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チャップリンの魂の一撃です。人生を・・命をかけた作品なのかもしれません。
世界征服を夢見、地球儀で遊ぶヒンケルの姿になぜか涙が込み上げてきます。その地球儀を軽く見ている姿は、人間の命の軽さにも通じて、この独裁者の下にどれだけの人間が殺されていったのだろうと考えてしまったのです。映像の表現力というのはすごい。
チャップリンは、それまでかたくなに拒み続けていた「言葉」という表現を、この独裁者では使いました。映像だけでは表現できない、自分のメッセージを伝えたかったからだと思います。
最後の演説は、チャップリンの言葉がストレートに出ています。この言葉を言いたいがためにそれまでのストーリーを作ったのかもしれないし、トーキーにしたのもそのためだと思います。
自由と平和、民主主義を守るためにたたかおうとよびかけます。
今回は、その演説ではあまり感動しませんでしたが、チャップリンの鋭さをあらためて感じました。
差別の問題も、ただ単にユダヤ人の問題だけでなく、どんな人種、肌の色をしていようと、人間は平等で自由だというところもそうですし、テレビやラジオ・・・今ではインターネットもそうですし、急速に情報を伝える時代になって、それは、国民を操るだけの道具として利用されるわけですが、実はそれだけでなく、その中に、国民を急速に団結させる力も内包しているということも感じました。
そして、最後のハンナに対するよびかけです。その時代に世界に希望ある未来を見ているところがすごいです。
その時代からウン十年・・・ドイツではナチスを擁護するような発言をしようものならすぐに社会がそれをゆるしません。それは世界ではあたりまえのことになっています。
じゃあ、日本ではどうか・・・天皇の独裁政治と侵略戦争を美化する勢力が、内閣の中枢を固めているわけです。そして、憲法を変えることを当然のようにいって、国民の合意も得られていない法律を国民のしらないうちに国会の数の力で押し通し・・・よく、いつか来た道に逆戻りしようとしている・・・という指摘を聞いたことがありますが、もう、歴史の逆戻りのレールはしかれ、動き始めているわけです。
「あなたにならいえる秘密のこと」でも思いましたが、この映画を見て、「ナチスドイツはひどいことをするなあ・・・」とか、どの戦争も一般化して、「戦争はどっちも悲劇だ」見たいにしてしまうのがこわいと思いました。
日本人は、「じゃあ、日本はどうなの?」ということが問われなければならないと思います。
日本人が日本人として背負わなければならない事実、真実があるわけで、その真実の前提なしには、日本人は戦争や平和は語れないのです。本当は。そこを知らなかったり、またはゆがめてとらえていたりという事はいけないのです。
靖国神社に平和を願って参拝している若者が結構いたというのをテレビで見たことありますけど、たとえ、善意から出た行動だとしても、論外ですよね。ありえないです。歴史の事実を知らずに平和は守れません。
いまの日本の弱点は、靖国史観を持っている連中が、内閣の中枢に座り、自民、公明、民主が危険な道に日本を持っていこうとするときに、マスメディアは警鐘を鳴らさない。平和運動を抹殺する。口では平和を唱える社民党も、その民主党と一緒になっても平気でいられる。国民は歴史の事実をゆがめて教え込まれる。そうやって、過去の亡霊・・・亡霊というか、生霊というか・・・そういう連中がのさばっている状態を許してしまっている国全体の仕組みです。それは、戦後一生懸命向うがつくってきたものかも知れないですけれど・・・
一方で、チャップリンが世界に希望を見たように、世界の流れや日本の平和運動は、このたたかいの中で新たな発展をするだろうし、そこに自分も希望をもって、平和のためにがんばりたいと思います。
日本では最近戦争映画が多いですが、それを見るときも、歴史の真実を描いているか。気持ちは反戦映画だと思われるものにしても、きちんと、日本の侵略戦争の事実に対してどう向き合っているかをみていかなくてはいけないと思います。つくる側も、そこがと割れると思います。
憲法が変えられようとしているとき、どっちの立場にたとうが、それが国民世論に影響を与えるということを肝に銘じて、責任を持って、つくってほしいものです。
チャップリンは、その時代に、自分の主張に責任をもったわけです。
大いなる力には大きな責任がともなうわけですね。