自民党
政策トピックスから
https://www.jimin.jp/s/policy/policy_topics/national_security_act/125163.html#global
第6回 集団的自衛権はじめ安全保障法制の整備について(古庄元海上幕僚長)
【講演全文】
○冒頭挨拶及び中谷事務総長からの与党協議会の報告(岩屋事務局長)ただ今から、 自由民主党安全保障法制整備推進本部の第6回目の会合を開かせていただきたいと思います。冒頭、石破本部長からご挨拶を頂戴します。
(石破本部長)
与党協議会が始まっております。どのようなやり取りがあったか、そしてそれを踏まえて、我が党としてどのように対応するか。きちんと認識を共有してやっていきたいと思います。もう一つは、安全保障法制整備、何も集団的自衛権だけにかかわる話ではありません。私たちが色んな議論をしても、実際にオペレーションをするのは現場の自衛官たちであります。現場の自衛官たちが迷うようなことはしてはいけない。そしてまた、責任を現場の自衛官に押し付けるようなことは如何なものか。我々はきちんとした法制の整備をし、そして責任は政治が取るということでなければ、文民統制ということはできません。今日は古庄元海上幕僚長に、短い時間で恐縮ですが、講演をしていただきます。私たちが長官あるいは副長官のときに、海上自衛隊のトップとして、現場の気持ちを何よりもわかってやってきたのが古庄海上幕僚長だと思っています。 ということで、お話しを聞きたいと思います。よろしくお願いします。
○古庄元海上幕僚長からの説明
(古庄元海上幕僚長)
古庄でございます。安全保障法制整備推進本部にお招きいただきまして、大変光栄に存じます。私もリタイアしまして9年経ちました。その間、大変な世界の動きがございまして、今年に入って特にいろんなことが起こっている。その中で、 こういう席で、現場の話をさせていただけるということで、非常にうれしく思います私、船乗りですので、座って話をすることが、なかなかできない。それで、やはり水平線が見えないと、なんとなくこう、気持ちが悪いので、申し訳ありませんが立ったまんまで。座って話しをするとですね、なんとなく負けたよーな気がします。
非常に時間の制約を受けておりますので、本題に入りたいと思いますが、先日の、安倍総理の記者会見、私、実は九州でテレビで拝見しておりまして、本当に同じ敗戦国でありながら、西ドイツには約60年遅れましたけれども、 1950年にアデナウアーさんがやられた再軍備とNATOに入るという時の演説に匹敵するんではないかなというような印象を受けました。 というのは、今日、記者さん随分いらっしゃいますけれども、幹事社さんの質問にしてもですね、もう格段の差があったと思います。 というのは、米国のパウエル統参議長が、現役の時に我々と会って、何を言ってたかと言うと、ユニホームを着ているフロントで戦している者がいくら勝ってもですね、 メディアに勝たなかったら、今の戦は勝ったと言えない、 としょっちゅう言ってました。それを本当に実現していた統参議長のお一人だと、私は一緒に仕事をしているときに、そう感じていました。
この間の総理の会見は、 まさにそういう意味からすれば非常に意義があったと私は感じております。ですから、 いくら、 いろんなことが言われていましても、私は、公約を掲げて選挙をやられて、国会でいろんなことを決めていかれる。今、 どこかの党が民意、民意と言って、なんかミンミンゼミみたいなこと言ってますけれども、本当に大事な、外交防衛については、もう公約で皆さんに任せると、私はそう思っています。ですから、 国民にいちいちですね、了解を取るなんていうことを国会の皆さん方の席では言わなくても、私は問題ないと。それが民主主義であり、よく言われる立憲国家と思っております。そういう中で、現場でずっとやってきまして、 36年間、海上自衛隊で勤務をしてきましたけれども、その間、情勢がもう大変な変化をしております。