確かに秋だ!!
仮面ライダーV3の1・2話を見ました。
ちょっと感動しました。
確かに、昔の子ども番組なんで、それはないだろ!と、なってしまいます。例えば、車で襲われるシーンも、あきらめ早っ!と思ったし、それに対して、「ちくしょう!」はないだろ!とか、襲われた女の子がうなされる時のセリフとか今見ると笑っちゃうシーンも確かにあります。
でも、1・2話では、ライダー1・2号が出るんです!!豪華すぎて信じられない!!3人のライダーがいるのに、どうやってV3だけの話にするのかと思ったら・・・ああ・・・そんなことになってしまうなんて!!!子どもにはつらいのではないでしょうか。
しかも、「原爆」という言葉がなぜかリアルなんです。まだあの戦争を引きずっている気がしました。
ライダーが、東京を原爆の危機から救う。これだけで、魅力満載なわけですけど・・・
V3の誕生は、1号と2号に人造人間にされたんですね。
なんか、大好きだったV3というのだけが残っていて、中身を全然覚えていません。
オープニングの歌の、父よ!母よ!妹よ!という歌詞は、この話をみたあとに聞いたら、ちょっとつらいです。
登場したと思ったらあっさり3人とも殺されちゃうんです。全く容赦ない。子どもが見てるのにお父さんとお母さんと妹が殺されちゃうんですよ。人造人間になりたくなる気持ちもわかります。
「人造人間にしてくれ!」と1・2号に頼み込みますが・・・ところが!1号2号は、「苦しむのは自分達だけでいい」「戦うのは俺達だけ・・・」と、その申し出を断るんです。かっこいい!!
だけど爆弾で瀕死の重傷を負ったことで仕方なく人造人間にしてあげるという話なのです。
なんと!!
で、1号2号が何で登場しなくなったのか!!!2話の台がダブルライダーの遺言状(たしか・・・)え!!子どもにはきつすぎないか??悲しすぎないか??いきなりそんな山場を持っていってそのあとどうなるの?って感じで、2話を見終わったらもういっぱいいっぱい。
興奮するのはやっぱりアジトに潜入するところ。昔わくわくした気持ちがよみがえるります。そして、雑魚の人たちと戦うシーン。とう!とう!とやっつけて親玉にたどり着くのがなんともいえない。
裏返った声でキーキー言っているのが普通ですが、なぜか地声で「キー」といってる人がいたのが笑っちゃいます。
女の人が人質になりそうなときのシーンです。
「オレにかまわず逃げろ!」というライダーの叫びに、「はい!」と素直に逃げる女の子が「おまえ即答かよ!」って感じですけど、素直なのはいいことだ。
子どもがどきどきしながらみたのがわかったような気がします。
ちょっと前に最新のライダーの映画版を見たけど、子どもがライダーの何にどきどきしたのかわかってない人がつくったんじゃないのかね。だいたい、スズキからホンダになってる時点でおわってるでしょう!
というわけで、楽しかったです。
昭和48年(1973年)2月10日を忘れるな!デストロンに家族を殺された日を!!オレは3歳だったぞ!!俺が抗して生きているのもライダーのおかげかも!!
ちょっと感動しました。
確かに、昔の子ども番組なんで、それはないだろ!と、なってしまいます。例えば、車で襲われるシーンも、あきらめ早っ!と思ったし、それに対して、「ちくしょう!」はないだろ!とか、襲われた女の子がうなされる時のセリフとか今見ると笑っちゃうシーンも確かにあります。
でも、1・2話では、ライダー1・2号が出るんです!!豪華すぎて信じられない!!3人のライダーがいるのに、どうやってV3だけの話にするのかと思ったら・・・ああ・・・そんなことになってしまうなんて!!!子どもにはつらいのではないでしょうか。
しかも、「原爆」という言葉がなぜかリアルなんです。まだあの戦争を引きずっている気がしました。
ライダーが、東京を原爆の危機から救う。これだけで、魅力満載なわけですけど・・・
V3の誕生は、1号と2号に人造人間にされたんですね。
なんか、大好きだったV3というのだけが残っていて、中身を全然覚えていません。
オープニングの歌の、父よ!母よ!妹よ!という歌詞は、この話をみたあとに聞いたら、ちょっとつらいです。
登場したと思ったらあっさり3人とも殺されちゃうんです。全く容赦ない。子どもが見てるのにお父さんとお母さんと妹が殺されちゃうんですよ。人造人間になりたくなる気持ちもわかります。
「人造人間にしてくれ!」と1・2号に頼み込みますが・・・ところが!1号2号は、「苦しむのは自分達だけでいい」「戦うのは俺達だけ・・・」と、その申し出を断るんです。かっこいい!!
