唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

男はつらいよ 寅次郎子守唄

2008年11月18日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 寅次郎子守唄

松竹

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1974年 第14作

寅さんとはなさんの恋物語というよりは、完全にあのひげ青年の物語ですね。寅さんはなぜあの青年に告白しろと言ったのでしょうか・・・やっぱりあの青年が本気で好きなんだなあ・・・と思ったからなんだろうけど・・・その結果寅さんは3枚目になってしまうわけですが・・・寅さんの心のうちがわかりません。好きなんだけど、あの青年のが真剣に考えていて、寅さんの好きは、憧れみたいなもので、本当の好きじゃなかったのかもしれませんね。だから譲った・・・譲ったのか?本当はふられると思っていた感じもありますし・・・

寅さんは男には強気でも、女にはすごく弱気なんですね。
結局、これまで見てきた中で、自分の気持ちを正面から言ったことなんて無かったんじゃないのかなあ・・・さくらには素直にいえるのに・・・

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なんかあれですね。最初から最後まであの看護婦さんと寅さんって直接はつながってないですね。2人きりで話したシーンも記憶にない。多分なかったんじゃないかな?

労働者が、若々しいです。はつらつとしているというか・・・青春を謳歌している感じがします。今の若者はどこか疲れている。時代が違うんでしょう。今は、肉体的にも精神的にも疲れ果てていて、支えあう仲間もいないって感じですもんね。なにより、労働者になることも大変です。(2008-01-23)


男はつらいよ 私の寅さん

2008年11月17日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 私の寅さん

松竹

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いやあ・・・寅さんは見るたびに印象がかわっていきます。
多分、一通り見て、寅さんと言う人物をよく知ったからなのかもしれませんが・・・

テレビ版の縁側のシーンの、どこかで見たことあると思っていましたが、ここで使ったんですね。
寅さんと、キリギリスさんが言葉もなく何となく外を眺めているシーンは名シーンです。
寅さんの気持ちを知ったお見舞いのシーンで、キリギリスさんがうつむいていましたが、あそこのシーンもなんか美しいです。
キリギリスさんは、寅さんの気持ちはうれしいと言ってました。あの場面でうつむきながら何を考えていたのでしょうか・・・

男はつらいよという題名でありながら、実は、女はつらいよというテーマもあるんですね。寅さんと同じようにいろんなかたちで女性の皆さんもつらい思いをしています。

前に見たときはチャップリンが云々書きましたが、今回は何も感じませんでした。というか、寅さんの動きよりも、キリギリスさん方の思想に一生懸命絵を描いている姿のほうを見てましたから。寅さんがそばにいるというのがすごき心を楽しませてくれているんだろうとも思うし、そんなうきうきした気持ちで書いた作品はどんな絵になるのだろうと・・・おもいながら、何となくほほえましかったです。

岸恵子さんって、きれいですねえ・・・細い感じが何となくいいなあ・・・

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1973年 第12作

寅さんの前に・・・
たまたま昨日、豊臣秀吉の朝鮮出兵・・・侵略戦争を日本の記念館などがどのように描いているか・・・という話しを聞いたばかりだったので、とらやの人たちが熊本に行って加藤清正のアナウンスが流れた時になんて偶然!と思ったわけです。
熊本では英雄的な存在で、内政などでも、成果を残しているようですが、朝鮮への侵略の尖兵として、残虐の限りを尽くしたとして、朝鮮では評判が悪いのがこの人だということでした。評判がいいとかでなくて、憎まれているというのが正しいのかな?
それで、むかしから、「ぼした祭り」というのがあって、「ぼしたぼした」と掛け声をかける祭りで、それは朝鮮を滅ぼした・・からとった祭りだそうです。今はその名前も掛け声もなくなったようですが・・・

・・・というわけで、お話以外でも楽しめました。

それで、本題に入ります。
このころの寅さんは運気は上昇しているのか、ストレートにふられることがなくて、どこか含みを残すというか、もう一歩!あと一センチ!みたいのが多いですね。

今回も、ずっと友達でいたかったのに・・・こまるのよ・・・という言葉は、直接寅さんを恋愛の対象と見ていなかったという宣言ではあっても、そのバランスがどっちに崩れたかはハッキリとはさせていません。いや、ハッキリとさせていないというよりは、それが崩れて、一人の男として見るようになったのよ・・・という宣言でもあるわけだから、脈ありだったのに・・・寅さんは旅に出ました。「寅さん・・・ばかね・・・」ということなんですけどね。

