1994年5月1日、34歳で亡くなったセナ。
その悲報を自分は沖縄の空港のテレビで見てました。信じられない光景でした。医療スタッフに囲まれてセナの足だけ見える映像がとてもこわくて・・・
1988年の最後の頃にF1のことを知って・・・・あのシェルのコマーシャルですかね。覚えてますよ。懐かしい・・・1989年のセナとプロストが仲が悪い時に自分もバブルのようにF1に浮かれた一人でした。セナより、プロストのが好きでした。みんなに無条件で愛されるセナがあまり好きになれなかったです。でも、あの日本グランプリは・・・
セナがあの時代に純粋なレースと違うところで翻弄され苦しんでいる姿は本当にかわいそうです。もっともっと、スポーツとして速さを競い合いたいだけなのに、政治やお金が絡んで、セナの前に立ちはだかっていたんですね。
あの当時は、プロストの「危険なドライバー」というのに、「そうだそうだ」なんて思ってました。
レーサーのミーティングのシーンははじめてみましたが、これはかなり真実味がありますね。ここのやりとりは面白いです。(真実味って、ドキュメントだけど。)
1990年の日本グランプリのあのクラッシュのあとのインタビューも覚えてます。そのあとの映像からもセナの動揺がわかります。感情でやってしまったことで自分の求めていた正反対の憎むべきことをしてしまったという動揺かも知れません。
その点でプロストは政治家です。
この映画を見ると、引退以降の流れなんかもプロストの陰謀にも感じてしまう。セナがウィリアムズになったとたんに規則が変わったり、あの死亡事故のときでさえ、ピットにいたプロストがなんか白々しくも思える。そして、終わってみれば友情みたいなものもプロストに作られてしまったかのような印象も受けてしまいます。これは、この映画化の流れから見た印象ですが。
最後の管財人プロストの名まえは、救いなのか・・・ちょっと疑ってしまいました。
でも、お互いがトップでたたかいあっているときはともかく、その後はいい関係であったことを強く望みます。プロストがそんなに悪い人間だったら、そんな人に好感を持ち続けている自分にみる目がないということになってしまいますからね。
今でもフリー走行でプロストに向けてセナが「君とは知っていたときが懐かしいよ」みたいなことをいている映像があとで流されてたけど、そういう関係であったことを望みたいです。
セナの人を思う気持ちはすごいんですね。
あれから15年か・・・未だにセナは頂点に立ち続けているような気がします。あとにもさきにも自分の中ではセナがいちばんでしょう。
セナが死んだときのあのフジテレビの映像は要らなかったんじゃないですかね。