幹事長がいつも言われますように、パワーバランスの変化が、 しかも、その変化度合は、 このところ数年間、もう本当に想像を絶するものがある。今日一枚お配りさせていただいておりますけれども、そこに、簡単に書いておきました。どれくらいの変化があるのかということで、 この2、 3年を見て、アメリカの政権が変わった後からだけを見ても、アメリカのいろんな軍事董の問題ですとか、 いろんなことがありまして、アメリカは内向きになったのではないのか、 アジアにリバランスを、 こう言っている。 実は、米海軍のトップ、 グリナート作戦部長が河野海上幕僚長の公式の招待で、 日本に今、来ておられます。昨日、夕食で会いました。このリバランスというのは、海軍はどう考えているのかという話を、彼と話をしました。彼は明確にこう言いました。メディアで言っているように、部隊の編成ですとか、あるいは装備の問題だとか、 いろんなことを言っているけれども、もう一つ大事なことがある。それは、人の問題だ。グリナート大将は、 日本勤務が数回あります。だから、 日本のこともよく知ってくれている。そういう中で、人の問題が、 リバランスの中で大変重要だということを言って、今の第7艦隊にしろ、あるいは太平洋艦隊にしろ、 日本を理解している人事をやっている。 こういうことまではっきり言ってですね、 日本とのあり方が非常に大事だという風な話がありましたので、 ご紹介します。 その一方で中国が、海洋権益を拡大すると言って、 いろんな問題を起こしている。それからもう一つは、サイバー、核、テロ、海賊、 いろんな問題が、 いたるところでこのところ起こり続けている。こういう中で、 いろんな話をする時に、今の法体系でいいじゃないかと、なんで問題あるんだと70年間平和で来たじゃないかというグループの方々がいらっしゃいます。それは、 この現状の変化を、 まあ認識はしていると思いますけれども、 いや憲法を守っていれば、平和は維持できるんだ。そういうことを必ず言いますね。もし、変えると巻き込まれ論を出す。今日の日経の世論調査が一面に出ていました。これって、 どういう質問で世 査やったの、 どういう人にやったの、 この取り方で、大きく違うというのは皆さんご存じのとおりですね。ですから、最初、申し上げましたように、皆さん方に、国民は任せたわけですから、 いちいちですね、世論調査に云々される必要は、私はまったくないと思っています。そこで、お祈り、諸国民の正義を信頼してるような、 まあ、どこかで聞いたようなことが書いてありますけれども、例えばですね、 こんな話があったんです。後で体験談の中で話しますが、今、海自は海賊対処法でソマリア沖に出てます。
その出す時に私は、ある党の女性議員から、 「古庄さんね、海上自衛隊が出るから、海賊が出るんだ」。いや、こういうと皆さん笑うわけですね、だけど、現実として、そういうことを言われるんですよ。で、私は、 「お言葉ですが、では、 ご自宅に鍵はかけてませんね。当然かけてませんね。鍵をかけているから、泥棒が入る。あなた今言われたのは、それとまったく同じですよ。刑法の何条か知りませんけど、お札のようにね、玄関に貼ってますか」。勝負ありと私は自分ではそう思ったんですが、だけど、本当になんか残念な気持ちがその時いたしました。今回ですね、総理が言われたように、 いやダメだ、現状ではダメなんだと。領土、領海、国民の安全、今のままでは守れないんだ。だから、 どうするかということで、総理は問うたわけですね。その中に、 グレーゾーン、あるいはシームレス、そして集団的自衛権ですとか、集団安全保障ですとか、 いろんなことが問題になっております。 これが、毎日報道されながら、今日があるわけですね現役として、ではどうだったかということを、ちょっと今から体験談を話し します。