だけど爆弾で瀕死の重傷を負ったことで仕方なく人造人間にしてあげるという話なのです。
なんと!!
で、1号2号が何で登場しなくなったのか!!!2話の台がダブルライダーの遺言状(たしか・・・)え!!子どもにはきつすぎないか??悲しすぎないか??いきなりそんな山場を持っていってそのあとどうなるの?って感じで、2話を見終わったらもういっぱいいっぱい。
興奮するのはやっぱりアジトに潜入するところ。昔わくわくした気持ちがよみがえるります。そして、雑魚の人たちと戦うシーン。とう!とう!とやっつけて親玉にたどり着くのがなんともいえない。
裏返った声でキーキー言っているのが普通ですが、なぜか地声で「キー」といってる人がいたのが笑っちゃいます。
女の人が人質になりそうなときのシーンです。
「オレにかまわず逃げろ!」というライダーの叫びに、「はい!」と素直に逃げる女の子が「おまえ即答かよ!」って感じですけど、素直なのはいいことだ。
子どもがどきどきしながらみたのがわかったような気がします。
ちょっと前に最新のライダーの映画版を見たけど、子どもがライダーの何にどきどきしたのかわかってない人がつくったんじゃないのかね。だいたい、スズキからホンダになってる時点でおわってるでしょう!
というわけで、楽しかったです。
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個々の人間は同じ民族で、わかりあえるのに、国家という大きな壁がそこに立ちはだかります。
国家間の対立の前に個人の心の交流は小さいもののようにも見えますが、でも、この個々の人間の交流こそが人間の本質であると思います。
大きな流れの中で個々がつぶされてしまうという現実もありますが、必ず、その個々の思いが大きなうねりとなリ、国家を動かすときが来ると思います。
朝鮮半島の絶望と希望を感じました。
イ・ヨンエさんがきれいです。言葉がきれいです。韓国語の「はにょへにょよー」いう感じが女性が言うとかわいいんですよね・・・
北朝鮮の兄貴役の人の演技が光ります。グエムルの人かな?グエルム?グエムル?なんだっけ?
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昔々に見たっきりでした。
ベトナム戦争がどういう意味をもつ戦争なのかはこれをみてもわかりません。
だって、そもそもなんでアメリカはそこにいるのか。ベトナムの地にいて、ベトナム人を殺して、それだけで、アメリカの振りかざしていた「正義」がかなり怪しい事がわかります。
そんな正義でない戦争ではありますが、その地にいる兵士にとってはそれはあまり問題ではなくなります。敵を殺して生きるのびるか死ぬか。それだけが行動の動機になります。
だから、エリアスとバーンズでしたっけ?2人の対立は、そういう戦争の中では大きなことではない。と思うのです。一般社会の中での倫理では、エリアスは正しいわけだけれども、戦争自体がそういった倫理からかけ離れたものだと思うので、あの状況でエリアスの考えのほうが浮いてしまうとも思えるのです。そういった中だからこそ、あの行動ができたことがすばらしいともいえるわけだけれども・・・
カジュアリティーズの時も思いましたが、戦争という倫理からはずれた世界の中で、軍人に倫理を求めるのって不思議な感じがします。
戦争なんだから何でもありという意味でなくて、アメリカの戦争そのものに正義がないのに、小さいところに正義のルールがあるところがおかしいのです。しかも、兵士には、理性をなくす教育をしているくせに!
まあ、そういった小さいところでの正義感や、倫理的なルールは、不正義の戦争を正義にみせるためのものでもあるのかな?
アメリカの一兵士の戦争の体験という点では見せる作品だと思います。
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竹山さんのひとり旅です。子どものころにはしかにかかって目が少ししか見えなくなって、お坊さんになって、家の軒下で三味線を弾いて恵んでもらうわけです。托鉢っていうやつなんでしょうか。
でも、お坊さんの修行というよりは、旅芸人にみえます。
旅の途中でいろんなことがおこり・・・2度の結婚も、ただ幸せがが待っていたということではなく・・・
人生がひとり旅だったともいえますが、そのひとり旅を力づよく見守るお母さんと、激しい愛情で寄り添う奥さんがいます。
それぞれの人生、幸せのかたちはさまざまです。
三味線といっしょに独りで歩きつづけたつらく苦しい人生は、高橋竹山さんにとって幸せだったのでしょうか。
生徒をはらませて、無責任に逃げてしまった先生も、その人にとっての幸せな人生を送ったのかもしれません。(いま送っている?)
