登川誠仁さんの告別式へ行く。場所は、沖縄市のサンレー中部紫雲閣。快晴の道をスクーターに乗って駆けつけた。
さすがにたくさんの人が参列されていた。その中に、唄者、ミュージシャンの割合が多いこと。大城美佐子さん、古謝美佐子さん、堀内加奈子さん、よなは徹さん、パーシャの皆さん、林次郎さん、ベンビー、数え上げればきりがない。山里勇吉さんの姿もあった。
ほかにも、音響関係、舞台関係、音楽媒体、プロモーター、レコード会社、県外からも多くの関係者の皆さんが、お別れに集まっていた。これだけ集まれば、夜の中の町あたりは、セイグワーさんの思い出話で盛り上がることだろう。編集に戻らなければならないのが残念。
ちょっとだけ寄り道して帰ることにした。
ずいぶん昔、ビセカツさんに、セイグワーさんのお家へ連れて行ってもらったことがある。体を壊されてから住んでいた新しいお家ではなく、その前に住んでいた古いコンクリート瓦家だ。母屋は決して立派とはいえない建物だったが、塀の外まで緑が一杯で、花が咲いていた。
ビセカツさんの話では、自分の家の前だけではなく、周り一帯の聡怩キるのが日課で、花木の手入れもしていたそうだ。あまりに熱心なので、家の近くの通りに「花誠仁通り」の名前が付いたそうだ。その花誠仁通りと古いお家に寄り道をしようと思ったのだ。
しばらく前に、いちどお家を探したことがあるのだが、暗くなりかけで見つけきれなかった。こんどもなかなか見つけることができなかった。偶然「花誠仁通り」の表示を見つけて写真を撮っていると、向かいの家の人が出てきた。登川さんのお家を探していると話すと、すぐそこだと教えてくれた。
見つからないはずだ。引っ越されたあとは、家の周りの緑は取り払われ、記憶の中の風景とは全く変わっていたのだ。考えてみれば、もう引っ越して何年も経つはずなので、もとのままのはずがない。
結局この家を訪ねたときは、セイグワーさんにお会いすることはできなかった。後に、新しい方の家にお邪魔してインタビューさせたいただいたのだけれど、あの古いお家で、お話を聞いてみたかった。そんな心残りからの、寄り道だった。
追記:
サンレー中部紫雲閣は、駐車場奥の崖にHOLLYWOOD看板を連想させるサンレーの看板、向かいには自動車ホテル池武当、なかなか趣深い葬儀場でした。
さすがにたくさんの人が参列されていた。その中に、唄者、ミュージシャンの割合が多いこと。大城美佐子さん、古謝美佐子さん、堀内加奈子さん、よなは徹さん、パーシャの皆さん、林次郎さん、ベンビー、数え上げればきりがない。山里勇吉さんの姿もあった。
ほかにも、音響関係、舞台関係、音楽媒体、プロモーター、レコード会社、県外からも多くの関係者の皆さんが、お別れに集まっていた。これだけ集まれば、夜の中の町あたりは、セイグワーさんの思い出話で盛り上がることだろう。編集に戻らなければならないのが残念。
ちょっとだけ寄り道して帰ることにした。
ずいぶん昔、ビセカツさんに、セイグワーさんのお家へ連れて行ってもらったことがある。体を壊されてから住んでいた新しいお家ではなく、その前に住んでいた古いコンクリート瓦家だ。母屋は決して立派とはいえない建物だったが、塀の外まで緑が一杯で、花が咲いていた。
ビセカツさんの話では、自分の家の前だけではなく、周り一帯の聡怩キるのが日課で、花木の手入れもしていたそうだ。あまりに熱心なので、家の近くの通りに「花誠仁通り」の名前が付いたそうだ。その花誠仁通りと古いお家に寄り道をしようと思ったのだ。
しばらく前に、いちどお家を探したことがあるのだが、暗くなりかけで見つけきれなかった。こんどもなかなか見つけることができなかった。偶然「花誠仁通り」の表示を見つけて写真を撮っていると、向かいの家の人が出てきた。登川さんのお家を探していると話すと、すぐそこだと教えてくれた。
見つからないはずだ。引っ越されたあとは、家の周りの緑は取り払われ、記憶の中の風景とは全く変わっていたのだ。考えてみれば、もう引っ越して何年も経つはずなので、もとのままのはずがない。
結局この家を訪ねたときは、セイグワーさんにお会いすることはできなかった。後に、新しい方の家にお邪魔してインタビューさせたいただいたのだけれど、あの古いお家で、お話を聞いてみたかった。そんな心残りからの、寄り道だった。
追記:
サンレー中部紫雲閣は、駐車場奥の崖にHOLLYWOOD看板を連想させるサンレーの看板、向かいには自動車ホテル池武当、なかなか趣深い葬儀場でした。