65年に防大に入りまして、やはり、税金泥棒と、こう横須賀で言われました。それから、子供を持って、子供が学校に行き始めて、私は家族を連れて転勤してまいりました。子供は3人いるんですけれども、 29回転勤しました。その中で、ある地域でですね、今日学校の先生にこんな事を言われた。お父さんの仕事、何だ。みんなが聞かれて言う、 うちの子もそれなりに言った。官舎があるわけですから、そのエリアにはたくさん同じクラスにも自衛官の子供がいた。 しかし先生から人殺しと言われた。お父さん人殺しやってるの、 と。小学生ですからね、びっくりして私は学校に 行って
それはないんじゃないかという話を担任としたこともありました。それから、色んな、 ここに書いてありませんけども、アメリカとの共同訓練、たくさんやっています。そうすると、やはり日本は、参加国と同じシナリオで一緒にはできないんです。そうしたら、アメリカは日本とだけ組んで別の訓練をやりましょうと。他の国とは一緒にはできないとかいろんな場面で、制約がたくさんある中で、米海軍も配慮しながら、訓練をやってくれた。そうしてるうちにですね、そこに書いてあります91年、ペルシャ湾がありました。ご存じのとおりですね、 日本国政府は、 1 30億ドル。今、円に換算すると、約1兆5千億くらいになるんじゃないかと当時も言われました。海上自衛隊の年間予算よりも多額です。だけど、 ご存じのとおり、あれが終わった時に、アメリカの大手の新聞に感謝の公告が一面に出た。そこに日の丸はありませんでした。地元で売られているTシャツ、連合軍として行動した国の国旗がTシャツの裏に全部あるけれども、 日本の国旗はなかった。 1 30億ドル出したにもかかわらず。それで安全になって、だけどあそこが、大変な日本のシーレーンに当たる。 じゃあ、残された機雷を排除する必要があるんじゃないか。 ということで、政府が決心して、国が決定して、掃海部隊が出て行くわけですね。
その時の根拠は、今だったら、いろんな事がまた言われていたんだろうなと思います。今から23年前、 いろんな大義が出されたことは、幹事長もよくご存じのとおりですけども、結局ですね、 自衛隊法の中の危険物の除去というとこで、根拠法規が求められました。 ところが、私も、機雷掃海のプロなんです。専門がそうなんです。我々にとってはですね、対機雷戦、機雷を除去するというのは、 これは、 ウォーフェアですね、 マインウォーフェア、作戦なんです。それで、落合指揮官以下511名がオペレーション、作戦として、我々はいろんな事前の準備をして出かけて行った。そして、当然ですね、機雷に触雷して機雷が爆発して、掃海艇の一隻位は、たぶん帰って来ないんじゃないかということまで、我々は想定して、アメリカみたいにボディーバックありませんから、 こちらは、棺桶になる材料の白木を40人分積ませた。安全と言われましたが一、我々にとっては、番の危険な作戦で出向いた。幸いにして、本当に一人の犠牲者も出すことなく、約1 00日間終わって帰って来た。これが、私の最初の実任務です。
その時に、海上幕僚監部の広報室長という配置でしたので、記者クラブの皆さんとずっとつきあっておりまして、 4月24日に閣議決定になった夜、海上幕僚長の記者会見やることになりまして、防衛省の記者クラブではやらない、海幕の応接室でやるということでやりました。 これまた大変な騒動で、今日ぐらいのカメラが入っていました。一つだけ覚えていて、悔しかったのは、 「海幕長、 この部隊は、 日本を出港したら、次どこに入るんだ」という質問ですね。 それだけは海幕長に、 「どんなことがあっても答えられません。海幕長は知らないんじゃないのか。 と言われようが、なんと言われようが、それは答えられません。作戦上の機密で、答えられませんので頑張ってください」と言ったのを覚えています。当時の海幕長はそれで通して、ある新聞社のいつも警戒していた記者さんが、前に座り、海幕長を下からにらみ上げてですね、 「次の寄港地も分からないような作戦計画で、行動できる軍隊なんてあるか」という質問を次々にするんですね。海幕長は、 じっと我慢してですね、 「申し上げられません」と頑張った。 