人の人生が幸せだったかどうかなんて、他人に計られるものではないし、じぶんでも、わからないものかもしれませんが・・・その歩んできた人生が竹山さんをかたちづくるものになるわけで・・・
幸せだろうが不幸だろうが、人間、生きて行くしかないのです。たぶん。
孤独でも生きていかなければならないのです。
俺の人生どこへ行くのか・・・
目的が見えない心の旅ですね。
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フランティックが上映されて渋谷で観て、普通の役をやるハリソンフォードがかっこよく見えて、多分、そのころと同じ時期に上映されてたんだと思うんだけど、すごく観たくて、でも、タイミングが合わなくて今まで観ないでいました。
きっと、あの当時見ていたあら好きな映画になっていたんじゃないかなあ・・・
正義感から行動するのでなく、勝つこと、儲けることに長けた敏腕弁護士。彼の成功の裏で多くの人が泣いていたのでしょう。そして、家庭も顧みず、子どもに厳しい、さめた家族だったわけですが、事件で記憶を失って性格も変わってしまいました。
で、優しくなって家族の関係をつくっていくわけです。非常に良心的な映画です。そういった、人に優しく、家族の絆を大切にするのが一番の幸せという感じは、好感をもてます。
でも、ちょっと、生活がどうなるの?っていうところの逼迫したところはあまり出ていないところが残念です。
ロッキー5ぐらいの落ち方をしてでも、それでも家族の絆でがんばってます!って感じのが個人的にはよかったと思います。
でも、いいですよ。子どもとのふれあいの部分が。
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ノスタルジアでなくノスタルギアと読んで第2弾!
冷戦時代にハンガリーからアメリカに移住した家族の物語。監督の実体験にもとづいています。
ハンガリーで育てられた子どもアメリカに連れて行かれるところは複雑です。子どもを残してアメリカにいる両親の立場からすればおさまるところにおさまるわけだし、それまであいたいと思いつづけたことを考えれば、感動の再会なわけですけれども・・・・子どもにとって必ずしも望んだことではない。そこの心のずれが寂しいところです。
そして、そのずれを抱えたまま月日が流れ、母親は心配でしょうがないから縛りつけようとし、娘は、その束縛から解放されたくて、いつまでもハンガリーの素敵な思い出にすがっているわけです。
だから、ハンガリーに戻るということは、どっちの選択をするにしても必要なことだったのでしょう。
いかなければずっとそこにすがって生きていくしかない。今の自分の生活を認めることができなかったのかもしれません。
そして、ハンガリーに行ったことで、母親がそこでどんな思いをしてきたのか、自分のことをどう思ってくれているのかを知ることができました。
アメリカにいる時は育ててくれた2人のもとに行くことが一番だと考えたわけだけど、言ってみるとまたそれもどこかに違和感がある。確かに2人を愛しているけれど・・・自分の育った環境と違うという違和感からなのでしょうか。住んでる場所も変ってるし、知り合いもその2人とおばあちゃんだけですもんね。帰ってきたのはいいけれど、もう、自分の居場所じゃないと感じてしまったようです。
アメリカの風景はアメリカアメリカしていて、とても嫌な感じでした。娘のいづらさをとてもよく表現していました。
ナスターシャキンスキーさんってきれいだなあ・・・・
娘もきれいだけど・・・子役がかわいい!!
