『ランボー』をきっかけに映画作りに夢中になるふたりの少年の姿を描いた友情物語。教会の厳しい規律の下ですべての娯楽を禁止されて育ってきた11歳の少年・ウィルは、問題児・カーターと意気投合し、彼の自宅で生まれて初めての映画を観る。
テレビもみたことがない環境で育った子ども・・・ただ、家にテレビがないというだけでなく、家が何か変。学校の授業でテレビを使うときでも1人だけ廊下に出ることを先生も当の本人も普通に受け入れている不思議な状態。お母さんも、妹も頭に三角巾じゃない、なんだ・・・ウ・・・・脳みそが劣化している・・・布をつけていて・・・(情けない・・・)
見ている人にとって非日常的な感覚を日常の生活の中で受け入れて生活しています。
宗教の規律ってそれが当たり前で育つと、本当に当たり前なんでしょうが・・・
お母さんも子どものころにパン屋さんで流れていた音楽が心にに突き刺さり、レコードプレイヤーを手に入れ、名前も知らない音楽を捜し求め、ついに手に入れて・・・その誰かに伝えたいくらいほど喜んだわけですが・・・その喜びは俗社会の悪に堕落するものとして、両親は許してくれず、泣く泣くそれを手放さざるをえなかったわけです。
お母さんは、そんな子どものときの傷をもち続けたまま、それが信仰を深めるためと、割り切って今まで生きてきました。
自分の子どもがいろいろ失敗したり、友達とのコミュニケーション、ちょっと(?)悪いことをしたり、子どもがたどる成長の過程があるんだけど、そういうものを宗教的に排除してしまうわけです。すごく閉鎖的でかわいそうな環境。
でも、その宗教はそうやって何かを守り続けてきたのだから、それをとやかくはいえないとも思うのですが・・・。
しかし、その子どもの頭の中は、空想でいっぱいで、毎日持ち歩いている聖書に書かれているカラフルな絵がまた心を和ませてくれます。
そんな子どもがみた「ファーストブラッド」。その子にとってたくさん人を殺せる能力を持ったランボーが輝いて見え、そのアクションに釘付けになるわけです。
もう1人のいわゆる「悪ガキ」は家は裕福だけど、父親は出て行っちゃって母親は遠くにいて、兄弟二人で豪邸に住んでるんだけど、その悪さゆえに先生からも生徒からも疎まれ・・・おこられるようなことをすることで自分の存在意義を探しているのかもしれませんが、またその悪ガキぶりがすっきりしててこれがかわいいんですよね。
そんな2人の友情が、ちょっとしたきっかけでぶつかっちゃって・・・
そんな心の奥の遠い記憶をチクチク突っつかれたようなお話です。
この2人の友達の絆というだけでなくて。それぞれの家族の愛にまたググッとくるわけです。
宗教を捨てて、子どもも気持ちをとった母親、弟の痛いまでの思いを知ってしまったお兄さん。この家族の絆に、また涙です。自分にも兄がいるので、弟のあの感覚ってちょっと分かるんですよね。子どものときのお兄さんは憧れの的だったりするんですよね。結構影響を受けます。
フランスの人もかっこつけててなんかいやな感じだけど、いやな感じで終わらせてないところがいいです。お別れのシーン、みんなが別れを惜しんでいるのがいいんですけど、その一時の至福からお別れし、バスの中のこわいくらいの現実。長いバスの中で何を考えただろうかと悲しくなります。
いい映画でした。