土手で絵を描いているところを覗き込んでいる寅さんはチャップリンを意識していることがよくわかります。

(2008-01-21)


男はつらいよ 純情篇

2008年11月16日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 純情篇

松竹

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前みたときは評価が低かったんですねえ・・・・
今回は面白かったですよ。
なんか、寅さんと自分を重ねたから前見たときはあんなこといわれたら・・・というのもあったと思うのですが、今回は、寅さんのことを冷静に見られた分、まわりがよく見えました。

夕子さんは、寅さんって面白い人ねという感覚だったんですが、恋煩いが治ったときの寅さんの姿をみて、「はっ」としたんですね。(その表情がいい!)自分が寅さんを考えているようには寅さんは考えていてくれていない。そこで、どうしようと一生懸命考えたのが、あの川原でのやり取りなんですね。

毎回恋がテーマなのはあたりまえですが、前回(自分が見たと言う意味です)のリンドウの話の人間の根源は家族ではないかと言うテーマと同じように、今回も、最後に寅さんが言った、「故郷ってやつは!故郷ってやつは!」っていうのが、テーマですね。

故郷を出た人間にとって、いつでも帰れる・・・甘えられる場所があるということが、必死でその場所でくらいついて生きていくことを弱めてしまうのかもしれません。でも、さくらさんの「いつでも帰ってきてね」という言葉を聞いて思ったのですが、一人で生きていかなければならない寅にとって、故郷があると言うことは、一人ぼっちじゃない。と思わせてくれる、心の支えになるのではないかとも思ったわけです。

寅さんは、故郷ってやつはなんだといいたかったのでしょうか。
気になるところです。

若尾文子さんって、きれいですね。なんかで見たことが・・・と思ったら、氷点の夏枝役をした人でした。つんとした上品な感じがにあう人です。この夕子さんはそういう意味ではつかみズライと言うか、上品だからいいとこの奥さんかと思いきや、売れない作家の嫁だと言うし・・・少し影がありそうに見せておいて、そんな深いところの影でもなさそうと言うか・・・・夕子さんをどういう人にしようかはもしかしたら迷ったのかもしれませんね。影がありすぎると、男はつらいよには合わない感じになっちゃうしね。

でも、若尾文子さんは、絶対裏がある、影がある役のが似合ってる気がします。
若尾さんの他の作品もみてみていです。

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なんかいやだねえ・・・

それとなくあきらめてもらおうと言った女の言葉がなんか嫌だねえ・・・

でも、寅さんの行動を見れば、女が嫌がるのもなんとなくわかるなあ・・・

寅さんが好きになるのもわからない・・・

あまり面白くなかったです。

(2008/1/12)

男はつらいよ 寅次郎恋歌

2008年11月15日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 寅次郎恋歌

松竹

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リンドウの話がひとつのテーマです。人間にとって、家族の平凡な暮らしが実は根源的で、それこそが一番の幸せなんじゃないだろうか・・・ということなんですけど・・・

博さんのお母さんの葬式のときの家族のやり取りはやっぱり涙が出てしまいますが、博さんの言うように、若いころの夢を実現できなかったお母さんは「不幸」なのかということなんですが・・・映画全体の流れでみていけば、そのお母さんの言った最後の言葉は、本心だったに違いないと。おもうのですが、どうなのでしょうか。

子どもへ愛をそそいだ日々、家族で暮らした日々を思い返したときに出た言葉なんじゃないでしょうか。

一箇所にしばりつけられている人にはうらやましい旅の生活ですが、旅をしている人がそういう人たちをみたときに、それこそが人間の営みだと寂しくなる。人間は一人では生きて行けないという話がありました。人間は社会をつくって生きていくことが根源的なわけで、旅をしている社会から離れたところにいる人は、自由と言えば、聞こえは良いけれど・・・ただ単なるはみだし者でしかないのかもしれません。社会の構成員になれない寂しさ・・・自分を否定されたようなものかもしれません。

だから、その寂しさをわかってもらいたかったときに、「うらやましい」と言われてしまった寅さんですが・・・社会の構成員になろうかな・・・と思って迷っていた自分に後押ししてもらおうとしていたんだろうに、それを許してもらえなかったと言うか・・・