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郷愁です。
ノスタルジアと読まないで。ノスタルギアと読んでって感じです。
ただ、懐かしい・・・子どものころのいい思い出というだけでなく、やはりそこには生きていく中での厳しさが子ども心の傷になっていると感じます。そしてその傷がうずいた時、一番守ってくれていた母親を思い出すのです。母親をけってしまった心の傷は今でも忘れないのです。
自分も思い出します。自分が高校生の頃、ガンで入院していた母が一旦家に戻ってきた時に自分はゲームばっかりやっていて、確か母親は掃除を手伝ってとか何とか自分にしつこく言っていたんですが、自分は無視してゲームをやりつづけていました。そしたら、母親が急に泣き出しちゃって・・・体が思うように動かない歯がゆさとか、何にも気持ちをわかってくれない子どもに対して悔しかったのかもしれないです。今でも自分にとって心の傷です。今でも思います。何であんな態度をしてしまったのだろうか・・・おかあさん!って感じです。
そのゲームはナムコのスターラスターです。
で、母親が亡くなる時も自分はゲームをしていて病院への到着が遅れました。そのゲームは、ニンテンドーのF1のやつです。たぶんディスクシステムのやつ。全く親不孝です。親戚の人が「何やってんだ!」といって、車で迎えにきてくれました。
お母さんと一緒に竹トンボをやっているシーンは泣きました。ただただ泣きました。しあわせって、この瞬間なんだと思います。この瞬間の気持ちの高揚が心に刻み込まれていくのです。
母親の「ご飯だよ」という声におれも遊びを切り上げて帰りました。河原で遊んでる時も橋の上から仕事帰りの母親に声をかけられた時のなんともいえない幸せな気持ち。これは自分にとって一生心に刻まれたものなんでしょう。
そこではたと立ち止まる。
おれは母親や父親にそういった幸せの瞬間を刻み込むことができたのだろうか・・・まあ、子どもの存在そのものがそういうものなのだと思いますが・・・
この映画の父親は、何も話さずにただじっとしてキセルをぷかっとやっています。本当に何があってもぷかって感じです。
でも、厳しいとかそういうのではないです。ただじっとしているだけです。
田畑や家を売り飛ばして蔵に住むことになってもぷかっ・・・と、一面何にも動じていないように見えます。
でも、自分は、何もできない自分のふがいなさに情けなくって、それでも何もできずにじっとしているしかない寂しさを感じました。
うちの父親は、いつも変なこといって笑わせてくれるけど、おこるとすごく怖い人で・・・でも、山歩きしていた人だから体の部分部分がごっついイメージがあって・・・ってひとです。・・・なんて俺の父親がどうだとか関係ないですね。
最後の蔵の中でお父さんと向かい合うシーンは面白いです。最初は、父親に何か訴えたいのかな?無言の抗議かな?なんて思っていたんですけど、ただ単に何をしていいのかわからなかっただけだったり・・・
この物語は、新藤兼人さんの子どもの時の思い出のお話です。そういう意味では、陸に上がった・・・につながる話でもあります。
同時に、別荘のシーンは午後の遺言状にかぶさります。っていうか、場所いっしょじゃん!
で、全体のリアルさは、裸の島かな?なんて勝手に思っていますが・・・
梶芽衣子さんの入浴シーン・・・う・・・もっとみせて・・・
お姉さんが河原で上半身裸で魚を追い込むシーン・・・うう・・・やられた・・・
お母さんとの入浴シーン・・・これがまたリアルというか、生々しいというか・・・子どものチンコに命が宿っている!!
新藤さんの裸観を感じます。スケベなんじゃなくて・・・いや、スケベなのも含めて、裸に生きる力をもたせてくれます。健康というのではないです。生きるエネルギーです。だからあえて裸を入れるのだと思います。
家族という集団は、みんなが集まっている時が一番幸せです。一人減り二人減り・・・・そうなっていくと家族はバラバラに・・・うちもバラバラ。そうなる前に子どもが結婚して新しい家族の形を作っていくのでしょうけど・・・
自分は消えていく存在です。半世紀もすれば、自分を覚えている人なんていなくなります。でも、自分は確実にそこにいたのです。今、ここにいるんです。いるんだってば!
