ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.565 やっぱり船が好き(戦艦三笠)」に更新しました!

2013-03-25 21:47:07 | まいぺーじ写真館
 O嬢からもらった油壺のホテルでランチ&入浴券を使った帰り、「せっかく出てきたんだから横須賀でも行ってみる?」ということに。「大きなお船があるよ」とちぴ子に言うと、「いくいく!」って大型船に乗れるんじゃないのよ。でっかい軍艦を見てガッカリするのかと思いきや、「おふねだ~!」って一番盛り上がってるちぴ子、残念ながら動きませんけど。生後8日目から島暮らしだと、理屈じゃなくて海モノの引かれちゃうんですかねぇ・・・

 さて、中学の歴史の時間に戦艦三笠の話を聞いた覚えがある。その先生は日本海軍がバルチック艦隊を打ち破った要因を、『石炭の質が違う(日本の方が上質だった)こと』と、『日本の兵隊さんが優秀だったから』と教えてくれた。まぁ、そういう条件もあったと思うし、先生は語らなかった高性能の下瀬火薬の威力がすごかったというのもあるらしい。でもさ、佐世保から出港して対馬沖で待ち構えていた日本艦隊と、黒海から出港してアフリカ喜望峰を回ってインド洋を越えてマラッカ海峡を通って7ヶ月で地球を半周してきたバルチック艦隊と、単純に考えて運用距離の短い日本の方がべらぼうに有利だと思うんだよな。半年以上の航海でみんなヘロヘロになって戦争どころじゃなくなって、「オウチに早く帰りたいよ~!」になってるだろうし、船そのものもだいぶガタがきていたんだと思う。「日本人はすごいんだぞ、気合いであのバルチック艦隊を破ったんだから!」とよくわからない根性論を展開して、今で言うドヤ顔で教えてくれたあの先生の姿を今でも忘れない・・・

《戦艦三笠》
○就航 1902年(明治35年)3月
○排水量 15,140トン
○全長 131.7m
○最大速度 18ノット
○乗員 860人
○主な戦果 日露戦争で連合艦隊旗艦を務め、バルチック艦隊を打ち破る


【もっと手の届かないような場所に係留されているのかと思ったら、公園の一角のオブジェと化している三笠・・・】


【入場料は500円だけど児童公園からガッツリ見るだけなら無料、ちゃんと補修されているみたいで「さ○びあ丸」や「かめ○あ丸」よりキレイかも・・・】


【14門ある15センチ副砲は測的係から知らされた距離に仰角を合わせて(ちぴらが操作している所に距離の目盛りがある)ぶっ放すという完璧なる手動システム・・・】


【艦橋から前部30.5センチ主砲を望む・・・】


【東郷元帥と秋山中佐らが並んで立っている有名な絵の場所で測距儀を覗く・・・】


【「これで大丈夫なのかな?」と心配になるくらいシンプルな操舵室。もし、ここが破壊されても艦後部の舵に操舵輪を直接くっつけて、手動でも操船が出来るらしい・・・】


【公園の柵とかマンションを入れずに写真を撮れる場所を探したけど、とうとう見つかりませんでした・・・】
コメント
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