モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

義にかなった裁き

2020-08-27 06:17:27 | 総大会
>義にかなった裁きを確実なものとするために、救い主は無知の藪と、人から傷付けられた苦痛の棘を取り払われたのです。

「義にかなった裁き」とは”回復”を意味すると考えます。
「回復とは悪を悪に、肉欲を肉欲に、悪心を悪心に、
善を善に、義を義に、公正を公正に、憐れみを憐れみに再び返すことである」アルマ41:13

「確かなものにする」とは”心に確信を得る”ことであり、
救い主イエス・キリストへの確かな信仰を得ることでしょう。

「無知の藪」とは”主の救いを知らない状態”を指し、それは”不信仰”を意味するようです。

「人から傷付けられた苦痛の棘」とは”赦せない心”ではないでしょうか。
赦せない心がもたらす怒りや憎しみ、憎悪などは御霊を退けます。
それは人を神から遠ざけようとするサタンの誘惑です。


>人が元に戻せないことを元に戻すこと、人が癒すことのできない傷を癒すこと、自分が壊して修復できないものを修復すること、それこそ(が)キリストの贖罪の目的である。(パッカー会長)

>(主に従い、悔い改めることによって)自身が清くなれる…だけでなく、自分が傷付けた人々も癒されて完全になれる。

わたしたちが主に従い、かつ主の業に働いて福音を伝えるとき、
周りの人々にも主の救いを受けるチャンスがもたらされます。

”伝えられた主の救いを受け入れるか否か”はその人の選びであり、
そこから先はその人自身の責任となります。


>自分が神に背いていることを承知している者…には決して救いは与えられない。(モーサヤ3:12)

>救い主は…悔い改めの一部として、償うためにできることをすべて行うように命じておられます。

わたしたちは”主に従っている”と正直な心で証できるでしょうか。
もしも”神に背いていると承知している”ことがあれば、悔い改める必要があります。

”自分にできる全てを行う”ことによって、
わたしたちは真心から悔い改めていることを”神に証明”します。
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