【 運命の神癒治療をなすには 先ず神に祈れ 】
私は本稿の始めに、「 今日展開する人間の運命 」 というものは
過去のその人の念の集積の現実化として、‘ 既に 前日以前に決定している ’という
多数の事実を挙げた。
そして それに続いて‘ 今日の運命が 今日の祈りによって改善された ’と
認(みと)むべき四つの実例を挙げたのであります。
( 1 ) 吾々の今日の運命は 既に決定している。
( 2 ) しかし今日の運命は 今日の祈りによって改善される。
この二つの一見(いっけん)相反(あいはん)するが如き事実は
如何(いか)に解釈すべきものであろうか。どちらも正しい。
吾々の 「 今日の運命 」 は 既に吾々自身の過去の念の自然的展開、
自然的自叙作用、自然的自浄作用として高まれる波が、平(たいら)かに
復(ふく)する自然の作用として決定しているのであります。・・・・・
‘ 因果は 迷いの世界では 破ることが出来ない。 ’・・・・・
しかしながら、吾々が一(ひと)たび 神に祈りますときには、
神は光でありますから、光の前に闇の世界の法則は消え、
その迷界(めいかい)の法則は 超越されてしまうのであります。・・・・・
では 誌友よ、運命の神癒治療(メタフィジカルヒーリング)をなすには
先(ま)ず 神に祈れ。
今日の運命は 吾らにとっては 既に決定したものでありますが、
‘ 神の前には 尚 修正の余地のあるものであります。 ’
況(いわ)んや 吾ら自身にとっても 未決定なる吾々の将来の運命が、
吾々の祈りによる神への結び附きによって 如何に改善良化されるかは
論(ろん)を俟(ま)たないのであります。
そして吾らの祈る対象たる神は、すべての闇を照らす光なる神、
すべての罪を許し給う無限絶対の愛の神でなければなりません。
生長の家の神様は そういう愛の神の一顕現として お現(あら)われに
なったのであります。
『 新編 生命の實相 』 ( 第 6 巻 「 生命円相の真理 」 147頁~150頁 )
谷 口 雅 春 先 生