人間は神の最高の自己実現であるのである。
したがって、私たちの生命(いのち)の最も深いところには、
神の心が宿っているのである。
わが “ 深層の心 ” は “ 神の心 ” であり、神の “ 愛 ” と
“ 真理 ” と “ 叡智 ” に満たされているのである。
私たちの 表面の心は、肉体の意識に属するものであるがゆえに、
時々、外界の出来事に振り廻されて迷うことや、悩むことがあるけれども、
わが “ 深層の心 ” は 神に属するものであるから、
何事にも現象界の出来事に引っかからず、悩むことなく、苦しむことなき、
常住歓喜の心なのである。
私たちは 現象界の混乱で、 “ 表面の心 ” が悩むときには、
その “ 表面の心 ” にまどわされることなく、
わが深層より “ 神の心 ” を出してきて必ず、平和と調和と
愛と智慧とに満ちた心に恢復(かいふく)するのである。
私は、今、自己の生命の奥底に “ 神聖なるもの ” “ 神の心 ” が
宿っていることを知ったのである。そして、自己の深層より
その叡智と歓(よろこ)びと、愛と、調和と、繁栄と、幸福と、健康とを
呼び出してきて、日常生活にそれを具体化するのである。
わが深層に宿っている神の神聖性は、毎日神想観を実修することによって、
日ごとに一層ハッキリと外部に表現してくるのである。
かくして、私は 常に神の叡智に導かれるがゆえに、事物に対して
常に正しき判断ができ、適当なる計画と行動とがそれに伴(ともな)い、
決して失敗することはないのである。
常に毎日一層、われわれ家族の深層に宿る “ 神性 ” は
表面にあらわれて具体化するのであるから、
われわれ家族の健康は 日毎に増進し、肉体は逞(たくま)しく美しくなり、
事業は繁栄し、国家社会のために大いに貢献することができるのである。
わが事業は、神の導きと、神の愛とによって繁栄するのであるから、
私たちは その収益を決して “ 私(わたくし) ” しないのである。
それを神からの恵みの預(あずか)りものとして、国家、社会、
人類のために貢献するためには惜しみなく、それを出資するのである。
この世界には、 「 与えよ、さらば与えられん 」 の法則が行なわれて
いるのであるから、私たち一家の繁栄は、私たちが国家、社会、人類のために
貢献し得た程度にしたがって、その程度が増加してくるのである。
わたしたちは、 “ 神の子 ” であり、深層において神が宿っているのであり、
これを 国家 社会 人類のために貢献するたび毎(ごと)に、
一層完全にわたしたちは神の自己実現を完成するのである。
そして釈尊が 三十二相(そう)と八十種類の好(よ)き相貌(そうぼう)を
備えたまうように、毎日一層よき人相(にんそう)が輝き出(い)で、
人から懐(なつ)かしがられ、愛され、喜ばれ、わが顔を見るだけでも、
見る人の魂に愛と平和が訪れるようになるのである。
『 真理の吟唱 』 ( 179頁 ~ 182頁 ) 谷 口 雅 春 先 生