モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

大いなる喜びのおとずれ

2020-09-04 06:12:40 | わたしに従って…
>信仰によりこのメッセージを信じる人々は,それが確かに「大いなる喜びのおとずれ」であることを知るでしょう 。

大好きな尊敬できる人に会えるとしたら、それは喜びではないでしょうか。
そのための備えを求められたなら、犠牲を払ってでも応じることでしょう。

その相手に関心がなければ、喜びとは感じられず、備えを求められても応じる気にもなれず、
そのために時間を使うことさえ無駄に感じられることでしょう。

イエス・キリストを信じる人にとって、その来臨は待ちに待った喜びとなるでしょうが、
信じない人にとってその預言はどのように感じられるものでしょうか。

その備えとして罪を悔い改めるよう求められたなら、喜んで悔い改めるのでしょうか。
それとも自分の罪を指摘されたことに怒りが湧くのでしょうか。


>幸福は「罪悪を行いながら」見出せるという考えは今日では一般的です。

この世には一時的な喜びが数多くあります。
美味しいものを食べる、ゲームや娯楽、人から賞賛を受ける…等々。
一時的な喜びにはサタンの誘惑であるものが少なくありません。

主の救いに真の幸福があるとを信じるなら、
”救いにつながる事柄”に喜びを見出すことができます。
それと同時に”救いを遠ざけるもの”を避けることでしょう。

正しい信仰があるならそれを見分けることができます。
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