箆柄暦『箆柄日記(ぴらつかにっき)』

沖縄へ流れ着いた箆柄暦のぴらつかさんの
沖縄的日常とか、イベントの感想とかを綴る。
戻れぬ 旅だよ 人生は…。

技術の成熟

2008-05-31 10:34:31 | 箆柄日記
毎日コミュニケーションズの小林さんから、『フォントブック[和文基本書体編](+DESIGNING)』が届く。昔、有志で制作した仮名書体が掲載されたための献本。その他にも、自分がデジタイズやパッケージ化で係わった書体もけっこう掲載されていた。


その分厚さと書体数の充実に驚く。基本的には、明朝系・ゴシック系の内容で、デザイン系の書体は含まれていない。それだけで、これだけのボリュームのフォントブックが出来るようになったのかと思うと、隔世の感がある。

私が文字に係わっていた頃は、DTPでは絶対に使えないだろうと思われていたような書体も随分とデジタイズが進み、すでに「写研の書体が使えないからDTPは使い物にならない」などと言われていた頃の状況を遙かに凌駕し、写植時代とは違う次元を作り出したと思う。

その切っ鰍ッとなった時期に、フォント開発の現場に居合わせ、少なからずその扉をこじ開ける仕事に係わったという自負もある。そこから学んだことは、伝統や文化といわれている物が、実はそれほど確固たるものではなくて、意外と技術革新の度に再定義されて来たものだということだった。

新しい技術が登場したとき、必ず前世代の技術に固執する人がいる。その原因は、前世代の技術の熟成にある。活版や写真植字という技術よりも、コンピュータでのデザインの方が、あきらかに自由度は高い。しかし、入れ物が完全に入れ替わったとき、中身の熟成度が前世代を越えるには時間がかかる。

どこまで熟成すれば自分にとって美味しいかは人それぞれの仕事の内容に係わってくることで、すぐに移行できた人もいれば、仕事の性質上移行できなかった人もいただろう。

しかし、その判断を適切に下すには、熟成した過去の技術がどのように熟成していて、自分の仕事に何故必要かを理解していなければならない。そこを見誤った人達は、業界(写植屋さんとか製版屋さんとか)自体が亡くなるというドラスティックな変化の中で職を失っていった。

この本を見ていて、これだけの書体の中から、どの書体を選んでどんな作品に仕上げていくのか、本当に難しくなったと思った。活版の時代からDTP以降のアイディアで生まれた書体までが横一線に並んでいる。

今、この世界に入る若い人にとっては、時系列もなくこの状況がそこにあるんだよなぁ。改革開放で、ロックンロールから、パンク、テクノ、レゲエ、ハウスあらゆる音楽が一度に流入した某国の音楽状況に似たものを感じる。

でも、これでいいのだと思う。DTPも30年近い歴史を刻んだのだから、これくらいのことになっても当然だと思う。というか、もうこの技術もとっくに前世代の技術なんだよな…。

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