唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

フレフレ少女

2008年10月31日 | 映画 は行
フレフレ少女 ナビゲート

VAP,INC(VAP)(D)

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まずは素直に面白かったです。
何も考えずに、最後まで見れちゃいますし、結構ジーンと来るのです。まあ、単純と言えば単純だけど、感動させるつぼを心得ていると言うか・・・最近、高校生の駅伝のやつみたけど、あれははずしましたが、これは期待通りです。
何で見たかというと、(これは面白いはず)というなんかそんな予感がしたんですよね。

新垣さんがかわいい。声もかわいくて、学生服着た姿がなんとも言えず・・・ムフフなんですけど、応援のときのバシッと決めるところなんて、かっこよかったです。

努力、挫折、恋、友情等々・・・青春もののわかりやすい作り手の狙いに完全にはまるのも良いなあ・・・なんて思いました。

恋空はくだらない映画だったけど、これはいいです。新垣さんの魅力爆発です。

でも、ちょっと背が高すぎで、まわりの友達と比べて大人っぽいところが・・・

あと、栃木県が舞台だったんですね。
なまってないですね。なまっていたら、どうなっていたんでしょう。


霧の旗

2008年10月31日 | 男はつらいよ・山田洋次
霧の旗

松竹ホームビデオ

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容赦ない女です。

この女の人にとっては、真犯人が誰かは、兄が死んだ時点で意味のないものになっていました。ただ、無実の罪で獄中で死んだ兄がいて、弁護士さんがその気になれば助けられたかもしれない・・・有罪になったとしても、その努力をするだけでも良かったんだと思います。
それをしなかった・・・お金が払えないと言う理由で弁護を引き受けなかった・・・ということで、復讐の矛先がそこに集中してしまっただけです。だって、実際に犯人扱いしたのは弁護士さんじゃありませんからね。
この人にだけ復讐をしようというのもちょっとかわいそう・・・でも、きょうだいを殺された当事者としては、そうなっちゃうのも・・・仕方が無いのかなあ・・・

でも、悲しいのは、兄の死とともに、彼女の人生も死んでしまったのでしょうか・・・復讐のためにうそをついて、憎しみの相手に身体を預けて・・・そこまでして復讐は果たされましたが、それによって、彼女は何を得たのでしょうか・・・

倍賞千恵子さん。さくらさんのイメージが強いですけど、観てる間はさくらさんのことはぜんぜん思い浮かびませんでした。完璧です。


高橋尚子引退

2008年10月28日 | スポーツ
高橋尚子、無念引退…3大会勝てるレベル達せず(夕刊フジ) - goo ニュース

すごい勢いのある人だなあ・・・と思っていたので、その人が引退というのは少し寂しいです。36歳の年齢が限界なのか・・・というとそうではないのだろうけど・・

スポーツマンがたたかえる状態を維持するのは本当に大変なんでしょうね。肉体的にもそうだろうけど、精神的にもそうでしょう。いろんな制約・・・ガマンをしてつくりあげていくわけで・・・それを、これから続けるのか・・・どうか・・・というのは、一般の人にはわからないつらいことなんでしょうね。レスリングのいちょう妹も、4年後やりますなんて軽い気持ちではいえないみたいなことを言ってましたが、それを決めるということは、それに向けた過酷なたたかいを自分に強いるわけですからね。

おつかれさま・・・というか、何かに追いつめられているのではなく、昔のように、楽しんでいるような顔を見たいものです。

氷点 (下) /三浦 綾子

2008年10月28日 | 
氷点 (下) (角川文庫)
三浦 綾子
角川書店

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一気に読み終えました。
おかげで寝不足です。

下は、陽子が中心に書かれていきます。
お母さんがひどいです。でも、それは、犯人の娘だと知ってしまったからなのですが・・・それまで陽子に注いできた愛情がウソのように変わっちゃいます。愛を注いできたこと事態を腹立たしく思います。それから陽子が自殺未遂するまで・・何でこんなことまでするの?と思うようなことを平気でしてしまいます。

でも、それは、ありえないとも思えないと思わせるのがさすがで、夏枝さんのお嬢様ぶりというか、思考の幼さというか、そういうものが、陽子に対してそうしてしまっちゃうというか、「悪い」と思うことがない「私は正しい」と思い込んでしまっている感じはなんかリアルです。

自分は男なので、徹を応援してしまうのですが・・・
北原はなんか好きになれないところがあって・・・
いきなり存在がでかくなる感じが嫌いですね。

映画を後追いするかたちで読んだということもあってだと思いますが、映画を見ているみたいに楽しめました。(楽しむというのが正しいかどうかわかりませんが・・・)