ほんと、いつも適当に書いてますね。まったく・・・
実際の未解決の事件の話です。この事件の影響が少なくなってきた今だからこそここまでできたのかな?遺族がつらいんじゃないのかなあ・・・
実話だという前提があるので、解決していないという結果はわかっているわけで・・・でも、同時に最初の車の中でのカップルの会話などは、ひとつの想像を提供されただけなので、実際どうだったのかな?なんてちょっと思ったりもします。
あたりまえの話ですけど、彼が怪しいとか、犯人だとか、そういうものは、映画が勝手に導いてくれる物で、観る人が映画の中で与えられた材料を手がかりにで犯人を探すわけでもないし・・・
映画の中に出てくる人の心の動きというか、謎解きにはまっていって抜けられなくなって、人生を翻弄されていった人たちを描いたというのが大きなテーマなんでしょうね。
あとは、情報の氾濫が何が真実かをわからせなくするというのも感じました。「ゾディアック」という犯人が一人歩きし始めるというか・・・マスメディアや大衆によって、真実でないゾディアックを作り出したとも思えるし、それを最初から狙っていたともいえるかも。
真実を探すときは、その連関・・・つながりをたどって、広げて、または絞っていく作業をするわけですが、その情報自体が間違った結論にたどり着くように仕掛けられているようでもあり・・・でも、自分の集めた情報~えた自分の確信というものを捨てきれないために違う正しい情報を認めなくなっちゃったり・・・そう、客観的じゃなくなってしまいます。いつのまにか自分のつくり上げた真実によって自分を翻弄させてしまうのかもしれません。
もしかしたら、ゾディアックという人物ははじめから存在しない、誰かがつくり上げた人物で、その誰かが、いろんな殺人事件をそれっぽくつなぎ合わせただけなのかもしれません。・・・となれば、そういった情報を集められる人物・・・なんてね。・・・あ、殺したって電話で話したんだからそんなこと無いか。
うーむ・・・考えていくとたしかにはまり込んでいくのかもしれませんね。
殺した人数とか、凶悪さならもっとすごい人がいたかもしれないけれど、それがみんなをひきつけてしまうのは、いろんな推察ができて、真実にたどり着けない「謎」の部分なんでしょうね。
ブロークバックマウンテンの人(たぶん)と刑事さんがとてもいい味をだしています。
映像がきれいなのと、殺されるシーンがあっさりしているところが怖かったです。
ちょっと長かったかな?
あと、映画館の画像が最初と最後のほう、ぶれて観づらかった。
実話だという前提があるので、解決していないという結果はわかっているわけで・・・でも、同時に最初の車の中でのカップルの会話などは、ひとつの想像を提供されただけなので、実際どうだったのかな?なんてちょっと思ったりもします。
あたりまえの話ですけど、彼が怪しいとか、犯人だとか、そういうものは、映画が勝手に導いてくれる物で、観る人が映画の中で与えられた材料を手がかりにで犯人を探すわけでもないし・・・
映画の中に出てくる人の心の動きというか、謎解きにはまっていって抜けられなくなって、人生を翻弄されていった人たちを描いたというのが大きなテーマなんでしょうね。
あとは、情報の氾濫が何が真実かをわからせなくするというのも感じました。「ゾディアック」という犯人が一人歩きし始めるというか・・・マスメディアや大衆によって、真実でないゾディアックを作り出したとも思えるし、それを最初から狙っていたともいえるかも。
真実を探すときは、その連関・・・つながりをたどって、広げて、または絞っていく作業をするわけですが、その情報自体が間違った結論にたどり着くように仕掛けられているようでもあり・・・でも、自分の集めた情報~えた自分の確信というものを捨てきれないために違う正しい情報を認めなくなっちゃったり・・・そう、客観的じゃなくなってしまいます。いつのまにか自分のつくり上げた真実によって自分を翻弄させてしまうのかもしれません。
もしかしたら、ゾディアックという人物ははじめから存在しない、誰かがつくり上げた人物で、その誰かが、いろんな殺人事件をそれっぽくつなぎ合わせただけなのかもしれません。・・・となれば、そういった情報を集められる人物・・・なんてね。・・・あ、殺したって電話で話したんだからそんなこと無いか。
うーむ・・・考えていくとたしかにはまり込んでいくのかもしれませんね。
殺した人数とか、凶悪さならもっとすごい人がいたかもしれないけれど、それがみんなをひきつけてしまうのは、いろんな推察ができて、真実にたどり着けない「謎」の部分なんでしょうね。
ブロークバックマウンテンの人(たぶん)と刑事さんがとてもいい味をだしています。
映像がきれいなのと、殺されるシーンがあっさりしているところが怖かったです。
ちょっと長かったかな?
