12/15に広島電鉄 本川町~十日市町電停間で旧大阪市電750形を撮りました。
1枚目は、本川町電停から来た762(旧大阪市電1652)の3号線 西広島行きです。
前照灯を点灯した光景を撮ることができて良かったです。
2枚目は後追いで、十日市町電停に向かう762です。
平日朝ラッシュ時のみの運行が多い750形ですが、この日は日中も運行されていました。
先日も紹介しましたが、750形は1965~68に年大阪市電から譲渡された1601形10両、1651形4両、1801形8両が統合された形式ですが、引退が進んでいて、現在では1651形だった762の1両だけが在籍しています。
1651形は1940年の登場時には1581形と呼ばれ、道路の舗装の進展によって遊休化していたボギー散水車の26~30号の部品を活用し、堺市にあった木南車輛製造というメーカーにより新製された車体と組み合わせて5両が登場しています。
このデザインは、その後も登場した大阪市電スタイルの基礎となり、同じ広島電鉄に譲渡された1801形などにも継承されています。
また、木南スタイルと呼ばれた大きな2段窓の軽快な車体は他の路面電車の事業者でも導入され、先に紹介した広島電鉄オリジナルの650形も車体長が13→12mと短縮化されていますが、形態的な共通点は多く兄弟形式と言える存在です。
5両だけの小世帯の内、1582、1585が戦災で被災しましたが、1582は復旧され1585は廃車となっています。
1949年には1581形1581~1584は1651形1651~1654に改番されて大阪市電で活躍しましたが、1965年に広島電鉄に譲渡されています。
762を除く3両は2014年までに引退し、762のみが在籍しています。
650形が被ばく電車と呼ばれてますが、762も戦災での被災車両であり、ともに戦争の惨禍を後世に伝えるために今後も長く活躍して欲しいです。
1枚目は、本川町電停から来た762(旧大阪市電1652)の3号線 西広島行きです。
前照灯を点灯した光景を撮ることができて良かったです。
2枚目は後追いで、十日市町電停に向かう762です。
平日朝ラッシュ時のみの運行が多い750形ですが、この日は日中も運行されていました。
先日も紹介しましたが、750形は1965~68に年大阪市電から譲渡された1601形10両、1651形4両、1801形8両が統合された形式ですが、引退が進んでいて、現在では1651形だった762の1両だけが在籍しています。
1651形は1940年の登場時には1581形と呼ばれ、道路の舗装の進展によって遊休化していたボギー散水車の26~30号の部品を活用し、堺市にあった木南車輛製造というメーカーにより新製された車体と組み合わせて5両が登場しています。
このデザインは、その後も登場した大阪市電スタイルの基礎となり、同じ広島電鉄に譲渡された1801形などにも継承されています。
また、木南スタイルと呼ばれた大きな2段窓の軽快な車体は他の路面電車の事業者でも導入され、先に紹介した広島電鉄オリジナルの650形も車体長が13→12mと短縮化されていますが、形態的な共通点は多く兄弟形式と言える存在です。
5両だけの小世帯の内、1582、1585が戦災で被災しましたが、1582は復旧され1585は廃車となっています。
1949年には1581形1581~1584は1651形1651~1654に改番されて大阪市電で活躍しましたが、1965年に広島電鉄に譲渡されています。
762を除く3両は2014年までに引退し、762のみが在籍しています。
650形が被ばく電車と呼ばれてますが、762も戦災での被災車両であり、ともに戦争の惨禍を後世に伝えるために今後も長く活躍して欲しいです。