あと、行方不明になってしまう女の人・・・名前忘れたけど、かなり印象が強いです。辰子さんもいいです。

氷点 (上) / 三浦 綾子

2008年10月28日 | 
氷点 (上) (角川文庫 (5025))
三浦 綾子
角川書店

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小説は、心のうちを説明してくれるからおもしろいですね。

表面上の出来事、何気ないやり取りの中にも、これだけのそれぞれの心の動きがあったりするんですね。読者はみんなの心を読み取れる神様みたいな立場だけど、それぞれの人は、相手の思っていることを感じなかったり、ちょっと、感覚的には感じても、そこまで根の深いことだとまでは気付かなかったり・・・当たり前なことだけど、自分が思っているようには他の人が思っていないかもしれないというのは、ある意味新鮮な感覚でした。

話すときは、自分の思っている通りに持っていこうとするわけで、それは心からそう思うからそれを正直に熱く語ることも出来れば、本心を隠して、そこに持っていくと言うことも出来るわけで・・・人間の心・・・考えることというのは、何と「罪深い」ものなのだろうと・・・思い知らされます。

この物語に出てくる人はみんないい人で、同時に(またきた!)悪い人で、やさしい人で、冷たい人で・・・と言うか、人間自体がそういうものだということですね。

「犯罪者」とそうでない「いい人」の境界線は何なのか・・・いい人と悪い人の境界線、やさしさも冷たさも、なんでもそうですけど、その境界線と言うのは、0か1かではないんですねえ・・・人と人の境界線だけではなくて、それは、一人の人間の時間的な分かれ目もあって、優しい気持ちのときもあれば、冷たい気持ちのときもある。人は生きていく中で、家族や周りの人との付き合い、社会とのかかわりのなかで、「いい人」にも、「悪い人」にもなり、その両方の心が重なって生きていってるわけです。心の中だけではなく、人の同じしぐさを見ても、それを「かわいい」とおもうか、「鼻につく」と思ってしまうのか・・・その勝手に考えた印象でいい悪いが選別されちゃったりするわけですから。

なんだかんだ書きましたが、とにかくおもしろいです。
船が沈んじゃう話もあるんですね。

拝啓天皇陛下様

2008年10月23日 | 映画 は行
拝啓天皇陛下様

松竹ホームビデオ

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天皇陛下を好きになっちゃった人の話しです。でも、それがずっと描かれているのではなくて、ちょこ・・ちょこっと、ポイントポイントで3~4回出てくるだけです。あとは、軍隊、戦争、戦後のその人の生き様をもう1人の友達の人生と重ねて描いています。

天皇を「生」ではじめて見たときに、「こんなやさしい顔の人だったのか」と、一目で天皇を好きになり・・・
中国に対して勝ち続ける日本。勝って戦争が終わってしまうといううわさを聞いて、天皇陛下に「戦争を続けてほしい・・」と手紙を書きます。→それはもう1人の友人に「そんなことしたら捕まって殺されるぞ!」と本気で怒られ、やめますが・・・その前だったかな?戦場に行ったときに、戦死した人を火葬している人たちに「この人はきっと天皇陛下万歳って言ったんだろうなあ・・・」と言って、「そんなこと言うわけないじゃないか」と馬鹿にされ、けんかになったり・・・

この人の人生の中で、天皇陛下は、生活にまったくかかわりのないものであったけど、それでもどこか、ずっと心の中に残っていたもので・・・最後死んじゃうんだけど、そこで、「拝啓、天皇陛下様、たった今、陛下の最後の赤子が死にました」と終わります。

すごく「天皇」というものが抽象的なもので、その人の生きようとする意志に何か影響を与えたかと言うと、それほどのこともなさそうで・・・戦争そのものは、天皇が現実的に大きな影響を与えたわけで・・・べつに、この映画は天皇万歳とか、逆に天皇制批判とか、そういうストレートなものがあるわけではないんだけど、何となく、だからこそ、そのときの人たちにとっての「天皇」とは何かを考えてしまうところもあり・・・・

どっちにしても、天皇を大好きなあるひとりの男の人生はこのような人生でした・・・というような話でした。

心からの友人というのは・・・距離や時間が離れていても、再会すればまた同じようにつながりあえるのかもしれませんね。

必殺!THE HISSATSU

2008年10月20日 | 映画 は行
必殺!THE HISSATSU

松竹

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懐かしいです。
なんかこういうのもいいなあ・・・
音楽がなんか心にしみます。
主水さんの歩く姿にジーンと来ます。