その次に大きなことはですね、能登沖の不審船事案です。この時に実は、初めて海上警備行動が発令になります。私は、その時は船に乗っていなくて、陸に、六本木で勤務しておりました。この時我々が一番心配したのは、警告射撃をできるか。警告射撃をして不審船が止まって、止まったら船舶調査をしなければいけないですね。今まで、そんな訓練をしてないんです。ですから、 どういう隊員を何名組んでそこに充てるか。武器は何を持って行かせるのか。何かあったらどうするんだ。 ということをですね、本当に海上自衛隊の中で、最大の問題だったんですね。その時の指揮官で行ってたのが、私の2つ後の海幕長の吉川さん。彼が、洋上の指揮官で、やはり訓練やってない、船が止まったら検査隊出さなくちゃいけない、それがやっぱり一番現場でも悩んだと。そうしてるうちに、射撃で絶対船に当てるなと、 こういうオーダーがあり、対応していた。覚えておられますか。投網を打って、投網で捕まえた方がいいのではないかと書かれたんですよね。当時、一緒に苦労していただいた先生が頷いてくれております。そんなことがですね、平気で言われておりました。 99年この時です。現場がいかに苦労していたか。本来ならば、警告射撃して止まらなければ、次は撃てばいいんです。 これが国際法なんですね。そうすればなんの問題もない。だけど、 それができない。だから、大変悩んだんです。結果的に船に逃げられちゃう。それで海上自衛隊がボロクソに書かれた。入港してきた指揮官の顔を見て、つらい思いが未だに忘れられません。その次にですね、そこに書いてあるのがインド洋。これが、 9. 11の後ですね。小泉総理が一週間後に、 日本で今できることは何だと。よく決められた、 7項目くらい。私は、横須賀の護衛艦隊司令官という配置で、海上自衛隊が出るしかないだろうなと、大体分かりました。時の長官から、内々で準備にかかれと言われました。佐世保と横須賀と呉と、それから舞鶴、大湊それぞれに2年間の線表を引いて、 3隻ずつ船を継続して出すためには、 こうしなければいけないという作業を始めました。隊員は、本当に昼夜を舎かず、意気揚々と準備に入っていました。いつでもどこからでもオーダーがあれば、出られますという状況になりました。世界は、有志連合、 コアリションと言って、手を上げて、アメリカの指揮ではないですよ。みんなで集まって、対テロ洋上からの世界に出て行くのをそこで防ぐ‘作戦を開始するわけですね。当然そこに我々も入る、 こういう計画でいました。 そしたら、時の自民党のある方が、私の線表を見て、イージス艦が出るとはどういうことだと。イージス艦が出たら、アメリカとね、情報共有が常時できて、 これが集団的自衛権に抵触すると一言、言われたんですね。たったその一言。私は、 「いや、お言葉ですが、イージス艦をご覧になったことありますか。ぜひ横須賀で準備しますからご覧になってください。アメリカとどういうことをしなければ、情報が共有できないかということを現場で見ていただければ、分かると思います」。 こう申し上げたんですね。そんなものを見る必要はないといってお出でいただけませんでした。結局、佐世保で準備していたイージス艦がダメになりました。その時のイージス艦艦長以下の顔を見た時、私は、指揮官として本当に申し訳ないなと。式典を終えイージス艦に乗って、乗員に話をちょっとしました。だけど、イージス艦はダメだと言われると同時に、もう一つの大きな流れは、有志連合に入ることはできないと話がどんどん変わる。危険海域に入れない。危険海域というエリアはどこですか。何センチのクリアランスを取ったら危険海域じゃないんですかと。馬鹿な話ですよね。海は全部繋がっているんですよ。荒川の水がテムズ河の水に撃がっているんですよ。現場をまったく理解していない。だから、アメリカと一緒の共同作戦はダメだった。
以下 略…
続きは 自民党のホームページ
安全保障法制整備推進本部で
ご覧下さい。
某新記者の
生意気なこと…
タメ口なのですか?
信じられません!