寅さんは旅の人。自分たちとは違いますよ。という・・・結果的にはそういう宣言になっていたのではないでしょうか。

さくらの「うらやましい」というのは、それとは違います。
入れ替わって、いつも自分が心配しているように、おにいちゃんに自分を心配させたい。これは、リンドウの咲く田舎の家で一緒にきょうだいでご飯を食べている。寅をその一員に入れた発言ですから、心がこもっています。そのように愛されている寅もまた幸せなんですねえ・・・

それに比べて・・・おれなんか・・・・へへへ


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1971年 第8作

寅さんのめちゃくちゃぶりが抑えられて、しんみりさせてくれます。

お母さんの葬儀のときの博さんの家族の会話。
お父さんの女中みたいな人生が幸せだったのか。お兄さんは、死ぬ間際に「思い残すことはない」と言って死んだことに救いを求めようとしますが、博さんは、「死ぬ間際まで嘘をついたんだな・・・」とつぶやきます。兄弟たちは、「何を根拠に嘘だと言うのか!?」と言った時の博さんの返しが痛烈です。「もし仮に嘘でなかったら、そんな人生を本当に幸せだと思って死んだとしたなら、そのほうがもっとかわいそうだ」と言うんです。深い話しです。
お父さんの心にもぐさりと突き刺さったことでしょう。

博のお父さんの夕暮れ、農家のあぜ道を歩き・・・庭一面にリンドウ・・・家の中をのぞくと明かりの下で親子が食事を囲んでいる風景・・・そこに人間の本質がある・・・みたいな話しがテーマになっています。

そして、寅さんは、それを実現してくれる格好のターゲットを見つけるわけです。寅さんはりんどうを買ってその人に渡します。寅さんにとっては、母親と子ども、りんどうがそろって、あとは自分がもうひとつ足りない空間に収まれば・・・と思ったのかもしれません。いや、でも、自分がどうとかよりも、彼女にそういう幸せな人生を送ってほしいという願望がりんどうに込められていたような気がします。そこに自分がいなくてもいいから・・と言った感じで・・・

彼女の力になれることはないか・・・ない。
そして、自分のたびのことを「うらやましい」と言う彼女になんとも悲しい顔をするんです。自分をわかってくれないと思ったわけではないでしょうけど・・・

あ、そこで思ったんですけど、死んだ博のお母さんは幸せじゃなかったわけではなくて、その生活自体に幸せを見出していたのではないか。確かに船にのって外国にも行けなかったし、都会の暮らしもできなかったけれど、それで自分がしたかったことができなかったからって不幸と言うのは単純なことで、その、だんなとの関係や子どもとの関係の中で、彼女なりの幸せを見つけたのかもしれません。それが死ぬ間際の「思い残すことはない」という言葉になったのかもしれません。

そうか・・・深い話しです。

おいちゃんやおばちゃん、ひろしやさくらやこの女の人、たこ社長、ごぜんさまは幸せかどうか。最初の旅芸人、寅さんは幸せかどうか。
どっちの生き方が幸せでどっちが不幸なんてものはないのかもしれません。周りから見てどうという評価もあるかもしれませんが、そんな基準は本当はなくて、自分がどう一生懸命生きたかだし、自分が幸せだったかどうかは自分自身の基準の判断でしかないわけですね。

そこで思い出したのは子どもに「寅さんのようになっちゃうよ」という親のせりふ。ちゃんとこういうふくせんがはってあったんですね。

寅さんとさくらの最後の会話が泣けますね。
お兄ちゃんと入れ替わって旅にでて、「さくらは今頃どうしてるかな」と心配させたい。というんです。すばらしい。お兄ちゃんをいつも心配しているさくらさんのせりふですからね。泣けますね。

2008/1/17

ダンボ

2008年11月13日 | アニメ
ダンボ

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

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子どものころに好きだった記憶があります。ディズニーの中で「好き」だという記憶があるのは、「ダンボ」だけです。他は思い出せない。

ダンボがかわいい。表情が良いんです。
お母さんと鼻を絡ませているシーンはほんと、泣きますよ。

今回の再発見と言うか、記憶に残っていなかったところなんですけど、ピンクの象のところの芸術的なところ・・・テントを建てるところなんかも、すごいです。音楽も結構面白いです。もしかしたら、自分は吹き替え版でしかみたことなかったのかもしれないのですが・・・

ただの子どもアニメとかのレベルではないですね。

手塚治虫が、ディズニーに影響を受けたと言うのもよくわかります。

完全犯罪クラブ

2008年11月12日 | 映画 か行
完全犯罪クラブ

ワーナー・ホーム・ビデオ

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期待以上でも以下でもなかったというか・・・この手のサスペンスものはこんな感じというのがあるけど、そこから外れることもなく・・・最後もきちんとちょっとした逆転があるし・・・