あほっぽい所がいくつもあるのも松竹ならでは・・なのかわかりませんけど・・・
たこはちろうとか、さいとうせいろくとか、なつかしいです。
なぜかあかつかふじおさんもでて・・・

リトル・チルドレン

2008年10月19日 | 映画 ま・や・ら・わ行
なんというか・・・結構残る映画です。

人間は生きている中で様々な過ちを犯してしまいます。過去はかえられませんが、未来はつくることが出来る。というのは、一つなるほどなところですが・・・

その過ちの原因がなんなのかをみつめて、反省しなければ、同じ過ちを繰り返してしまうと思うのですが・・・

そこのところはちょっと弱い気もします。

あの男の人は、体は傷ついたけど・・・何事もなかったかのように元の生活に戻っていきます。

女の人も、子どもに申し訳ない思いがあふれて、もうあの男とあんな関係にはならないだろうけど、でも、そのままもとの生活に戻って・・・何事もなく生きていくのでしょうか・・・

2人とも何かを犠牲にしたり傷つけたりしたのに、そこはうやむやなのは気になります。

ブワーッと急に燃え上がった恋愛はけっこう、さめるのも一瞬なのかもしれません。何であんなに燃えたのか・・・なんてことも、あるのかもしれません。そういう経験ないのでわからないけど・・・

最後は一気にすべての出来事をまるくおさめましたね。力技で一気に持っていった感じもありますが、いや、強引にというよりは、転がるようにというか、タテとか、ヨコの力より、回転の力で持っていったというか・・・

なんにしても、すべての人に愛を!という、すばらしい話でした。
しかし・・・罪は消えない・・・本当に反省するのであれば、罪を消してはいけないのです。罪は背負っていくものです。

それが出来ないから・・・同じ過ちを・・・俺のことか??
ふ・・・罪人め・・・・愛すべき罪びと。だんだんあほな話になってきたぞ。

紙パックにビニールごみとか、突っ込んで、燃えるごみに捨てたのは、私です。他の人のせいになってましたが、あれは私がやりました。すいません。

そんなこんなで、そんな自分でも、今は、仕事場では、キチンと分別しています。
紙パックは当然分解して中をゆすいで乾かして資源ごみへ・・・ビニールごみ、弁当だって、汚れていると燃やせるごみになってしまうので、全部洗って資源ごみへ。カップめんのの容器も、神野やつはちゃんと分解してゆすいで・・・・油がきついのでちょっと洗剤使っちゃったりしてますが・・・乾かして資源ごみへ。リサイクルの表示が出ているかどうかが気になり始めました。

でも・・・家ではみんな燃やせるごみで始末してます。
罪人です。

残る映画・・・問題も残したままだからかも。


リトル・チルドレン

NIKKATSU CORPORATION(NK)(D)

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自転車泥棒

2008年10月18日 | 好きな映画・良かった映画
自転車泥棒

ファーストトレーディング

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第2次大戦後のローマ。長い失業後、やっと映画のポスター貼りの職を得たアントニオは仕事に必要な自転車を盗まれてしまう。6歳の息子を連れて探し回るが見つからない。絶望した彼は駐輪場から他人の自転車を盗んでしまう。すぐにつかまった彼は群衆にかこまれ・・・

なんて、説明が書いてあります。

ただ自転車を盗まれ探し回る話です。
でも、そこに貧困があります。
家族が生きていけるかどうかがその自転車にかかっていました。その自転車を盗まれて・・・彼は最後、自転車を盗んでしまいました。いけないことだけど、そうなってしまう背景があるわけです。

彼の自転車を盗んだ人も同じようにその自転車を盗まなければならないほど追いつめられていたのかもしれません。

犯罪の背景には、社会があります。

最後、子どもと2人でなきながら手をつないで群衆の中に飲み込まれていく姿は本当に悲しいです。
この家族はこのあと、どうやって生きていくのでしょうか・・・・

話はちょっとずれますが・・・この映画を見て、こんな話もおもしろいかも・・・と思ったのがあるんですけど・・・
その自転車を盗んだのは探し回って、放置されている自転車を見つけた未来の自分だった・・なんてなったら、おもしろいかなあ・・・なんて思いました。

子どものしぐさとかがかわいいときもあって、教会の中とか、良かったです。
あと、橋で子どもがおぼれてるっていうのを自分の息子かと思って、探すシーン。ちょこんと上で座った子どもがかわいいのです。

