最近のジブリはあまり面白くないのでこれもどうかな・・・なんて思いながら観てみましたが、予想に反してけっこう面白かったです。
人間に見つかったら引っ越さなければいけないという掟によってその種族は守られてきたんだとおもいます。だから、心が通じ合うとしても、その守られてきたルールを守ってお別れをする。いっしょにいられる可能性はあったのかもしれないけれど、そうしなかったところが良かったです。原作がそうなんでしょうかね。
例えば、おばあちゃんに訳を話してちゃんと小人の生活を守ってハッピーエンドなんてことも考えられると思うんだけど、もし、一部の人間のやさしさに甘えて人間の許可の下に小人の生活を営むことになってしまったら、それは、小人としての自立を捨ててしまう、人間に依存した関係になってしまう。
人間に見つかったら引っ越さなければならないという小人のルールは、ただ単に人間が恐ろしい生き物だからと言うことだけでなく、小人が自力で生きていくためのルールのような気がしてなりません。
絶滅した生き物の話というよりは、滅ぼされた民族、社会の庇護の下で民族のコミュニティを維持する状態にならざるをえない人たちとか、侵略者に吸収された形で生き残っている人たち、多種多様な民族が淘汰されていく歴史の重い教訓のようなものを感じます。
もしかしたら、ずっと昔の時代には、人間と共存の関係があったのかもしれません。
人間社会の中で階級ができてくるなかで、その共存関係が壊れた・・・なんて考えていくと、なんか、いろいろ妄想が広がっちゃいますね。
あと、こおろぎといっていたの、カマドウマだと思ってた。
子どもの頃に、石をぴっぺがすといろんな虫がいたり、お風呂や便所にカマドウマがいたり、親戚の家に泊まったときに裏庭の林に恐怖を感じたり、そういった子どもの頃に感じた生き物との共存の感覚を経験した人には案外面白く観られる作品だと思いました。
なんか、小人がいてもおかしくないような、そんな錯覚におちいります。
絶滅していく小人。じつは、小人を絶滅に追いやるのは、人間社会の変化、環境の変化ではなく、人間の心が小人の存在する隙間をなくしてしまったことにあるのかもしれません。
アリエッティは心臓の一部とかなんとかいうせりふはただ単に心臓の手術をする勇気をくれたとかいうだけでなく、もしかしたらそういうことなのかもしれませんね。
若い頃にぽんぽこやおもひでぽろぽろのよさを感じられなかった自分ですが、何年もたってこの2つの作品が大好きになりました。
アリエッティも、案外、今面白くないと思ってる人が10年後に面白い!と思うようになる、そんな作品かもしれません。
わかりませんが・・・
・・・と、ここで最初に書いた文章は終わったのですが、眠れなくて何となくアリエッティのことを考えていました。
借り暮らしというのは人間が昔自然に対してそうしていたことなのかもしれません。
自然からもらったものは自然に返してあげる。そのルールが守られていたのが昔の日本だったのかもしれない。盗みをする、自然から奪うようになっているのは実は今の人間かもしれないなあ・・・と、そんなことを考えていたら、眠れなくなってしまいました。昼間にコーヒー飲んじゃったしなあ・・・
明日の仕事、眠くなったらどうしよう・・・