どいつも こいつも よく喋る
流川のセリフなんだけど
みんな いろいろと喋りたいんだろうね~
今回は車で行かずに
公共交通機関なるものを使って行った
チラシに 駐車場が狭いと書いてあるし
渋滞もすると書いてあったからだ
でも
行ってみたら渋滞はないし
駐車場もあいていた
それで JRに乗って蒲郡まで行ったけど
ところがだ ・・・・
席に座ったら 前に座ってた おばあさん
途中 20秒ほどの沈黙があっただけで
蒲郡につくまで
ずっと 隣に座っていた お仲間のおばあさんに
話を続けていた
ちなみに
その 隣に座っていたおばあさんは
たまに 言葉を返す程度だった
これには まいってしまった
こちらが 聞かないでおこうとしても
おばあさんのマシンガントークが
耳に入ってくる
もう やめてくれぇ~
なんて 言いたくなるが
がまんして 蒲郡まで耐えた
蒲郡から形原温泉までは臨時のバスに乗った
帰りのバスの中でも
後ろの席に座っていた老夫婦の奥様が
旦那にマシンガントークだった
そういえば
あじさいの里で休憩して座っているときも
隣のベンチに座っているカップルのおばさんが
相手のおっさんに
ビール片手に マシンガントークしていた
ほとんど 職場の愚痴だったけど
あじさい見に来て 愚痴のマシンガントークって
なにかねぇ~ と思ってしまう
しかし 受け答えている おっさんは
軽妙なフットワークで
受け流して返事している
それには 脱帽だ
そんなこんながあって
女性のコミュニケーション能力の高さには
かなわないなぁ~ と思う
淡いポケが いい感じ
今回 カメラは D750 レンズを何にしようかと考えたが
やはり カールツァイスのレンズにした
いつもの 50mmと100mmのマクロプラナー
それで 50mmで全部撮ってしまった
結局は 50mmのマクロプラナーなんです ・・・・
このレンズで撮ると 現像の時
ほとんど露出補正しか調整しない
たまに ハイキー調したいときは その他の設定を調整するのだが
気持ち悪いかもしれないが
モニターを見て うっとりとすることが多い
でも 半分以上 ピントの位置が思ったところよりずれているので
ため息もけっこう多い
嫁さんが 鳥を撮りたいと言い出した
たぶん 前にメジロをイイ感じで撮れたので
火がついたんだろうと思う
300mm の望遠では小さく写るので
もっと大きな望遠が欲しいと
2000mm のコンデジを買ってしまった
ニコンのクールピクス P950というもの
それで 鳥の撮影の本や YOUTUBE なんか見て
一生懸命勉強している
今日 鳥を撮りに行きたいと言うので
私も付き合って行くことにした
彼女は 買ったばかりの P950を持って やる気まんまん
私は ニコンの D500にタムロンの100-400mmの望遠レンズ
D500 動きものに強いと聞いているので どんなかなと思って持って行った
フォーカスモードを AF-C
AFエリアモードを 3D-トラッキング
にして 撮ってみたら けっこう被写体を追い続ける
それで 連写で写していたら
今日一日で 600枚ほど撮ってしまった
でも 選んで残ったのは35枚
まぁ そんなものなのかなぁ
夜中に思い込んで文章を書くと とんでもないことを書いているときがある
思い込んでハイになり 暴走気味になってしまうのだ
それと 同じようなことが現像しているとき なることがある
お~ いいじゃん
こうしたら もっとよくなるかも ・・・・
って ハイな状態になり
盛りに盛って コテコテのものを作ってしまう
しばらくたって見てみると
なんじゃこれは
と いうことが多々ある
ほどほどの盛りで 現像するって
けっこう難しいものがある
前に カールツァイスの Milvus 100mm F2 M ZF.2
を買ったと書いたが
その勢いで Makro-Planar T* 50mm F2 ZF.2 を買ってしまった
これも 以前所有していたことがある
今日は これを使って 白鳥庭園に行ってみた
昨日 ネットで Makro-Planar T* 50mm のこと書いてあるものを読んでいたら
写真は50mmに始まり 50mmに終わると書いてあった
因みに 私の嫁さんは
アイスクリームはバニラに始まり バニラに終わると言っている
まぁ バニラはどうでもいいけど ・・・・
そのことは 以前にも目にしたことがある
それで 以前はMakro-Planar T* 50mm で撮ったけど
実感を感じられず思ったような ふぉと が撮れないので
手放してしまった
今回は 再びのチャレンジ
ズームレンズ ばかりで撮っていると
短焦点のレンズは 撮りにくい
それに マニュアルフォーカスときている
90mmマクロとか 100mmマクロは被写体に接近できるけど
Makro-Planar T* 50mm 思ったほど近づけない
100mmほど エモーショナルな ふぉと が撮れないのに気がついた
そうなると 構図を考え 絞りを考え
フォーカスの位置を考えなければならない
会話で言うと
綺麗だったとか すごくよかったとか びっくりしたとか
感情的な言葉を交わすのではなく
何か 何気ない生活の一コマを切り取り
絵にするような感覚
それを 洗練して表現する
そんな感じで シャツターを切る
と いう感じかなぁ
そんなことを考えながら 撮っていた
だから 映え狙いの ふぉと から遠ざかっていくけど
見るから観るに変えて
考えて フォーカスリングを回して 撮っていくのが
静かな喜びとなって
どんどん 危険な領域に入っていく