あと、映画館の画像が最初と最後のほう、ぶれて観づらかった。
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まず最初からみるものに、「ダンスを禁じられた国」「お姫様はダンス好き、しかも誰かに習わないとできないぐらいすごい腕前」「国に金がなく、政略結婚か、重税か、戦争か野選択が迫られている」「舞踏会はギリギリ3回まで」というヘンな条件ではじまります。
日本っぽい王子が出てきて前衛芸術みたいなヘンな踊りを見た時点で挫折してしまいました。
いやあ、退屈だった・・・・
マイケルムーアの映画はすごいです。何がすごいかって、彼の視点がすごい。物事の根本問題を感じることができる人なんだと思います。で、それを自分の意図をもって映画にできるという点でも、わかりやすいという点でも才能なんでしょうね。
デーブスペクターが映画のパンフレットの中で、東スポ的とか、3面記事的とか、マユツバとか否定的なコメントをのせています。
しかし、否定的なくせに「たしかにマイケルムーアの指摘どおり・・・」アメリカの医療保険制度は問題で「サイアク」とそれは否定できず認めています。
それで問題にしたのは、アメリカの医療技術は最高なのをマイケルムーアは意図的に隠している。ということなのだけれども・・・
マイケルムーアは、別に医療技術云々をこの映画で訴えたいわけではなく、その医療技術を受けられないで死んでいく人がいるのはおかしいのでは?と問題を提起しただけだと思うんですけど・・・デーブさんのこのねじ曲げぶりは何か意図的に隠したい物があるとしか思えない・・・
話は変わりますが、ちょっと前にフジテレビでこの映画の紹介をしていました。そこでは、「アメリカの医療制度は・・・」「イギリスでは・・・」と、映画の紹介をしていくわけですけど、その言葉の終りにいちいち「あくまでマイケルムーアの調べですが・・」と断りがつくのです。これもデーブさんと同じ匂いがします。アリコに気をつかってかなんか知らないけど・・・
自分はマイケルムーアのこの映画を本質的で、うそは無いと思います。自分は全然ウソは感じませんでした。素直ですね。
マイケルムーアを「マユツバ」に見て、批判的なそういう人たちって、普段の新聞やテレビ、政府の言い分とかには、なんで「マユツバ」に見ないんですかね。マイケルムーアのウソを見抜けるそんな鋭い感覚があるなら、その能力をもっと他のところでもつかってほしいもんですが、それはしません。そこに意図を感じます。
国とか関係なく、人種も貧富の差も関係なく、みんなが平等に医療を受けられれば、こんなにいいことはないじゃないか。それに対して、批判できる人はいないはずです。ヨーロッパで実践していることをやればいいだけです。
日本は、構造改革とか何とかいって、医療制度もアメリカ型にしようといろいろ変えられてきています。この映画は、それでいいの?ということを自分たちにも投げかけてくれます。フランスやカナダや、イギリス、キューバでは笑うしかないこの映画も、日本では全然笑えない。他人事ではないお話です。
・・・全然笑えないって・・・結構笑いましたが・・・
デーブスペクターが映画のパンフレットの中で、東スポ的とか、3面記事的とか、マユツバとか否定的なコメントをのせています。
しかし、否定的なくせに「たしかにマイケルムーアの指摘どおり・・・」アメリカの医療保険制度は問題で「サイアク」とそれは否定できず認めています。
それで問題にしたのは、アメリカの医療技術は最高なのをマイケルムーアは意図的に隠している。ということなのだけれども・・・
マイケルムーアは、別に医療技術云々をこの映画で訴えたいわけではなく、その医療技術を受けられないで死んでいく人がいるのはおかしいのでは?と問題を提起しただけだと思うんですけど・・・デーブさんのこのねじ曲げぶりは何か意図的に隠したい物があるとしか思えない・・・
話は変わりますが、ちょっと前にフジテレビでこの映画の紹介をしていました。そこでは、「アメリカの医療制度は・・・」「イギリスでは・・・」と、映画の紹介をしていくわけですけど、その言葉の終りにいちいち「あくまでマイケルムーアの調べですが・・」と断りがつくのです。これもデーブさんと同じ匂いがします。アリコに気をつかってかなんか知らないけど・・・
自分はマイケルムーアのこの映画を本質的で、うそは無いと思います。自分は全然ウソは感じませんでした。素直ですね。
マイケルムーアを「マユツバ」に見て、批判的なそういう人たちって、普段の新聞やテレビ、政府の言い分とかには、なんで「マユツバ」に見ないんですかね。マイケルムーアのウソを見抜けるそんな鋭い感覚があるなら、その能力をもっと他のところでもつかってほしいもんですが、それはしません。そこに意図を感じます。