この映画、このこなしには、成り立ちません。

氷点

2008年10月16日 | 好きな映画・良かった映画
氷点

角川エンタテインメント

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なんか、救われなさそうで救いがありました。
最後まで、どうなっちゃうんだろうって感じで・・・

娘が殺されます。
「汝の敵を愛せよ」というキリスト教的主題を愛憎とともに描き出したとか書いてあるけれど、小説はどうかわかりませんが、そのことばを建前に、浮気をしていると思われた奥さんへの復讐から、娘をころした男の子どもを育てさせるということを実行したわけです。
その事実を知った奥さんも黙っちゃいません・・・って、黙ってるんですけど、そっちがその気なら、知らぬ顔して育ててやる!なんて思ったわけだけど、やっぱり娘を殺した男の子どもを愛することができなくなって・・・冷たい仕打ちもしてしまいました。

最近、お兄さんの陽子を見る目が兄のそれとは違って、異性を見つめる目になっているという話から・・なんだかんだあって、何で洋子を本当のこのように愛さないのかと責める旦那に、妻は殺人犯の子どもだと知っていることを言い、なんでそのようなひどい仕打ちをしたのかと逆に責めます。そして旦那はおまえが浮気したんじゃないか!と言い争い・・・それを見ていた息子さん。「大人は不潔だ!」ってなって、「陽子はおれが守ってやる!」となるわけです。

ところがお話はこれからが本番で、兄の友達、北原さんが登場。陽子もちょっと恋心を持って、おたがい気になる存在になるわけですが、それを邪魔するお母さん!そしてお兄さんの告白。北原さんとの再会。そして・・・母親の陽子への復讐(?)
陽子さんは自分の「罪」に気付き、自ら命を絶とうとします。
そこからまたどんでん返しがまっています。

人の罪ってなんだろう・・・って思いました。
人を殺した殺人犯は当然罪人です。その子どもは罪があるのでしょうか。陽子さんはたとえ私が殺人犯のこでなかったとしても、ずっと先の祖先をたどれば、誰かが罪を犯しているから、どっちにしろ同じ罪人なわけです。罪がないとまっすぐに生きてきた自分の「罪」に気付いたみたいなんです。納得できない話なんだけど、塩狩峠を読んだあとだからかもしれませんが、なんとなく、「なるほど・・」という感じもあって。
この感覚はなんでしょう。

罪・・・といった場合の考え方がなんとなく違うんです・・・違和感を感じます。悪い意味じゃなくて、違う思考回路とであったと言うか、考え方、組み立て方がもう違うんじゃないか?という感覚もあります。
人間は罪人であることが前提としてあって、その罪を背負って生きていく・・・というより、罪は、逃れることができない物で、それを克服するために、人間の感情とか、欲望とかを理性で押さえつけて凍結させるというか・・・・

・・・何を言ってるのかわかりませんね。
・・・というより、映画の話と違う話になってますね。

でも、何か言葉の端々に、塩狩峠のテーマだったものが見え隠れしていると言うか・・・

まあ、原作者がそうだからというのもありかもしれませんが・・・

もう、ごちゃごちゃ言うのはやめましょう。

もう、思考停止してきたし・・・

最後です。どのような罪人でも人間なんだと思いました。

選挙はドラマチック?公明党が新手のPR作戦(読売新聞)

2008年10月15日 | ほか
選挙はドラマチック?公明党が新手のPR作戦(読売新聞) - goo ニュース

あほだね。自分がやってきたことを棚に上げて、何を言うんだ!って感じです。
つくりはきちんとした人がつくったって感じですが、まあ、いろんなところに侵食しているからできるんでしょうかね。

物語の主人公たちの生活は、つくられた家族って感じで、さりげなさを演出しようとして逆にそれが鼻につくって感じです。
生活実態から出発していない感じがします。
まあ、本当の生活実態なんか出しちゃったら、よけいに公明党なんていらない政党になっちゃいますもんね。

ところで、この主人公は、宗教は入っているのかな?病気になったりして、信心が足りないんじゃないの?