当時の自民党は やはり強かった。
一言 集団的自衛権に抵触すると
海外派遣はさせなかったのですから…
安保法制関連法案では 海の場合
海上保安庁と海上自衛隊は
別々の案てことですよね…
今の自民党では
審議は無理なような気がします…
やはり 廃案にした方が
いいのかもしれません…。
政策トピックスから
https://www.jimin.jp/s/policy/policy_topics/national_security_act/125163.html#global
第6回 集団的自衛権はじめ安全保障法制の整備について(古庄元海上幕僚長)
【講演全文】
○冒頭挨拶及び中谷事務総長からの与党協議会の報告(岩屋事務局長)ただ今から、 自由民主党安全保障法制整備推進本部の第6回目の会合を開かせていただきたいと思います。冒頭、石破本部長からご挨拶を頂戴します。
(石破本部長)
与党協議会が始まっております。どのようなやり取りがあったか、そしてそれを踏まえて、我が党としてどのように対応するか。きちんと認識を共有してやっていきたいと思います。もう一つは、安全保障法制整備、何も集団的自衛権だけにかかわる話ではありません。私たちが色んな議論をしても、実際にオペレーションをするのは現場の自衛官たちであります。現場の自衛官たちが迷うようなことはしてはいけない。そしてまた、責任を現場の自衛官に押し付けるようなことは如何なものか。我々はきちんとした法制の整備をし、そして責任は政治が取るということでなければ、文民統制ということはできません。今日は古庄元海上幕僚長に、短い時間で恐縮ですが、講演をしていただきます。私たちが長官あるいは副長官のときに、海上自衛隊のトップとして、現場の気持ちを何よりもわかってやってきたのが古庄海上幕僚長だと思っています。 ということで、お話しを聞きたいと思います。よろしくお願いします。
○古庄元海上幕僚長からの説明
(古庄元海上幕僚長)
古庄でございます。安全保障法制整備推進本部にお招きいただきまして、大変光栄に存じます。私もリタイアしまして9年経ちました。その間、大変な世界の動きがございまして、今年に入って特にいろんなことが起こっている。その中で、 こういう席で、現場の話をさせていただけるということで、非常にうれしく思います私、船乗りですので、座って話をすることが、なかなかできない。それで、やはり水平線が見えないと、なんとなくこう、気持ちが悪いので、申し訳ありませんが立ったまんまで。座って話しをするとですね、なんとなく負けたよーな気がします。
非常に時間の制約を受けておりますので、本題に入りたいと思いますが、先日の、安倍総理の記者会見、私、実は九州でテレビで拝見しておりまして、本当に同じ敗戦国でありながら、西ドイツには約60年遅れましたけれども、 1950年にアデナウアーさんがやられた再軍備とNATOに入るという時の演説に匹敵するんではないかなというような印象を受けました。 というのは、今日、記者さん随分いらっしゃいますけれども、幹事社さんの質問にしてもですね、もう格段の差があったと思います。 というのは、米国のパウエル統参議長が、現役の時に我々と会って、何を言ってたかと言うと、ユニホームを着ているフロントで戦している者がいくら勝ってもですね、 メディアに勝たなかったら、今の戦は勝ったと言えない、 としょっちゅう言ってました。それを本当に実現していた統参議長のお一人だと、私は一緒に仕事をしているときに、そう感じていました。
この間の総理の会見は、 まさにそういう意味からすれば非常に意義があったと私は感じております。ですから、 いくら、 いろんなことが言われていましても、私は、公約を掲げて選挙をやられて、国会でいろんなことを決めていかれる。今、 どこかの党が民意、民意と言って、なんかミンミンゼミみたいなこと言ってますけれども、本当に大事な、外交防衛については、もう公約で皆さんに任せると、私はそう思っています。ですから、 国民にいちいちですね、了解を取るなんていうことを国会の皆さん方の席では言わなくても、私は問題ないと。それが民主主義であり、よく言われる立憲国家と思っております。