☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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宗教の経世(けいせい)済民(さいみん)化について

2016-02-06 22:35:20 | 今日の光明法語

宗教の目的は 個人に於いては 生老病死の四苦を解放することにある。
従って ひとり山に籠(こも)るか 一室に静坐して、天地の理を悟り、
永遠不死の生命を覚り、不動の境地に遊ぶことによって 生なく死なく病なく
老なき自己の実体を体得することは、或る段階に於いては必要な過程である。

これは キリストも釈迦も その修行の過程に於いて 通過せられた道である。
釈迦の六年苦行と菩提樹下(ぼだいじゅげ)の静坐はそれであり、
イエスのヨルダン河畔の断食(だんじき)静坐もそれである。

しかし、釈尊(しゃくそん)は 「 天上天下唯我独尊 」の自覚を得られたる後に、
そしてイエスは 「 われ神の子 」 の自覚を得られたる後に、
ただ静坐、瞑想のみを事とせられたかというと決して そうではなかったのである。

釈尊もイエスも政治家には ならなかったが、済世(さいせい)
救民(きゅうみん)のために 夜も日も その生命を献げつくされたのである。

みずから悟りたるのみを以て満足することなく、他を救おうとの
信仰の行動化こそ菩薩(ぼさつ)の行(ぎょう)なのである。

おのれ未(いま)だ 渡(わた)らざるさきに 他を彼岸にわたす行動を
実践するものこそ、真に自他一体の生命の真理を自覚した者だということが
できるのである。

釈尊もイエスも みずから政治家にならなかったが 国王に度々(たびたび)道を
説いておられるし、イエスに至っては 政治家を激しく批判していると見える
ふしがある。そのためにイエスは磔(はりつ)けに なったのであるが、
そのためにイエスは真に救世主となり得たのである。

生長の家の雑誌を 「 ‘ 自分の ’ 精神修養のために読んでいるが、
経済のことや、政治のことがでてくるので 一寸 幻滅を感じた 」 と
いうような投書をいただくことがあるが、

このような人は 声聞(しょうもん)の弟子であって 先人の声を聞いて
‘ 自分が ’ 少しばかりよくなったら好いのであって精神的利己主義に
過ぎないのである。

経済とは 経世(けいせい)済民(さいみん)であり、民を済(すく)うことで
あるから 真に宗教家のつくすべきことであり、政治は マツリゴト であり、
現実界を神界の理想と真釣(まつ)り合せて、現実界に神界の ウツシ を
実現するための道であるから、真の宗教家の道であらねばならぬのである。


『 人生を見つめて 』 ( 64頁~66頁 ) 谷 口 雅 春 先 生