アメリカ不服従の伝統―「明白な天命」と反戦/池上 日出夫

2008年10月15日 | 
アメリカ不服従の伝統―「明白な天命」と反戦
池上 日出夫
新日本出版社

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最近、映画を観なくなりました。
本を読むようにしてるんです。
闇雲に映画を観ても、自分のためにならないかも・・・なんて思うようになって・・・仕事も忙しいこともあって、それなら、少しずつでも本を読みすすめた方が、自分のためになるのでは?・・・なんて考えたわけです。
本を読むといいことって、読み終わったあとの達成感です。
何しろ、本を読むのって、時期的に集中してはまる時期はあるんだけど、続かなかったし・・・だから、「こんな俺でも、読むことができた!」と言う自己満足に浸ることもできるわけです。

内容をどれだけ理解できるかは・・・まあ・・おいといて・・・
映画だって、人によって理解の度合いが違うわけで・・・
だから、きっと、本だって、それぞれの受けとめでいいのでは?って、思いますし。

さあ、そういうわけで、この本を読み始めたわけです。
この間読んできた本は、小説や経験談みたいな本だったので、人の動きでみるのではなく、歴史の流れを追うという、ちょっとレベルを一つ上げた感じの本ですが・・・
決してむずかしいわけではなく・・・でも、一つ一つのエピソードが短くて、すぐ次の話になるので、のっていく感じではありません。
でも、短くて次にリセットできると言うことは、逆に言えば、理解できなかったところを抱えながら読みすすめ、いつの間にかわけが分からなくなるということはないということなので、まあ、読みやすいといえば読みやすいのかも。

と言うわけで、1/3ほど読みすすめ・・・

イギリスから、アメリカに開拓にきて、インディアンを駆逐していく・・・そして、今度はテキサス・・・というところまで読みました。当然、黒人奴隷のことも触れられます。

この白人野郎たちは、本当に自分たちより劣った人種だから、家畜のように扱うのは当然!!と思っていたようです。そして、それに異を唱えようもんなら、その人たちはマジで命を奪われかねない・・・っていうか、襲われてころされちゃった人もいるみたいだし、ろくなもんじゃない人たちです。ただ、異を唱える、人たちも出てくるところが、人類のすばらしいところで・・・というか、白人野郎といった言葉を撤回して 謝らなくちゃいけなくなってしまい・・・というわけですいません。

でも、これを読むと、よくもやれたもんだ!と思えるようなありえない極悪非道なことを当たり前にできちゃえる時代でえらそうにふんぞり返っているというのはマジでくそおもしろくなくて、思わず、白人が一番気が狂ってる!!とおもっちゃえるわけです。(いや、思っちゃったもんはしょうがないですよね)

今書きながら思いました。日本人が自分たちがアジアでやったことを棚に上げて俺は何を言っているのかと。こうなってくると、なんかめんどくさくなるので、とりあえず、この話はおいといて・・・

まあ、そういう、残酷で極悪非道なことを平気でやれる条件は、あいてを、同等にみないこと。人間以下・・・いや、もっとですね。家畜と同じと思い込むことで何でもできるわけです。
相手を同じ人間と思ったらできなくなると言うことでしょう。日本の侵略での行為も、この本に書かれた白人の行為も、いま、イラクやアフガンでアメリカがやっていることも、そう思うことによって、達成できるわけです。

あと、宗教・・・ここでは、キリスト教が出てきますが、神の名において、その非道がすすめられ、また、それをよく思わない反対の声も神の名において出てくるわけです。
三浦綾子さんの小説の話で、キリスト教が人の道を模索するときに、すばらしい力を発揮している・・・という側面も見せてもらいましたが、同時に、同じ神の名でひどいことがやられていることも、見なければならないのですね。

宗教=悪ではないし、さっき言ったように、人の生きる道を確立する上でいい効果もあることは否定できないんだけど、宗教がそうやって利用されるのも事実なんですよねえ・・・

日本にも、なんか破門されて個人を崇拝して変な勲章ばっかりもらうのに一生懸命で、政治や芸能界や町の中や・・・色々はびこっている気持ち悪い宗教がありますが、この異常さはまじで、恐ろしいですもんね。へたすると、殺されちゃうんじゃy内かな?思考停止して思い込みすぎた人間は怖いから。あ・・・話がぜんぜん本の話になってませんね。

まあ、そんなこんなで、この次はちゃんと中味を書きますから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

半分以上読みすすめました。

人間の認識とか、理論って、やっぱりその時代時代で見なくちゃいけないですね。時代の制約もあるし・・・同時に(また!)時代を超えて、今にも通じるものもあるし・・・その時代の制約を乗り越えて、理論も発展するんですねえ・・・

そして、社会も発展する。

自由・平等の認識もそれまでの限定されたものから、より広く深くなっていきます。

そして、今のイラクやアフガニスタンに見られる事態は、その認識の発展に取り残された人たちの最後の足掻きともいえなくもない・・・のかなあ・・・

国家は、国民の自発的な意思をかたちづくるもの出なくてはいけないのに、国民はそれを行う前に惑わされ、利用されてしまう・・・みたいなことも言っている人がいるんですねえ・・・

