デジタルリマスター版を観てきました。
ゴジラの圧倒的な存在感。やっぱり迫力がある。
手より上の時は全く違う生き物のように観えるけどね。
ゴジラが上陸するかどうかという大変な状況の中、結婚を許してもらおうとするのも、面白い。そんな時だからこそかもしれませんが。
ゴジラの平和のメッセージが今クローズアップされてるけど、それが言われすぎてるので、今回は、そこよりも街の破壊の恐怖を感じました。平和と表裏一体のことかもしれないけれど。もしかしたら、最近は地震や台風など、自然災害の恐怖が現実的だからかもしれません。
電車の中にも、人がいるんだよなあ…と考えると、ぞっとします。
ゴジラ('54) ブログ - goo 映画
勝手に東宝なんたらまつり最後はゴジラです。
最初、いきなりゴジラの咆哮。そして例のあの音楽がズンズン迫ってきます。
いやあ・・・なんか、ここだけで恐怖感が・・・
連続する謎の海難事故。
そしてとうとう村が押しつぶされて…
村で言い伝えられているゴジラがあらわれたと、長老が言う。
破壊された村に調査に行くと、なんと、生きた三葉虫と、巨大な足跡が!そして、なぜか放射能汚染されていて・・・
そしてとうとう現れたゴジラです。
しかし、水爆実験にも耐えたゴジラをどうやって倒すか、人類はなすすべもありません。
港区、品川区、大田区の住民は避難命令が出され、高電圧網を海沿いに張ってそれでゴジラを倒そうと試みるわけですが、なんてことはなく突破されてしまいます。
ゴジラはなぜか荒れ狂って破壊していきます。人も無残に殺していきます。
もう死ぬ覚悟を決めたお母さんが子どもを抱きながら、「もうすぐお父ちゃんのところに行けるからね」って・・・
そうなんです。この人たちにとって、あの戦争はたった9年ぐらい前の話なんです。ここに登場する人たちはみんな戦争をリアルに体験している人たちです。だから、あの苦しい戦争がやっと終わって立ち直りつつあるときにまた不幸に襲われる。この何とも言えない感覚は、この当時の映画でしかつくれないものです。ゴジラが伝説になったのは、そのタイミングが良かったのだと思います。
電車での何気ない会話も「長崎で生き残ったのに今度はゴジラ」とか、「疎開は嫌だね」とか、そういう話が普通に出てきます。
そして、乙女の歌声が美しい。芹沢博士もそれで心を動かされましたが、戦争の傷の哀しさを感じます。
病院で「おかあちゃーん」と泣く子どもの本気さにまたまた胸をぎゅっと締めつけられて、もらい泣きです。
乙女の祈りが通じて芹沢博士はゴジラを退治するためにオキシジェンデストロイヤーを使います。(この前観た東宝の倉庫に眠っていたあれですね。・・・あの鈴川絵里子さんってどんな人なんだろう。結構好みだったりするんだけど…なんて、別のことを考えてしまいましたが、)原爆対原爆、水爆対水爆、このオキシジェンデストロイヤーが悪人の手に渡れば世界の軍拡競争はさらにヒートアップしていく。ひとたび戦争が起きれば取り返しのつかないことになってしまうと、芹沢博士は設計図を燃やし、最後の残った自分の頭の中の設計図をゴジラとともに消してしまうわけです。
芹沢博士や生物学者のお父さんの苦悩・・・でも、若い2人はそんなときでも青春を謳歌して…ガイラに食われちゃうぞ!でなくて、いかに2人に結婚を認めてもらうかに一生懸命です。でも、そのたびに、ゴジラが邪魔をして。そりゃ、もう許せない!ゴジラをやっつけて!と思うのも無理はない。・・という話ではありませんが・・・いつ死ぬかわからないからこそ、絆を求めたのかもしれませんね。
そんなこんなで、福島原発はゴジラみたいなもんかもしれません。
どこに放射能をまきちらすかわからない、恐ろしい怪物を人類はコントロールする術を持っていません。仮にいまの事故がおさまっても、ずっと監視しなければいけない。いつまた暴れだすかわからない。フランケンシュタインみたい。
2011.8.23.