でも、そんなに気持ち悪い殺し方とか、異常な性格の人が出たりとか、そういう極端な感じでもなかったです。

まあ、それなりに・・・という感じですかね。

ランボー 最後の戦場

2008年11月10日 | 好きな映画・良かった映画
ランボー 最後の戦場 コレクターズ・エディション

ポニーキャニオン

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待ちに待ったDVD化です。
何がそこまで遅れさせたのかわかりませんが・・・

でも、ランボーのDVDの発売で興奮している自分っていったい何なんだろうと思います。一方で平和を叫び、もう一方で、こういう映画も興奮してみています。
最近のハリウッド映画の戦争モノにはぜんぜん反応しなくなっていたのに・・・

この作品の残酷な映像を「真実の戦争ってこういうものかも」と感じてしまう自分がいて・・・はっきりとミャンマーがどういう情勢で、その事実をどれだけ伝えているのかは、度外視なのです。

戦場は、ミャンマーであってミャンマーでないというか、ミャンマーの真実を知るための映画ではないというか・・・

仮想の敵であれば、こんな気持ちにならなくてすむのだけれど・・・実際の国名があるからよりリアルに入ってくるのも事実だし・・・

こういう映画は評価が難しいですね。

面白くても面白いといえないし・・・そう。全てを肯定できないんですよね。理性がそれをさせない。でも、否定するのもなんか自分にうそをついているみたいで・・・

だから、この映画を本当に評価するには、ビルマ・・ミャンマーの情勢をきちんと見ないといけないんだけど・・・そこが無いままだから、いつまでたっても同じ問題にぶつかる。

2や3のような、ソ連という実際の国を相手にしている形をとりながら、実は仮想敵だった話とは違うんですよね。


西武、13度目の優勝 プロ野球日本シリーズ

2008年11月10日 | スポーツ
西武、13度目の優勝 プロ野球日本シリーズ(共同通信) - goo ニュース

すばらしい!!
この前(ずっと前か)の中日との戦いも不安の毎日を送りましたが、今回もすごかったです。
ジャイアンツに勝ったというだけで・・・涙・・・涙・・・清原の涙が思い出されます。(これはもっともっと前ですね)
日本シリーズというと、なんとなく昼間のイメージが強いけど、ナイトゲームなんですね。寒くてたいへんだろうに・・・と思いつつ、ドームなら温度も一定にたもてるんでしょうね。

じつは、昨日は仕事で、リアルタイムで観たのは、6回ぐらいをちょっと・・・中島のライトフライと中村の三振だけで、そのときは巨人が1点勝ってて、西口が先発なのは知ってたけど、「あれ?涌井が出てる!」なんて思って・・しかし、この前の悪夢もあるし、しかも一点負けているということで、重苦しい感じで、また仕事場に戻って・・・

気がついたら、午後11時。友達と、スポーツニュースを見ようと待ち構え・・いまはネットで結果を見ることができるけど、それじゃ面白くないって言うんで、そのテレビを固唾を呑んで見守って・・・と思ったら、番組始まったらすぐにライオンズ日本一!がわかっちゃって・・・それはそれで、結果がすぐわかったのでよかったのですが、そこからゴルフやらボーリングやらで番組はなかなか本題に入らない。ソフトボールの上野さんのノーヒットノーランもあったようですが、いまはそれよりも・・・

いやあ・・・よかったよかった・・・
最高の気分でちょっと涙が・・・面白いですね。西武の試合なんてろくすっぽ見たこと無いのに。

涌井をノックアウトしたあとの巨人のヒーローインタビューを見て、あそこで感無量みたいになっていたので、ライオンズも集中していけばかなり可能性あるかもと思いながらも・・・やっぱりジャイアンツは名前だけ見てもすごいチームだし・・・ちょっとしたきっかけでドカーンと行かれそうな気がして・・・

最終戦もかなりもつれてちょっといやな感じもあったけど、いやあ・・・良かった良かった。

総力戦になるとジャイアンツのが上のような気もしたけど、すごい選手がいっぱいそろっていても、それを使い切ることができなければだめなのかもしれないですね。野球は27アウトをとるまでの枠の中をどう切り盛りするかですからね。