アメリカの国の歴史は、差別と暴力と侵略の歴史というだけでなく、真の自由・平等・平和、社会発展の歴史も当然あるんですねえ・・・
一面的に見てはいけません。というありがたいお話でした。

・・・まだ中味にふれてませんが・・・それは中味を見てもらうということで・・・説明はじまると、本を写しはじめちゃうから。めんどくさい。

最後まで読んでいませんが、読み終わったときに改めて追加で書くかどうかは、そのときの気分で。






イラク米軍脱走兵、真実の告発/ジョシュア・キー

2008年10月11日 | 
イラク米軍脱走兵、真実の告発
ジョシュア・キー
合同出版

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題名のとおり、イラクの作戦に参加して、アメリカの軍隊から脱走した人の話です。
半分ぐらいまでしかまだ読んでいないので、脱走したエピソードはまだ出てこないので、どういう状況でそうなったのかはまだわかりません。

最初はまず、本人の生い立ち、成長過程の話です。たまに軍隊のことが1~2行出てくるだけで、本当に彼の生い立ちが書かれていて、最初は退屈でした。
しかし、少しずつその生活の状況がボディーブローのようにきいてきて、「アメリカ的考え方とか、戦争に対する考え方とかが日常の生活の中でつくられてきてるのか!」とふと考えました。
社会的な貧困、銃を自由に扱える環境がそこにはあって、アメリカは「神の国」的な幻想も普段からつくられているんですねえ・・・

そして、軍隊にはいるときも、絶対戦地には行かない。という確認を何度もして、甘い言葉でたくみに入隊させて、入ってみたら、地獄が待っていて、それに対する不服を言ったら、それでにらまれていじめにあい、上官に逆らったらわざと「仲間」にいじめさせて・・・
考えること自体がそこではしてはいけないところになっています。
敵・・・アラブ人=イスラム=テロリストと叩き込まれ、それが当たり前の考えにさせられます。アジア人も同じです。

同じ人間だと思ったら殺せなくなるのです。だから、人間以下のものであると叩き込まれるわけです。

入隊して失敗したと思っていた彼も、そこで目を付けられないように、みんなに一目置かれるように・・・と、その軍隊の図式に自分をはめ込んでいくわけです。そうでないと、ここでは生き残れないんですねえ・・・

それでも、派兵はされないだろうと、まだ希望を持っていたわけですが・・・イラクへ派兵されます。

そして、テロリストを見つけ出す名目で民家を夜中に襲って150センチ以上の男を取り押さえ、金品を盗んで、暴力も振るって・・・そんなことを続けていきます。

イラクの人たちのアメリカ軍に対するまなざしは、最初の歓迎ムードから一変、憎しみのまなざしに変わっていきます。そして、いつ殺されるかわからない・・・どこに敵がいるかわからない恐怖、睡眠時間も無い状況で、次第に判断も鈍ってきて・・・恐怖の矛先をイラク市民にぶつけていき・・・さらにイラクの人たちはアメリカに対して憎しみを深めていきます。

「ミスター、フード」といって、食べ物を求める少女のエピソードは、そんな中での心休まるエピソードと思いきや、その結末は・・・!これが現実です。アメリカの「自由」とか「民主主義」の建前で始まった戦争の現実がここにあります。
検問所で、停止する場所を知らなかったために銃で蜂の巣にされて殺された人や、行軍をじゃましたためにランボーの映画のワンシーンのように、戦車につぶされた人、イラクの人の首をサッカーのボールにして喜んでいた兵士。あの家の中にいた女性に何をしたのか・・・検問所の13歳の女の子が何をされたのか・・・いろんな出来事がアメリカの仕掛けたイラク戦争がイラクの人たちに何をもたらしたのか。リアルに伝わってきます。

この作者のキーさんが、正しいと思っていた全てのことが、現実の行いによって全て消え去ってしまいます。

本を読んで寝たときに、うなされて叫んで飛び起きる夢を見ました。自分が叫んで実際に叫んで飛び起きたんじゃなくて、それを第3者として見ている夢です。うなされていたのは自分だったのか・・・他の兵士だったのか・・・いずれにしても、そんな夢を見てしまうほど、自分にとって、この現実はショックだったのだと思います。

