60年安保デモ参加者が目にした「その後の日本」 日本の平和を守ったのは皮肉にも日米安保だった
JBpress 2015/9/1611:45 古森義久
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150916-00044785-biz_jbp_j-nb
壮大な歴史の皮肉とでも呼ぶべきか。
昨今の安保法制関連法案への国会周辺などでの反対デモを見ていると、 と`うしても1960年(昭和35年)の安保条約反対のデモが想起される。現在よりもずっと大規模なデモだったが、彼らの主張は通らなかった。逆に、主張が通らなかったことによってこそ、 日本の平和や安定が保たれたのである。その事実を改めて強く思わずにはいられない。
安保法制関連法案の国会審議はいよいよ大詰めを迎えた。反対派は国会周辺で抗議デモを繰り広げるなど国会外での運動を強めている。民主党など野党もそうしたデモに「民意」があるとして政府に法案の撤回や修正を求めている。
だが、反対デモの勢いで国会の法案の是非が 決められるべきなのか。
■55年前に酷似している現在の状況
この点で想起されるのが1960(昭和35)年の出来事である。
つい先日の9月13日、私はフジテレビのニュース討論番組「新報道2001」に出演し、 1960年の改定安保条約反対運動の「歴史の教訓」を番組内で提起した。同じ番組に出演した民主党幹事長代理の福山哲郎参議院議員が「最近の国会周辺でのデモに12万人以上(警察発表は3万数千人)が集まった。これほど国民の反対が強いのだから、 この法案は採決されるべきではない」と主張したことに対してだった。
法案の是非を、 国会での審議や採決ではなく、デモの規模や勢いで決めるとなれば、 それは議会制民主主義を否定するのに等しい。
それだけではない。すでに55年前に現在の状況に酷似し、 しかも規模がずっと大きい反対デモがあったのだ。もしも当時の反対デモの主張どおりに日本の政策が動かされていたら、 この国は東西冷戦の中で漂流し、 ソ連側の陣営に入っていたかもしれない。いずれにしても、 日本はとんでもないことになっていただろう。
日本が国全体として反対デモの主張通りにしなかったことは正解だった。少なくとも日本国民の圧倒的大多数はその後も現在もそう考えていると明言できる。
■400万人以上の労働者が抗議ストに参加した60年安保
私は当時、大学1年生で政治については無知だった。だが日本の社会が「アンポ、ハンタイ! 」の叫びで埋め尽くされ激動していたことは理解していた。
1970年前後には、60年安保条約の延長をめぐってまた論議が起きた。ただし60年安保の論争に比べると熱気は少なかった。私は70年安保闘争の動きは新聞記者として取材にあたった。
さて、 1960年当時の状況を簡単にまとめると以下の通りである。
1960年1月、 当時の自由民主党の岸信介首相は米国のアイゼンハワー大統領との間で改定米安全保障条約に調印した。なぜ「改定」かというと、 日米両国間にはすでに1951年に調印された安保条約があったからだ。 この旧条約は米軍の日本駐留を自由に認める一方で、米軍が日本を防衛する責務は規定していなかった。改定安保条約はそうした点を修正し、片務性を減らしていた。 この内容は現行の日米安保条約とほとんと変わりない。
だが、岸首相がこの改定安保条約の調印に国会の承認を得ようとすると、 国内で猛反対が起きた。
国会は自由民主党が多数を制していたが、反対陣営は当時の最大野党の日本社会党を中心に国会外での反対運動を強め、 「安保改定阻止国民会議」を組織した。 この組織に労働組合、学生運動諸団体、学者有志、芸能人などが加わった。主要新聞も反対派を支持して、デモをあおった。
安保反対の動きは勢いを増していった。条約への抗議ストには全国で400万人以上の労働者が参加し、 国会には連日のように10万、20万という人数のデモが押し寄せた。1960年6月15日には全学連中心の30万人が国会包囲デモを組織して、多数が国会構内に乱入した。その過程でデモに参加した1人の女子学生が死亡した。
当時も、 「アメリカの戦争に巻き込まれる」というのが日米安保条約反対派の主張だった。ちなみにソ連は同条約に当然反対した。ソ連側の当事者たちの回顧録によれば、 当時ソ連は日本の反対勢力に資金を援助していたという。
条約案は、衆議院で与党だけによって強行採決された。その後、参議院では審議のないまま6月19日に自然成立した。ただし岸信介首相は混乱の責任を取る形で辞任した。
■安保反対派が目にすることになった
その後の日本こうした1960年の安保騒動は、現在の安保法制関連法案に対する反対運動と似ている点が多い。
だが、60年安保反対運動の当事者たちは、 その後の日本を生きて「皮肉な真実」を見せつけられることになる。 「不都合な真実」とも言えようか。あれほど激しく多くの日本人が反対したはずの日米安保条約は、戦後の日本の極めて合理的かつ賢明な決定として、大多数の日本国民に受け入れられるに至ったのである。
私が出演したテレビ番組には、 自民党、公明党、民主党、維新の党の各代表が出演したが、みな日米安保条約に基づく日米同盟には賛成の立場だった。60年安保に激しく反対した主要新間も現在では安保条約を認めて同意している。
日米安保こそが、米軍の強大な抑止力を日本の防衛に取り込んで、 あるいは巻き込んで、 日本の平和や安定を守ってきた。それは、今の日本国民の大多数の認識だと言ってよい。
今の平和な日本の姿を見れば、 当時の岸信介首相の決断は正しく、安保反対デモの主張は間違っていたということになる。その事実を、現在の反対デモの主導者やそれに同調する民主党指導層はどう見るのだろうか。
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戦前の日本は不戦条約に
サインをしていたにも拘わらず
第二次大戦まで戦争が行われました…
現在 不戦条約を知らない議員が
国会議員をしていると
言えるのかもしれません…
>日本の平和を守ったのは
皮肉にも日米安保だった
戦後の日本の平和は
日米安保条約ではなく
憲法9条と 不戦条約により
今日まで守られてきたと
個人的には そう感じます
>日米安保こそが、米軍の強大な抑止力を日本の防衛に取り込んで、 あるいは巻き込んで、 日本の平和や安定を守ってきた。
日米安保こそがではなく…
【不戦条約と9条こそ】が
米軍の強大な抑止力を日本の防衛に取り込んで、 あるいは巻き込んで、 日本の平和や安定を守ってきた。
の間違いだと思います…。
戦後…
日本の平和や安全を守ってこれたのは
憲法9条と不戦条約のおかげだと
認識すべきことだと言えます…
日本国だけではなく
不戦条約にサインをしている
他国も同じように
平和と安全が
守られていくべきことだと
言えるのではないでしょうか?