《8・5教育労働者全国交流集会:福島からの報告》
■ “フクシマは実験場なのか”
サテライト校方式で教育はバラバラに
8月5日に開かれた「ヒロシマとフクシマをつなぐ教育労働者交流集会」での福島県から参加された県立高校教員の方からの報告を編集委員会の責任でまとめました。
■ 「学校の旗は降ろさない」と長距離通勤と過重労働
今日は、被災地の高校の状況と今後の見通しについてお話していきたいと思います。
福島第一原発のある福島県浜通りの高校では、事故翌月の4月9、10日に県教委が生徒たちを集めて、各地区の避難先で説明会を行いました。県内には90校ほどの高校があるんですが、その中で20校ぐらいをピックアップして、そこで高校生を引き受けますよと。居候する形の教室は「サテライト」と名付けられました。
そのまま全員、他校に転校させるという選択もあったんだけれど、それでは浜通り地区の高校がなくなってしまう。だから県教委は「学校の旗は降ろさない」というふれこみでサテライト方式をスタートさせました。
例えば原町高校では、サテライトの高校生活を望んだ生徒の数が、720名のうちだいたい350名ぐらい。残りの5割強はやむを得ず親といっしょに他県に出たり、県内の他校に転校することになりました。
上の地図(2011・9)を見ると矢印が書いてあります。これが原発周辺、30㌔圏内の学校から矢印の地区のいろいろな高校にサテライトという形で教室を間借りして生徒たちを収容した学校です。矢印の数だけ学校があります。
私は福島市に設けられたサテライト校で授業をすることになり、高速道路を使った通勤となりました。往復で毎日175㌔、規定通りの通勤手当しか出せないということで、自腹を切る形を余儀なくされました。
同じ高校ながら5地区に教室をもった学校もあり、転々と回り歩く先生も出てきました。
1学年10人いれば、教室を開設するということだったので、3年生が10人、2年生が3人、1年生が1人、全部で14、5人で教室を開設する学校も出ました。そこに人員を配置する余裕はないので、自習時間が多くなったり、部活動もできない。生徒たちもまともな高校生活が送れない、教員もまともな授業ができない状況でした。
■ 人員不足を理由に生徒に犠牲を強いる
下の地図(2012集約)にあるように12年4月からは矢印の数が減っています。一つの高校から最大5校に開設していたサテライト校をどこか一つに集約するという、乱暴な方法で解決をすることになりました。
これに関しては、声を上げた校長もいるし、われわれ教員の側でもPTAの組織などとも連携して県教委に申し入れなどをしたのですが、県教委としては人員をそれ以上さけない、お金もないと。旗を立てておくと言った割には、腰砕けのような結果で、「サテライト集約」という、まことしやかな言葉を使って生徒たちに最も負担と犠牲を強いることになりました。
■ 生徒たちといっしょに考えて行動を
そんなことで非常に厳しい生活を余儀なくされています。子どもの年齢が低ければ低いほど遠くに避難したいというのが親心です。
経済的に余裕のある方が避難できる。経済的に余裕のない方は線量が高くても残らざるを得ない、あるいは仕事が地元にしかなければ残らざるを得ない状況におかれています。
まだまだどうしていいのかわからない状況が続いています。結局、県教委もどうしていいのかわからない。教育現場だけでなく福島県全体が、大きな実験場のような場にされているような感じがします。
私もどういうふうに打開していけばいいのか手探りの状態です。生徒たちといっしょに考えて行動していくべき場面が今後ますます必要なんだろうなと思う毎日です。福島の地でがんばって参りますので今後ともよろしくお願いします。
『教育労働者全国通信』 第26号 (2012.8.15)
■ “フクシマは実験場なのか”
サテライト校方式で教育はバラバラに
8月5日に開かれた「ヒロシマとフクシマをつなぐ教育労働者交流集会」での福島県から参加された県立高校教員の方からの報告を編集委員会の責任でまとめました。
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■ 「学校の旗は降ろさない」と長距離通勤と過重労働
今日は、被災地の高校の状況と今後の見通しについてお話していきたいと思います。
福島第一原発のある福島県浜通りの高校では、事故翌月の4月9、10日に県教委が生徒たちを集めて、各地区の避難先で説明会を行いました。県内には90校ほどの高校があるんですが、その中で20校ぐらいをピックアップして、そこで高校生を引き受けますよと。居候する形の教室は「サテライト」と名付けられました。
そのまま全員、他校に転校させるという選択もあったんだけれど、それでは浜通り地区の高校がなくなってしまう。だから県教委は「学校の旗は降ろさない」というふれこみでサテライト方式をスタートさせました。
例えば原町高校では、サテライトの高校生活を望んだ生徒の数が、720名のうちだいたい350名ぐらい。残りの5割強はやむを得ず親といっしょに他県に出たり、県内の他校に転校することになりました。
上の地図(2011・9)を見ると矢印が書いてあります。これが原発周辺、30㌔圏内の学校から矢印の地区のいろいろな高校にサテライトという形で教室を間借りして生徒たちを収容した学校です。矢印の数だけ学校があります。
私は福島市に設けられたサテライト校で授業をすることになり、高速道路を使った通勤となりました。往復で毎日175㌔、規定通りの通勤手当しか出せないということで、自腹を切る形を余儀なくされました。
同じ高校ながら5地区に教室をもった学校もあり、転々と回り歩く先生も出てきました。
1学年10人いれば、教室を開設するということだったので、3年生が10人、2年生が3人、1年生が1人、全部で14、5人で教室を開設する学校も出ました。そこに人員を配置する余裕はないので、自習時間が多くなったり、部活動もできない。生徒たちもまともな高校生活が送れない、教員もまともな授業ができない状況でした。
■ 人員不足を理由に生徒に犠牲を強いる
下の地図(2012集約)にあるように12年4月からは矢印の数が減っています。一つの高校から最大5校に開設していたサテライト校をどこか一つに集約するという、乱暴な方法で解決をすることになりました。
これに関しては、声を上げた校長もいるし、われわれ教員の側でもPTAの組織などとも連携して県教委に申し入れなどをしたのですが、県教委としては人員をそれ以上さけない、お金もないと。旗を立てておくと言った割には、腰砕けのような結果で、「サテライト集約」という、まことしやかな言葉を使って生徒たちに最も負担と犠牲を強いることになりました。
■ 生徒たちといっしょに考えて行動を
そんなことで非常に厳しい生活を余儀なくされています。子どもの年齢が低ければ低いほど遠くに避難したいというのが親心です。
経済的に余裕のある方が避難できる。経済的に余裕のない方は線量が高くても残らざるを得ない、あるいは仕事が地元にしかなければ残らざるを得ない状況におかれています。
まだまだどうしていいのかわからない状況が続いています。結局、県教委もどうしていいのかわからない。教育現場だけでなく福島県全体が、大きな実験場のような場にされているような感じがします。
私もどういうふうに打開していけばいいのか手探りの状態です。生徒たちといっしょに考えて行動していくべき場面が今後ますます必要なんだろうなと思う毎日です。福島の地でがんばって参りますので今後ともよろしくお願いします。
『教育労働者全国通信』 第26号 (2012.8.15)
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