同時に、この本を「おもしろい」と感じた部分は、そういう自分の良心的なものが響いた結果だけなのかは分かりません。

何が言いたいのかと言うと、そういう行為をしていることを想像するときに、どこか興奮している自分がいたのではないかとも思ったのです。うまくはいえませんが、作者のように実際に体験をした人は振り返ることもつらい本当に厳しい精神状態になるのだろうけれど、自分が読んで想像する中では、それが当然、現実より弱まってしまうし・・・戦争賛美のハリウッド映画の映像なんかが想像するときの材料になるわけだし、そういう映画を見ているときは、戦闘中にテキパキ動く人はやっぱり「かっこいい」と思って見ているわけだし・・・だから、理性的に戦争を反対したり、イラクの現実はこうだと言っている自分と、戦闘シーンをかっこよくとらえている感覚的な自分とがいるというのか・・・・

まあ・・・それはいいや。

キーさんは、休暇で一時帰国、そのとき、カナダへ逃げることになります。
キーさんは被害者です。同時に加害者でもあります。
国や軍隊に自分の人生をぐちゃぐちゃにされた被害者だと訴えたくて、この本を書いたのではなくて、同時に、(マジで同時にが好きね)状況がどうあれ、その犯罪を自らが行ってきた事に対する謝罪と反省もあります。自分の犯してしまった罪を背負って生きていかなければなりません。

そして、自分の体験を通じて、アメリカのしているイラク占領が何の大義もなく、ただの犯罪行為であることを告発しています。

この本を読むと、アメリカって、昔の時代劇とか西部劇なんかに登場する悪者みたいで、奪い、壊し、犯し、殺す。弱いものを武力による脅して押さえつけ手いるだけなんだなあ・・・と・・・そんな感じがしました。

アメリカの言う自由は、「アメリカのやり放題」と言う意味のようです。
民主主義といいますが、民主主義を捨て去った軍隊の支配が、民主主義をもたらすはずがないですもんね。

色々勉強になりました。


ネットで、「ジョシュア・キー」、「現状」で検索したら、赤旗にヒットしました。以下、本にも訳者の追記で載っていたカナダでの難民申請のことをかいた記事です。


2008年7月10日(木)「しんぶん赤旗」

戦争拒否米兵の難民申請
カナダ政府の棄却に
連邦裁が再検討指示

 カナダの連邦裁判所は四日、イラク従軍を拒否してカナダに逃れた米兵の難民申請を棄却した政府機関に対し、再検討を命じる判決を下しました。イラク従軍拒否の米兵の訴えをカナダの裁判所が支持したのは初めて。支援者は「画期的」と歓迎しています。(ワシントン=鎌塚由美)

 難民申請していたのはイラク従軍後、家族とカナダに逃れていた米陸軍一等兵のジョシュア・キー氏(30)。同氏は、イラクで従事した軍事行動がジュネーブ条約の禁じた「個人の尊厳に対する侵害、特に、侮辱的で体面を汚す待遇」や「不法な監禁」であり、それを拒否するためにカナダに逃れたとして、難民として認めるよう求めていました。

 難民認定を行う「移民難民委員会」は、同氏が上官から命じられた行為がジュネーブ条約違反であることは認定。しかし難民申請には、命じられた行為が「戦争犯罪」に当たる深刻なものでなくてはならず同氏の場合は該当しない、として難民申請を棄却しました。

 これに対して連邦裁は、ジュネーブ条約違反行為は、難民認定を主張する根拠となると判断。移民難民委員会は「法的基準を過度に制限することで誤りを犯した」と結論づけました。

 トロントで戦争拒否の米兵支援活動を行っているリー・ザスロフスキー氏はメディアに対し、「画期的な判決」と歓迎を表明。キー氏の弁護人ジェフリー・ハウス氏は、判決は「良心的兵役拒否を行う権利の解釈を広げた」ものだと述べました。

 現在カナダには、良心的兵役拒否者を含む約二百人の米兵が滞在しているといわれますが、難民として認められた事例はまだありません。

 カナダ議会下院は六月三日、戦争を拒否しカナダに逃れる米兵に滞在許可を与えるよう、政府に求める決議を可決していました。

塩狩峠/三浦 綾子

2008年10月05日 | 
塩狩峠 (新潮文庫)
三浦 綾子
新潮社

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駅の本屋で買って電車の中で読みはじめました。
なんの予備知識も無く読み始めたので、先がまったく読めません。
キリスト教の話が出てきて、(ああ・・・そういえばこの人、キリスト教の人だったな・・・)などと思いながら・・・