そういう中で、現場でずっとやってきまして、 36年間、海上自衛隊で勤務をしてきましたけれども、その間、情勢がもう大変な変化をしております。幹事長がいつも言われますように、パワーバランスの変化が、 しかも、その変化度合は、 このところ数年間、もう本当に想像を絶するものがある。今日一枚お配りさせていただいておりますけれども、そこに、簡単に書いておきました。どれくらいの変化があるのかということで、 この2、 3年を見て、アメリカの政権が変わった後からだけを見ても、アメリカのいろんな軍事董の問題ですとか、 いろんなことがありまして、アメリカは内向きになったのではないのか、 アジアにリバランスを、 こう言っている。 実は、米海軍のトップ、 グリナート作戦部長が河野海上幕僚長の公式の招待で、 日本に今、来ておられます。昨日、夕食で会いました。このリバランスというのは、海軍はどう考えているのかという話を、彼と話をしました。彼は明確にこう言いました。メディアで言っているように、部隊の編成ですとか、あるいは装備の問題だとか、 いろんなことを言っているけれども、もう一つ大事なことがある。それは、人の問題だ。グリナート大将は、 日本勤務が数回あります。だから、 日本のこともよく知ってくれている。そういう中で、人の問題が、 リバランスの中で大変重要だということを言って、今の第7艦隊にしろ、あるいは太平洋艦隊にしろ、 日本を理解している人事をやっている。 こういうことまではっきり言ってですね、 日本とのあり方が非常に大事だという風な話がありましたので、 ご紹介します。 その一方で中国が、海洋権益を拡大すると言って、 いろんな問題を起こしている。それからもう一つは、サイバー、核、テロ、海賊、 いろんな問題が、 いたるところでこのところ起こり続けている。こういう中で、 いろんな話をする時に、今の法体系でいいじゃないかと、なんで問題あるんだと70年間平和で来たじゃないかというグループの方々がいらっしゃいます。それは、 この現状の変化を、 まあ認識はしていると思いますけれども、 いや憲法を守っていれば、平和は維持できるんだ。そういうことを必ず言いますね。もし、変えると巻き込まれ論を出す。今日の日経の世論調査が一面に出ていました。これって、 どういう質問で世 査やったの、 どういう人にやったの、 この取り方で、大きく違うというのは皆さんご存じのとおりですね。ですから、最初、申し上げましたように、皆さん方に、国民は任せたわけですから、 いちいちですね、世論調査に云々される必要は、私はまったくないと思っています。そこで、お祈り、諸国民の正義を信頼してるような、 まあ、どこかで聞いたようなことが書いてありますけれども、例えばですね、 こんな話があったんです。後で体験談の中で話しますが、今、海自は海賊対処法でソマリア沖に出てます。
その出す時に私は、ある党の女性議員から、 「古庄さんね、海上自衛隊が出るから、海賊が出るんだ」。いや、こういうと皆さん笑うわけですね、だけど、現実として、そういうことを言われるんですよ。で、私は、 「お言葉ですが、では、 ご自宅に鍵はかけてませんね。当然かけてませんね。鍵をかけているから、泥棒が入る。あなた今言われたのは、それとまったく同じですよ。刑法の何条か知りませんけど、お札のようにね、玄関に貼ってますか」。勝負ありと私は自分ではそう思ったんですが、だけど、本当になんか残念な気持ちがその時いたしました。今回ですね、総理が言われたように、 いやダメだ、現状ではダメなんだと。領土、領海、国民の安全、今のままでは守れないんだ。だから、 どうするかということで、総理は問うたわけですね。その中に、 グレーゾーン、あるいはシームレス、そして集団的自衛権ですとか、集団安全保障ですとか、 いろんなことが問題になっております。 これが、毎日報道されながら、今日があるわけですね現役として、ではどうだったかということを、ちょっと今から体験談を話し します。