国とか関係なく、人種も貧富の差も関係なく、みんなが平等に医療を受けられれば、こんなにいいことはないじゃないか。それに対して、批判できる人はいないはずです。ヨーロッパで実践していることをやればいいだけです。
日本は、構造改革とか何とかいって、医療制度もアメリカ型にしようといろいろ変えられてきています。この映画は、それでいいの?ということを自分たちにも投げかけてくれます。フランスやカナダや、イギリス、キューバでは笑うしかないこの映画も、日本では全然笑えない。他人事ではないお話です。
・・・全然笑えないって・・・結構笑いましたが・・・
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何といっていいか・・・・
童話の世界の空想が現実の世界でおこったらこんな感じというのを長々と見せられた感じで・・・
そういうこじつけが上手だと思いましたが・・・・
・・・・見終わった後に、どう思ったらいいのか全然わかりませんでした。
女の子の演技は、すごいというか・・・すごいを通り過ぎて気持ち悪いです。
この演技を理解してやっていたら・・・・気持ち悪いし・・理解してないのにやらされてたら・・・それも気持ち悪いし・・・かわいいと思うし、きれいだけど・・・気持ち悪い・・・
思考が気持ち悪いからなのかな?現実の世界で現実を見ていない少女・・・無邪気に笑うかと思えば残酷なところもあって・・・あのまま大人になったら、どうなっちゃうんだろうと心配になる女の子です。空想の中に生きるって怖い・・・・
おばあちゃんと男の子(?)の関係も・・・いやだよお・・・・
なんかいやだ・・・・・・
最後まで見た自分をほめてあげたいです。といいながら、もう止めちゃえ!とは不思議と思わなかったです。
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わけわかんない話ですが面白いです。
オダギリジョーさんの役が面白い。何度もプッと笑ってしまいました。
冷めた感じの女の子を一生懸命あほなくらいに助けようと頑張っているのもなんか面白い。かっこいい人はこんな役をやってもかっこいい。
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演歌みたいな音楽が流れる中でいきなり村が過疎になっていく中でおこったいろんな事件の記事が何個か出されて・・・
そこでいきなり新藤さんの「目」を感じました。「性」の目線と、むらの掟というか・・・・
夫が出稼ぎか何かで・・もしかして、死んじゃってかな?生きていくために体を売る母娘もそうです。そこには、田舎ってすばらしい・・・なんていうものはいっさいない。ただ、必死に命を削って生きるというか、心を削って生きるというか・・・そういう世界を感じました。
そして、老夫婦の話。
2人とも体を壊して貧しく生きているわけだけど、なんか、「昔の話」ではなくて、今も同じだと思いました。こういう悩みを抱えながら生きている人がこの周りにも何人もいると思います。
2人がそこにいることが違和感がなくて、本当にそこで、そうやって生活しているみたいでした。
旦那が出稼ぎに出て、そこでうまくいかずに帰ってくる途中で消息がわからなくなり、実は品川で(!)倒れて病院に運ばれ、ごちゃごちゃやっている内に亡くなっちゃって、身元不明のまま病院で解剖の教材にされていた!ということになっていて・・・・
奥さんにとってはかけがえのないだんなさんなんだけど、警察も病院も区役所(何で港区?)もただの身元がわからない厄介な荷物だったわけです。解剖していた病院だけは、解剖の対象として意味がある存在だったわけですけど・・・途中でもって帰られたら困るといっていたのはなんか面白い。裁判の証言も面白い。
寂れていく社会の中で必死に生きている人たちに何も手を差し伸べない国と自治体。人間一人なんて、ただの名簿上の紙切れ・・・それ以下かもしれないけど、ただ単に「1人」と数字であらあされるだけのものなんでしょう。
でも、こうやって一人一人にスポットをあてれば、みんなそれぞれに人生を持った一人一人になるわけだけど・・・それができないところは昔も今も変らないですね。
毎日おこる事件や出来事に登場する一人一人に人生があるんですね。
裁判のシーンは、これでもかこれでもかというぐらい延々と・・・長々と・・・やってました。そのわりには、判決はあっさり。それで勝利集会。その集会でのミノさんのあいさつも、ありきたりで普通で・・・
家で「みんなは勝ったがオレが勝ったわけじゃねえ」「勝ったことだけが残ればいい」と漏らした言葉が意味がありげで・・・本当に望んでいたことは、おかねでも、そこでの勝利でもなく、苦しくても一緒に暮らしていたかっただけがのぞみだったのだろうし・・・・このままここに住み続けて、自分がいなくなってから、だんなの遺骨が粗末に扱われてしまったら、同じことだと思ったのかな。
勝った勝った!万歳!で終わらない話でした。