最初の予測から行くと今頃は選挙カーが行き交う頃 だったかもしれませんが結局は来年初め?
さてさてどうなりますかね
いつも僕はここで政策のこと 文句ばっかり言ってますが本当は政治に傾倒してるわけじゃない
もっと関心持たなくちゃ の方なんですよね
いろいろ教えてください
ところでそんな僕がいつも感心すること
それは勧誘のお電話です
だいたいいつもその時期にはかかってくるKM党のお誘いお電話
正直言って好きではありません
すごい親しい人が言ってくるなら少し時間を割いて聞いてもいいんですが
なにせ忘れたような関係の人からかかってくるんでちょっと ・・ その・・・迷惑。
でも感心はするのです
だってその関係でわざわざ来るのか?
ということをいつも経験させてもらうから
なぜそこまでできるんだろう
それはひとえに 信仰心 に他ならないんだろう
S学会はすんごい力を持ってるんだね
というか信仰している人のパワーがすごいんだろう
比較してはいけないけどかつて間違った指導者のためにとんでもない事件を起こしたそれがあったくらいだから
さて我が家は昔から 仏教
東本願寺 大谷派で結構緩い
緩いという言い方はピンと来ないかもしれないけど
あまり締め付けないというか自由というか 仏教の中でも・・・ゆるい(笑)
これは僕の個人的感想で実際にはいろいろな見方があると思います
物心がついたときから うちには仏壇があり おじいさんおばあさんが主にその面倒を見てた
また母親の実家はまさしく仏壇屋であり それも本来は仏壇の漆塗りを本業とする家でありました
当然というかそこのおばあさんはもう強烈な仏教徒でいつも涙を流して
ありがたいありがたい と繰り返す人でした
おじいさんはもうちょっとドライだったな(笑)
さてそんな状況だったにもかかわらず 実は僕の父親は洗礼を受けた隠れキリシタンだった(んなばかな)
母親の親に対しての隠れキリシタンね
当然母親の親は娘の嫁ぎ先にそこそこの仏壇はあるし向こうの親も信心深い仏教徒だと見た
・・ならその息子(マイファーザー)のことも信じてたわけだ
で結婚式は普通の神前なんだけんど 親父はどうしても教会で挙げたかった
んで どうしたか^^
神前でやるにはやった がふたありだけで 教会へも行ったそうだ
で 二人だけでキリスト様に愛を誓ったとさ
このことは結局最後まで秘密のまま 母の父母にはばれないままだったようだ
母親もよく従ったと思う
父の父はしっかりした仏教徒であったけど息子の信仰には口出ししなかった
親父は言ってた
「あんなに頑固親父だったけど 不思議と俺の教会行きに関して文句を言ったことがなかった」 と
おじいさんは認めていたようだ
その親父も教会へ通い続けることはしなかった
やがて自宅の仏壇を大切にするようになり 自分の父親 母親
そして不幸なことに 自分の二男の位牌にお参りするようになった
僕の意識の中では仏教徒以外の何物でもない
18だった僕も弟を亡くしたその日から 毎日毎日お経を唱えた
弟のために唱えたと思っていたけど 実は多分僕自身のために唱えていたんだと あとから感じた
もう悲しくて仕方なくて何かしないではおれなかった
だから一年間毎日続けた
その時は お経を唱えることしかできなかった
それもできなければ 僕は何をしたんだろう
これが宗教なんじゃないか と思う
もう苦しくって分からなくってすがるものがない・・・
そんな時に目の前にあったから お経を唱えていたんだと思う
さてその一年間で覚えたものをだんだん忘れかけてた
親父のためにまた少しずつ思い出さなくてはいかんのだろう
今度は僕のためじゃない
親父のために そして家のために
さてさてどうなりますかね
いつも僕はここで政策のこと 文句ばっかり言ってますが本当は政治に傾倒してるわけじゃない
もっと関心持たなくちゃ の方なんですよね
いろいろ教えてください
ところでそんな僕がいつも感心すること
それは勧誘のお電話です
だいたいいつもその時期にはかかってくるKM党のお誘いお電話
正直言って好きではありません
すごい親しい人が言ってくるなら少し時間を割いて聞いてもいいんですが
なにせ忘れたような関係の人からかかってくるんでちょっと ・・ その・・・迷惑。
でも感心はするのです
だってその関係でわざわざ来るのか?
ということをいつも経験させてもらうから
なぜそこまでできるんだろう
それはひとえに 信仰心 に他ならないんだろう
S学会はすんごい力を持ってるんだね
というか信仰している人のパワーがすごいんだろう
比較してはいけないけどかつて間違った指導者のためにとんでもない事件を起こしたそれがあったくらいだから
さて我が家は昔から 仏教
東本願寺 大谷派で結構緩い
緩いという言い方はピンと来ないかもしれないけど
あまり締め付けないというか自由というか 仏教の中でも・・・ゆるい(笑)
これは僕の個人的感想で実際にはいろいろな見方があると思います
物心がついたときから うちには仏壇があり おじいさんおばあさんが主にその面倒を見てた
また母親の実家はまさしく仏壇屋であり それも本来は仏壇の漆塗りを本業とする家でありました
当然というかそこのおばあさんはもう強烈な仏教徒でいつも涙を流して
ありがたいありがたい と繰り返す人でした
おじいさんはもうちょっとドライだったな(笑)
さてそんな状況だったにもかかわらず 実は僕の父親は洗礼を受けた隠れキリシタンだった(んなばかな)
母親の親に対しての隠れキリシタンね
当然母親の親は娘の嫁ぎ先にそこそこの仏壇はあるし向こうの親も信心深い仏教徒だと見た
・・ならその息子(マイファーザー)のことも信じてたわけだ
で結婚式は普通の神前なんだけんど 親父はどうしても教会で挙げたかった
んで どうしたか^^
神前でやるにはやった がふたありだけで 教会へも行ったそうだ
で 二人だけでキリスト様に愛を誓ったとさ
このことは結局最後まで秘密のまま 母の父母にはばれないままだったようだ
母親もよく従ったと思う
父の父はしっかりした仏教徒であったけど息子の信仰には口出ししなかった
親父は言ってた
「あんなに頑固親父だったけど 不思議と俺の教会行きに関して文句を言ったことがなかった」 と
おじいさんは認めていたようだ
その親父も教会へ通い続けることはしなかった
やがて自宅の仏壇を大切にするようになり 自分の父親 母親
そして不幸なことに 自分の二男の位牌にお参りするようになった
僕の意識の中では仏教徒以外の何物でもない
18だった僕も弟を亡くしたその日から 毎日毎日お経を唱えた
弟のために唱えたと思っていたけど 実は多分僕自身のために唱えていたんだと あとから感じた
もう悲しくて仕方なくて何かしないではおれなかった
だから一年間毎日続けた
その時は お経を唱えることしかできなかった
それもできなければ 僕は何をしたんだろう
これが宗教なんじゃないか と思う
もう苦しくって分からなくってすがるものがない・・・
そんな時に目の前にあったから お経を唱えていたんだと思う
さてその一年間で覚えたものをだんだん忘れかけてた
親父のためにまた少しずつ思い出さなくてはいかんのだろう
今度は僕のためじゃない
親父のために そして家のために