西武が岸と涌井を投入するしかなかった状況は、結構追い詰められた結果ではあると思うけれど、でも、それはいい結果になったわけで。

といいつつ・・・内容もちゃんと見ていないので、よくわかりませんが・・・

桂 枝雀 落語大全 第二集

2008年11月07日 | 落語
桂 枝雀 落語大全 第二集

EMIミュージック・ジャパン

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DVDをみようと思ったきっかけは、せをはやみいわにせかるるたきがわの・・・が頭の中にぐるぐるして・・・崇徳院をみたくなったのがきっかけで、枝雀さんのDVDの第何集か忘れたけど、まず、それをみて・・・

お手伝いの熊さんだったかな・・・またさん・・・よくわからないけど、それが面白いです。

そのついでで、この第2集をみました。
「くしゃみ講釈」と「鷺とり」が入っています。2つとも面白いのです。久々にみようと思ったきっかけは、さぎに近づきながら「さぎー」と声を小さくしていくところのくだりがなんとなく思い出してしまって・・・

くしゃみ講釈は、こしょうのかわりにとうがらしを買い求めるまでが本当に面白くって、からくりの八百屋お七も、涙~涙~の涙橋・・・というところが品川なので、なんとなく身近に感じて・・・

くしゃみをする講釈師も面白いです。鋳掛け屋のおやっさんが軍艦の注文を受け取ったような表情がなんかおもしろいしね。

DVDの枝雀散歩でも弟弟子のざこばさんがさぎがばたばたと飛んだところで観客席から「おお~」と声がして・・・本当に飛んだように錯覚したって話がありましたけど、枝雀さんのはなしは、そういう風景を思い描かせるというところですごいですね。

寿限無

2008年11月05日 | 落語
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助


寿限無
限り無い長寿のこと。

五劫の擦り切れ
ごこうのすりきれず、とも。
天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して無くなってしまうまでが『一劫』とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。

海砂利水魚
海の砂利や水の魚のように数限りないたとえ。

水行末雲来末風来末
水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ。

食う寝る処に住む処
衣食住の食・住より。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。

やぶら小路の藪柑子
やぶらこうじのぶらこうじ、とも。「やぶらこうじ」とは藪柑子(やぶこうじ)で生命力豊かな縁起物の木の名称。「ぶらこうじ」はやぶこうじがぶらぶらなり下がる様か(?)

シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナー
唐土のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。グーリンダイはシューリンガンのお妃様で、あとの2名が子供達という説も。

長久命
文字通り長く久しい命。

長助
長く助けるの意味合いを持つ。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

2008年11月05日 | 落語
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
◎ 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(詞花229)[百]

【通釈】瀬の流れが速いので、岩に塞がれている急流がその岩に当たって割れるように、たとえあなたと別れても、水の流れが下流で再び行き合うように、将来はきっと逢おうと思っているのだ。

【語釈】◇瀬をはやみ 瀬の流れが速いので。《われて》に懸かる。◇滝川の 「滝川」は滝のごとき奔流。「の」は《のように》といった意味の使い方。◇われてもすゑに 急流が岩に当たって割れるように、別れても、水がいずれ下流で再び行き合うように、将来は。

【補記】第三句「滝川の」までは「われて」を導く序詞であるが、情念のこもった暗喩ともなっている。障害に打ち当たって破局に至る、といった悲恋の経過を読みとることが可能だが、恋歌と呼ぶにはいささか詞が激しすぎはしないか。若くして宮廷の内紛に翻弄され、政争の犧牲として譲位せざるを得なかった院の無念と、なお将来に賭ける執念をこの歌に読み取るのは、決して牽強付会とは言えまい。

【補記2】久安百首では「ゆきなやみ岩にせかるる谷川のわれても末にあはむとぞ思ふ」とある。詞花集における改変を、香川景樹は撰者藤原顕輔によるとしたが、安東次男は撰集の宣を下した院自身による改作であろうという(『百首通見』)。

【本歌】武烈天皇「日本書紀」
大太刀を垂れ佩き立ちて抜かずとも末は足しても遇はむとぞ思ふ


【参考歌】読人不知「後撰集」
せきもあへず涙の河の瀬をはやみかからむ物と思ひやはせし

【他出】久安百首、後葉集、古来風躰抄、定家八代抄、詠歌大概、八代集秀逸、定家十体(ひとふしある様)、時代不同歌合、歌林良材

【主な派生歌】
瀬をはやみ岩きる浪のよとともに玉ちるばかりくだけてぞふる(藤原定家)
春のゆくみ吉野川の瀬をはやみせくもかひなき花のいは波(後鳥羽院)
めぐりあはむ雲のはつかにみか月のわれても末に影へだつなよ(三条西実隆)


