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2016/2/24(水) 午後 0:12
信仰に無関係なオフィスである国際本部周辺でで自転車競技に興ずることは
別に異論はありません。頭でっかちなお宅の様な人達はたまには汗でもカクことは
良い事でしょう。ただ環境問題を考えれば、マラソンか競歩の方が格段に良い事は
言うまでもありません。金属を加工する事は環境に負荷がかかるからです。
さて、最近になって驚くべき話が伝わってきました。信仰の中心とされる総本山の
境内地内において、自転車競技をするという事なのです。大鳥居をスタートして
東雲台を登りさらに奥津城までを走破するという事のように聞きました。
驚きと悲しみの後に、ふつふつとして怒りがこみ上げてきました。
私は総本山建立前よりこの地に住み込み、谷口雅春先生の全身全霊をかけた最後の
お仕事に奉仕してきました。全国から多くの信徒の方たちが熱き思いで参集し、
献労して落慶の日を迎え、そしてその後も多くの人達が魂の故郷として
「 谷口雅春先生 !! 只今 帰ってまいりました・・・ 」
と大鳥居を通過するところで涙を流し、谷口家奥津城においては尊師の願いを
継承する力を与えたまえと祈り、次の行動する力を蓄えて各地に帰っていく事が
幹部信徒の第一とすべき心得として何十年という歳月続けられていたのがこの総本山です。
奥津城のある場所は、谷口雅春先生が輝子先生と共に数回山を登り定められた場所であり、
最後に上られた時は険しい山道を車いすの脇にかご担ぎの様なパイプを通して四隅を
荒地・松下・岩本・菅原という当時若き職員が担ぎ登ったことを思い出します。
奥津城を囲む山々に七つの燈台を計画されたのもこの時でした。
私がこの総本山を下山してはや10年の年月が流れました。
総裁が三代目となり、信じがたき様々な変化がありました。歴史と伝統はまるで
忘れ去られるように原宿の本部は解体され、龍宮住吉本宮には幽の幽なる神である神を
新たに勧請するという考えられない不可能な事を行ったと吹聴する教団となり、
そのことあるたびに私は谷口雅春先生はどのように御感じになられるのかを祈り聞きました。
「 ならぬものはならぬ 」
この短いお言葉が心に響いてきました。私が長崎の地を離れないのは、
常に谷口雅春先生のお心を忘れてはならないという強い思いがあるからです。
どうか心ある本部職員、そして幹部信徒のみなさん。
谷口雅春先生は晩年このようにお話になられていました。
「 私に会いたいと念願する信徒の人は、直接会えない時があってもこの総本山こそが
私自身の想いを現したものであると知って下さい 」
総本山をヒルクライムなどという自転車競技の場所にするようなことを拒否していただきたい。
服装を整え、感謝のコトバを唱えながら奥津城へ上って下さい。徒歩でも走ってでも結構。
奥津城には心を整えて参拝していただきたく谷口家の一員として強く要望します。