前半まで読みました。
時代は明治の話です。
士族の家に生まれた信夫さんの子どものころからの心の成長を描くのですが、そこに、キリスト教が絡んできます。
死んだと思っていたお母さんが「ヤソ」で家を追い出されて生きていたことを知ります。最初のお母さんとの距離が切なくていいです。好きなんだけど、交われない遠慮があって、心から、お母さんを信頼していない感じ。

親友とのやりとりとか、妹とか、淡い恋心とか、人間の死についてとか、強烈に襲ってくる性欲とか、父の死とか、いろんなことがあって心の葛藤があって・・・

そんなこんなで、半分読み終わりました。
子どものときのお話は結構泣けます。正直、キリスト教色が強くなってくると、少し引き気味になってしまいます。同時に、今でこそ信教の自由なんて当たり前のようになっていますが、当時のキリスト教の信者の立場が描かれていて、そんな中で筋を曲げずに信仰を守る姿に、少しだけ感動します。

その人が生きていくために捨ててはいけないものなんですね。

でも、そのために子どもと離れなければならなかった・・・子どもより信仰を選んだ母、それを認めた父、そして、結果的に捨てられた息子。母の元で育った妹・・・いろんな立場でいろんな思いがあるのです。
自分は捨てられた息子の立場から本を読むので・・・(当たり前ですね。主人公なんだから・・・)母親にちょっとだけ恨みを言いたい気になります。いくら親が仕方が無かったと言って言い訳しても、子どもにしてみれば「そんなの関係ねえ」ですもんね。自分より信仰を選んだというのは、やっぱり納得いかないでしょう。

同時に、信仰が自分の生きる証というか、自分自身とでも言いますか。自分の信条であるならば、不当な弾圧にも筋を曲げずに行き方を貫くというのもわかる話です。

お母さんは、自分の選んだ道を後悔はしていないと思いますが、その犠牲にしてしまった子どもに対しては、ずっと罪を背負っていくのかもしれません。正しいことを貫き通すために、罪を背負うことってあるのかもしれません。(犯罪とかいう意味ではないですよ)

罪って何だ?っ手話しが出てきます。

ある1人の人のいい面もその人であり、悪い面もその人である。わるいことをしてしまったら当然悪いんだけど、じゃあ、悪いことを考えたのにそれを実行に移さなければわるくないのか。考えてしまったこと自体に罪は無いのか・・・なんて話になってきたりして・・・

そんなこんなで、ちょっと最後のほうを読んじゃったら・・・ああ・・・こういう結末なのね。と思いました。表紙の絵も納得です。

また後半はあとで。

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後半を読みましたが、あっという間に読み終えました。読みやすい本です。

ふじ子さんとの恋愛は美しいです。告白のときのやり取りは泣いてしまいます。
主人公のいろんな心の葛藤があるだけに、そこのシーンが余計に美しく感じるのでしょう。
それだけに、最後の結末が正直納得行かないというか・・・そうしちゃったものはしょうがないけれど、これからというときに・・・・まったく・・・

北海道に出て行く話、給料泥棒の話、そんなこんなで最後はあんなで・・・

自分自身、人としての正しい生き方というものを考えさせられました。

同時に(最近は「同時に」がすきかも)違和感を感じたのはやはりそれが宗教と結びつくというところです。
本人がキリスト教に近づいていく後半は、彼自身の真理に到達すればするほど距離が離れていってしまいます。
最後のあの決断も、その宗教だからその判断ができた・・・といわれるとちょっと違和感があるし、その行動が美しい行動といわれても(言ってないか)確かにえらいけど、なんとなく薄い気もしないでもない。
多分、そこのところのもやもやとしたものは、社会的な背景があまり描かれていないことからくるのかもしれません。

ただ、人間の心を人間の観点から描くという点では深い・・・気がします。
何を言ってるのか・・・

もうひとつの違和感はセリフです。それは時代を反映しているのか・・・育ちがいいからなのか・・・わかりませんが・・・

聖書に書いてある文章を徹底的に実践する・・・というのは面白いと思いました。それを貫くというのは難しいことです。だから人間は罪深い・・・みたいですが・・・

宗教的な人としての生きる道・・・

ランボーのように手段としての宗教の考え方を実践するというのは効果的な気がします。
主人公の人間的にしっかりした部分・・・最後の状況判断も含めて、宗教によって作られたものであるならば、そういう心を持つために、宗教は有効に働いているともいえるのかなあ・・・

同時に(まただ)そのまじめな気持ちを利用している悪いやつらもいるというところも見なくちゃいけないですよね。
思い込みは怖いです。