続氷点 (下)  / 三浦 綾子

2008年11月03日 | 
続氷点 (下) (角川文庫)
三浦 綾子
角川書店

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順子さんは・・・そういうことだったのか・・・・
なるほど・・・

夏枝がけっこう悪い人のような印象が強かったのですが、それがまた違う印象になってきます。なんというか、かわいらしいというとちょっと違うのかもしれないですけど、天然のお嬢様的というか・・・もともとそうなんですけど、どことなくかわいそうで憎めない感じで・・・それまでのようなひどい仕打ちもしなくなったのもあります。
啓造が三井恵子さんを同情するのが気に入らなくて口げんかするところがあって、浮気して子どもまで生んだその人を同情するのに、何で自分がキスマーク付けられたことをずっと怒っているのか!ということなんですけど、そこで、啓造さんに「遠い人ならそうならないけど、身近な人だからだ」みたいに弁解されて・・・「なんかごまかされたような気がしますわ」といいながら、ちょっとそれを喜んじゃってるみたいな・・・そこで、なんかかわいいなあ・・・

徹さんに思いを寄せてる人が・・・なんと・・・まあ・・・いやあ・・そんな・・・まじで!?という展開とか、陽子の弟が・・・
まあ、世界は小さいですなあ・・・

もうすぐ終わります。
この物語が終わってしまうのはとても残念です。

・・・終わっちゃいました。
予想はしていたけれど・・・徹さん・・・かわいそうだなあ・・・陽子さんのことを「悪い女」と村井さんが言っていましたが、案外当てはまるかも。自分の意思とは関係なく、男どもを不幸にしてしまうのが陽子さんなのかもしれません。かなりお母さん似ですね。

陽子さんに対して、どんどん興味を失っていきました。何ででしょう。なんか、自分勝手にもみえちゃったり、恋愛についても、中途半端な決断をするから右往左往するんじゃないかと思ったり・・というか、そういう好きとか愛してるとかいう感情が無いうちに誰と結婚するとか決めちゃおうとするからこんな結果になるんじゃないのかなあ・・・・

登場人物のやり取りだけを見せられてしまうからなのか・・・その恋愛とか、不貞のなんだかとか、そんなことだけで人生を送っ手いるわけでもないだろうにとも思ってしまいます。

自分の心の中の葛藤とか、苦しみはかなり深く描いていて、その得体の知れない心の中のことが大きなテーマなのだと思うんだけど・・・社会の中のその人たちという視点からではないので、そこが自分にぴんと来ないところなのかなあ・・・苦しみや悲しみが、登場人物の中だけの問題としてあれこれあるので、そこが・・・ちょっと・・・みんな金に困っている人たちじゃないからね。

でも、そういう視点だったからこそ、わかりやすくすらすら夢中になって読むことができたのかもしれません。

続 氷点 (上) / 三浦 綾子

2008年11月02日 | 
続 氷点 (上) (角川文庫 (5072))
三浦 綾子
角川書店

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この人たちは人間関係だけでこれだけ悩めるのか・・・というくらい色々なつながりで色々なしがらみで、色々なことがおきます。偶然も重なって・・・それも必然な部分もあるんですけど・・・なんにしても、人間とは・・罪とは・・・死とは・・・いろんなことを悩んでます。

でも、それも、夏枝さんの浮気と旦那の復讐から始まった悪の連鎖とでもいいますか・・・その選択によって、それぞれが当然大きな傷をおってしまったわけですけど・・・

陽子さんがすごい暗い人間になっちゃって・・・というか、昔のように単純じゃなくなってしまったということなんですけど・・・

陽子さんのお母さんも登場したり、ずっと気になっていた消えちゃった人もまた登場して・・・・

相変わらず村井はいやな人間です。この人はたちが悪い。いいところを思い出せない。

夏枝さんもかなり性格が悪い・・・といっても、あんな事件がなければ・・・普通に優しいお母さんだったのかもしれないのですけど・・・

啓造さんがやけにおちついてしまっています。
自分のしてしまった過ちが、みんなにばれることで、肩の荷が下りたのでしょうか。

徹さんにちょっと気がありそうな女の子が登場。これまた明るい人で、これからどう絡んでいくのか、楽しみです。

夢中になって読んでまた寝不足です。
またあとで書きます。