65年に防大に入りまして、やはり、税金泥棒と、こう横須賀で言われました。それから、子供を持って、子供が学校に行き始めて、私は家族を連れて転勤してまいりました。子供は3人いるんですけれども、 29回転勤しました。その中で、ある地域でですね、今日学校の先生にこんな事を言われた。お父さんの仕事、何だ。みんなが聞かれて言う、 うちの子もそれなりに言った。官舎があるわけですから、そのエリアにはたくさん同じクラスにも自衛官の子供がいた。 しかし先生から人殺しと言われた。お父さん人殺しやってるの、 と。小学生ですからね、びっくりして私は学校に 行って
それはないんじゃないかという話を担任としたこともありました。それから、色んな、 ここに書いてありませんけども、アメリカとの共同訓練、たくさんやっています。そうすると、やはり日本は、参加国と同じシナリオで一緒にはできないんです。そうしたら、アメリカは日本とだけ組んで別の訓練をやりましょうと。他の国とは一緒にはできないとかいろんな場面で、制約がたくさんある中で、米海軍も配慮しながら、訓練をやってくれた。そうしてるうちにですね、そこに書いてあります91年、ペルシャ湾がありました。ご存じのとおりですね、 日本国政府は、 1 30億ドル。今、円に換算すると、約1兆5千億くらいになるんじゃないかと当時も言われました。海上自衛隊の年間予算よりも多額です。だけど、 ご存じのとおり、あれが終わった時に、アメリカの大手の新聞に感謝の公告が一面に出た。そこに日の丸はありませんでした。地元で売られているTシャツ、連合軍として行動した国の国旗がTシャツの裏に全部あるけれども、 日本の国旗はなかった。 1 30億ドル出したにもかかわらず。それで安全になって、だけどあそこが、大変な日本のシーレーンに当たる。 じゃあ、残された機雷を排除する必要があるんじゃないか。 ということで、政府が決心して、国が決定して、掃海部隊が出て行くわけですね。
その時の根拠は、今だったら、いろんな事がまた言われていたんだろうなと思います。今から23年前、 いろんな大義が出されたことは、幹事長もよくご存じのとおりですけども、結局ですね、 自衛隊法の中の危険物の除去というとこで、根拠法規が求められました。 ところが、私も、機雷掃海のプロなんです。専門がそうなんです。我々にとってはですね、対機雷戦、機雷を除去するというのは、 これは、 ウォーフェアですね、 マインウォーフェア、作戦なんです。それで、落合指揮官以下511名がオペレーション、作戦として、我々はいろんな事前の準備をして出かけて行った。そして、当然ですね、機雷に触雷して機雷が爆発して、掃海艇の一隻位は、たぶん帰って来ないんじゃないかということまで、我々は想定して、アメリカみたいにボディーバックありませんから、 こちらは、棺桶になる材料の白木を40人分積ませた。安全と言われましたが一、我々にとっては、番の危険な作戦で出向いた。幸いにして、本当に一人の犠牲者も出すことなく、約1 00日間終わって帰って来た。これが、私の最初の実任務です。
その時に、海上幕僚監部の広報室長という配置でしたので、記者クラブの皆さんとずっとつきあっておりまして、 4月24日に閣議決定になった夜、海上幕僚長の記者会見やることになりまして、防衛省の記者クラブではやらない、海幕の応接室でやるということでやりました。 これまた大変な騒動で、今日ぐらいのカメラが入っていました。一つだけ覚えていて、悔しかったのは、 「海幕長、 この部隊は、 日本を出港したら、次どこに入るんだ」という質問ですね。 それだけは海幕長に、 「どんなことがあっても答えられません。海幕長は知らないんじゃないのか。 と言われようが、なんと言われようが、それは答えられません。作戦上の機密で、答えられませんので頑張ってください」と言ったのを覚えています。当時の海幕長はそれで通して、ある新聞社のいつも警戒していた記者さんが、前に座り、海幕長を下からにらみ上げてですね、 「次の寄港地も分からないような作戦計画で、行動できる軍隊なんてあるか」という質問を次々にするんですね。海幕長は、 じっと我慢してですね、 「申し上げられません」と頑張った。 その次に大きなことはですね、能登沖の不審船事案です。この時に実は、初めて海上警備行動が発令になります。私は、その時は船に乗っていなくて、陸に、六本木で勤務しておりました。