定するので、年金支給年齢以上は生きていることが"不幸"扱い。あるいは生活保護も"申し訳ない"という感情が伴う。そうした感覚を逆転する発想だ」
つまり、人の生命はカネで奪われてはならず「生きている自体が支払われるに値する」という考えだ。
山森氏によると、BIの歴史は十八世紀に活躍した英国出身の社会思想家トマス・ペインにさかのぼり、現実には「欧州の複数の国で採用されている税方式による年金や、所得制限のない児童手当」などの土台になっているという。
ただ、この考えを聞くとぎょっとする向きもあるかもしれない。例えば、日本には「働かざる者食うべからず」という言葉がある。
山森氏は「現実には働かないで食べている資産家はたくさんいる」と苦笑し、こう続ける。「重度の障害者や貧困者は食べちゃいけないと言えるのか。結局、『人間だから』生存する権利はある。それと、賃労働ばかりが労働ではない。家事労働やボランティアなど社会貢献も労働。生産活動と生存権を切り離して考えるべきではないのか」
でも、そんな財源がどこにあるというのだろう。「こうした話には必ず財源の"恫喝"が加えられるが、年金記録の照合や国会の会期延長、防衛予算に対して同じ問いはあまり出されない。それが必要だという合意があれば、財源は調達できる」(山森氏)
実際、別の識者は試算で月八万円という数字をはじいている。ただ、働かなくてもカネをもらえるなら人は働かなくなるのでは?
この問いも杞憂だと山森氏は答える。「その生活水準で満足する人はほとんどいない。逆に支給額は財政状況に規定されるので、あまり低くなると自然に一般の人は働くようになる」「重要なのは『貧者はなまけ者で、それは自己責任』といった言い分がもう通用しない点だ。大阪市で路上で亡くなる人は少なくとも年間数百人以上。大卒男性がワーキングプアになる時代。それを生む構造を直視しなくてはならない」
BIには多様な考えがあるが、興味深いのは労働観や「育児の責任は社会か家庭か」といった家庭観にまで議論が広がる点だ。
慶応大学の金子勝教授(財政学)は全員に現金給付という形は非現実的だろうが、日本では定義のない貧困ラインを定めるのに重要な発想だ」と話す。
「部分的な採用には賛成だ。例えば、母子家庭や医療も受けられない人々には程度にちなんで適用すべきだ。考え自体も、実は突飛ではない。憲法にも『健康で文化的な最低限度の生活を保障(生存権)』(二五条)がある。憲法を空文化させないためにも、BIの理念は生かされるべきだ」
『東京新聞』(2008年1月4日「ニュースの追跡」)
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