ミストを観たので、スティーヴンキングつながりでまたみました。子どものころの一日一日は、未来を秘めたエネルギーに満ちているというか、この映画の中では「永遠だと感じた」と言っていたけど、そのアトランティスの心は本当に輝いています。といってもいいことばかりじゃなくて、傷ついたりもします。その傷も正面から受ける傷だから、深いのです。でも、それも子どものころの輝きでしょう。
女の子がバットで殴られて、肩を脱臼しちゃうんですけど、それをかついでいく主人公に涙。「行かないで!」って言って抱きつくところで涙。連れ去られるところで涙。最後の写真を渡すところでまた涙。お母さんとの最後の心の通じ合いもよかったです。
前も思ったけど、もう一人の友達の影が薄いのはちょっと残念です。きっかけは彼のグローブだからね。もうちょっと彼との交流を見せてくれてもよかったのに。
2004/02/26
幼なじみの死、そしてグローブ。謎が謎を呼び・・・という話ではない。
大きな事件もない得意の小さな田舎町。そして得意の親友たち。得意の悪ガキ。得意の川原。得意のちょっとした能力。得意の心のふれあい。得意の感動。
そして私は得意の涙・・・・
人生で忘れられない最高のキス!思い出。ああ、切ないのう・・・
最初は1ドルほしさに始めたテッドとの交流も、心の交流の中で、本当に必要なものはテッドその人になっていた。テッドが捕まった後、大金を床に投げるシーンはとても印象的。
最初に送られてきたグローブの意味もあとでわかって納得。
最後の女の子との会話のシーンは、涙なくては語れない。しかしそれは悲しみではなく希望なのです。
かつてキャプテンハーロックは言った。「親から子へ、子から孫へ・・・延々と続く血の継承が永遠の命だと俺は信じる・・・」と。(こんな感じだったかな?)
彼女の持っていた勇気は、子どもに引き継がれているとハーロックは信じるのです。ぜんぜん話がそれている。ハーロックは忘れてください。
お母さんは最初はぶっ殺しもんだと思っていたけれど、自身も傷ついて改心しようとするところで、まあよしとしよう。
女の子が何ともいい味を出している。男の子もだけど。もう一人の男のこがちょっと印象薄いのはかわいそう。物語のきっかけはこの人なのに・・・
インタビューで、アンソニーホプキンスは、「子どもとの会話を対等に話した」といっているところは好感が持てる。子ども向けの会話にする必要なんてないよね。対等の一人の人間として扱うならば。そして、そうであれば、友情も生まれるのでしょうね。
それがなければ、やっぱり上下関係が出てくるのではないでしょうか。
かつて、三城素子さんは言った。「子どもの『ども』は『供』って書いちゃだめよ」と。(三城さんって誰よ!)ただただ「申し訳ない」なのである。また話がそれました。
対等でない関係はこの物語の母親がそうであったように、子どもに見透かされ、気を使わせていることに気づかずに反対に子どもの言葉に耳を傾けなくなってしまうのでしょう。
子どもに見透かされていたことを知ったときに、対等に子どもと向き合おうとしたところに救いがあったのではないかと、考える次第です。
このちょっとした能力が気持ちいいんですよね。事件を起こしたり、世界を変えたりするような力でなく、ちょっとした力というところがミソですよね。
かつて、ケイさんは言った。「そのアメーバみたいなものがそんな力を持ったとしたら・・」と。(こんな感じだった?)またそらしてしまいました。
スティーブンキングの物語のリアルさは、現実の社会から一歩も離れない、現実を土俵にしているから面白いのではないかと思います。
あ・・・そういいながら、あまり小説読んだことないや!あははは!
2006-12-13 11:50:55