今日、Sさんの死を知った。
死去を知らせるはがきは一週間以上前にうちに届いていた。
オカンは知っていたが私は知らなかった。
いまごろになってオカンからハガキのことを知らされた。
ハガキを埋もれた郵便物の中から探しだし、文面に目を通す。
亡くなったは昨年の12月22日とある。
葬儀は身内だけでおこない、連絡が遅くなりました、という言訳が綴られている。
私が気づくのが遅かっただけではなかったようだ。
亡くなられてからもうひと月が過ぎていた。
お通夜にいかなかったことの罪悪感が少し和らぐ。
Sさんは66歳であった。
ひとりで工務店を営まれていた。
規模からいうと「町の大工さん」という呼び名が相応しいだろう。
Sさんと最後に会ったのは昨年の7月である。
Sさんの建てた住宅の完了検査に立ち会った。
別れ際に、申請料の支払が遅くなったことの詫びと、三日後に入金しますという報告があった。
支払額は30万円。
Sさんを信じて入金の確認は行っていない。
さらに、その後の変更申請代3万円の入金も確認していない。
あのとき、Sさんは異様に痩せられていた。
病気ではない、といわれていたが、すでに末期だったのかもしれない。
いや、五か月後に亡くなられたわけだから末期だったのだろう。
そういう崖っぷちの状態で、ほんとうに入金があったかは疑わしい。
なにもSさんを疑うわけではない。
状況的に、だれであってもそういう心理になると思う。
人は死を目前にした状態で、商売ごとにそこまで誠実になれるであろうか。
たかが個人経営の小さな商売にそこまで正直になれるであろうか。
自分に置き換えても、誠実を貫けると宣言はできない。
ならば、万が一、入金されていなくても腹は立てるまい、と心に決めた。
とくに、最後の3万円はなかったことにする。
いままでのお礼だと思えばしれた額である。
と、覚悟を決めて、オカンに通帳を持ってこさせる。
恐る恐る通帳を開く。
入金の有無を確かめる。
7月末日、約束通りに30万円の入金を確認する。
ホッとする。
残りの3万円の入金。
正直、これは期待していない。
8月、9月、10月と入金は見当たらない。
やはりなかったか、とあきらめかけたところで入金を確認する。
日付は11月2日。
死の50日前である。
Sさんの律儀に感謝する。