ヒトラー暗殺計画の話です。
見つかっちゃうんじゃないかとか、爆発しないんじゃないかとか、かなりドキドキしながらみてました。
計画は失敗していることは物語の最初からわかっていることですが、それでも成功するんじゃないかと、最後までドキドキさせてくれました。ヒトラーが生きていたとしても成功させられる可能性もあったんじゃないかとかね。
結果は失敗。計画の首謀者は処刑されます。
そしてその人たちは英雄的に描かれているわけですが…
私はそこがちょっとふに落ちなかったところです。
たしかに、中枢にいながら反逆するのは勇気がいると思います。
でも、その実行に移したのは1944年です。つまり、ドイツがどうにも立ち行かなくなってきたことがわかってきて初めて動いたということですよね。
それまでの蛮行をヒトラーの名のもとにやってきた連中が今更クーデターで英雄も何もないもんだと…
むしろ、そういう状態の時に行動を起こすということ自体が、自己保身なんじゃないかと思ってしまうわけです。まあ、かなりギャンブル性が高いですけどね。どっちにつけば生き残れるかの選択で動いたわけで、国民のためとか、平和のためとかは全く感じられません。
まあ、主人公の言葉からは、兵士や仲間のためみたいな言葉は最初に出てきますが…
主人公が、ヒトラーを殺してそのあとどうするか・・首都の機能を抑えることだと言ったのもわかりますが、じゃあ、首都の機能を押さえて、その先はどうするのかが大事なわけですよね。
問題は、ヒトラーに会っても、ヒトラーだけではなくて、根本的な政治のシステムを変える必要があるわけで、でも、そこを変えるためのクーデターではないように見えます。
民主党がいま、しきりに政権交代を言っています。
自民党からはみ出した連中と、自民党にさえなれなかった連中、信念もなくただ寄生虫のように生きている社会党系の人たちの集団。
結局、自民党政治が行き詰まった情勢の中で、自分が生き残る道の選択で、たまたまそこにいるだけの連中です。
「変化」を言い、政権をとって、何をするのか…見えません。
このクーデターと似ています。
ヒトラーを殺して、政権を握って・・・でも、その結果待っているのは、ただ、頭が変わっただけの独裁政治だったのではないでしょうか。
しかし、それで、その政治そのものが延命できるわけではありません。
そのクーデターからそんなに時間を待たずに、ドイツは負けているのですからね。
日本が今度の選挙で「政権交替」を実現させたとなれば、国民がその変化のための行動を起したという事実自体は歴史的に見れば前進なのはわかります。しかし、民主党には、国民の望む変化を実現する力がありません。力というか、その気がないと言った方が正しいか。
自民党政治を変化と見せかけて延命させるだけの政党です。
「変化」をしなければ、民主党にも自公政権と同じ審判が下されると思います。
ワルキューレから、総選挙のことを考えました。
話を元に戻します。
結局平和主義者でも、民主主義者でもない連中がクーデターを起こしたって、それは内紛でしかないんじゃないかな・・ということが気になったところです。
それはそれとして、面白かったです。
英語で話しているのはちょっと嫌な気分ですね。
主人公が「ハイルヒットラー」と敬礼するのを自然に拒んで、君はやらないのかね?と言われるシーンは、映像的に訴えていましたね。
あと、手のないお父さんを見てちょっと引いている子どもも良かったです。あれはなんかリアルでした。