この時我々が一番心配したのは、警告射撃をできるか。警告射撃をして不審船が止まって、止まったら船舶調査をしなければいけないですね。今まで、そんな訓練をしてないんです。ですから、 どういう隊員を何名組んでそこに充てるか。武器は何を持って行かせるのか。何かあったらどうするんだ。 ということをですね、本当に海上自衛隊の中で、最大の問題だったんですね。その時の指揮官で行ってたのが、私の2つ後の海幕長の吉川さん。彼が、洋上の指揮官で、やはり訓練やってない、船が止まったら検査隊出さなくちゃいけない、それがやっぱり一番現場でも悩んだと。そうしてるうちに、射撃で絶対船に当てるなと、 こういうオーダーがあり、対応していた。覚えておられますか。投網を打って、投網で捕まえた方がいいのではないかと書かれたんですよね。当時、一緒に苦労していただいた先生が頷いてくれております。そんなことがですね、平気で言われておりました。 99年この時です。現場がいかに苦労していたか。本来ならば、警告射撃して止まらなければ、次は撃てばいいんです。 これが国際法なんですね。そうすればなんの問題もない。だけど、 それができない。だから、大変悩んだんです。結果的に船に逃げられちゃう。それで海上自衛隊がボロクソに書かれた。入港してきた指揮官の顔を見て、つらい思いが未だに忘れられません。その次にですね、そこに書いてあるのがインド洋。これが、 9. 11の後ですね。小泉総理が一週間後に、 日本で今できることは何だと。よく決められた、 7項目くらい。私は、横須賀の護衛艦隊司令官という配置で、海上自衛隊が出るしかないだろうなと、大体分かりました。時の長官から、内々で準備にかかれと言われました。佐世保と横須賀と呉と、それから舞鶴、大湊それぞれに2年間の線表を引いて、 3隻ずつ船を継続して出すためには、 こうしなければいけないという作業を始めました。隊員は、本当に昼夜を舎かず、意気揚々と準備に入っていました。いつでもどこからでもオーダーがあれば、出られますという状況になりました。世界は、有志連合、 コアリションと言って、手を上げて、アメリカの指揮ではないですよ。みんなで集まって、対テロ洋上からの世界に出て行くのをそこで防ぐ‘作戦を開始するわけですね。当然そこに我々も入る、 こういう計画でいました。 そしたら、時の自民党のある方が、私の線表を見て、イージス艦が出るとはどういうことだと。イージス艦が出たら、アメリカとね、情報共有が常時できて、 これが集団的自衛権に抵触すると一言、言われたんですね。たったその一言。私は、 「いや、お言葉ですが、イージス艦をご覧になったことありますか。ぜひ横須賀で準備しますからご覧になってください。アメリカとどういうことをしなければ、情報が共有できないかということを現場で見ていただければ、分かると思います」。 こう申し上げたんですね。そんなものを見る必要はないといってお出でいただけませんでした。結局、佐世保で準備していたイージス艦がダメになりました。その時のイージス艦艦長以下の顔を見た時、私は、指揮官として本当に申し訳ないなと。式典を終えイージス艦に乗って、乗員に話をちょっとしました。だけど、イージス艦はダメだと言われると同時に、もう一つの大きな流れは、有志連合に入ることはできないと話がどんどん変わる。危険海域に入れない。危険海域というエリアはどこですか。何センチのクリアランスを取ったら危険海域じゃないんですかと。馬鹿な話ですよね。海は全部繋がっているんですよ。荒川の水がテムズ河の水に撃がっているんですよ。現場をまったく理解していない。だから、アメリカと一緒の共同作戦はダメだった。
以下 略…
続きは 自民党のホームページ
安全保障法制整備推進本部で
ご覧下さい。
某新記者の
生意気なこと…
タメ口なのですか?
信じられません!
当時の自民党は やはり強かった。
一言 集団的自衛権に抵触すると
海外派遣はさせなかったのですから…
安保法制関連法案では 海の場合
海上保安庁と海上自衛隊は
別々の案てことですよね…
今の自民党では
審議は無理なような気がします…
やはり 廃案にした方が
いいのかもしれません…。