心の中にある‟疑い”はどうすればいいのですか?
「疑わないで信仰を持って願い求めなさい。疑う人は…主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」ヤコブ1:6~
モロナイの約束を試して聖霊から答えを受けたとき、こう思いました。
「これが神からのものだとどうして分かるんだろう」
‟感じた力が本当に神からのものであるのか”と疑ったのです。
疑いがなくなるまで何度も繰り返して試しました。
何年もかかりました。
こうも尋ねました。
「今この祈りを聞いているあなたは神ですか?」
今もよく尋ねます。
「これは主の御心ですか?」
「わたしは主に従っていますか?」
「わたしはこのまま進んで行っていいのでしょうか?」
わたしはいつも疑っています。
自分が本当に正しく理解しているのか自信がないのです。
疑うので考えます。
そして真実を見つけようとします。
今までそうでした、これからもそれを続けるつもりです。
ヤコブの手紙にある「疑い」とは何を意味しているのでしょうか。
もしかすると問題は‟疑いに集中して御霊を受け入れない”ことにあるかもしれません。
ちょっと字は違いますが、‟凝り固まる”という言葉があります。
「ひとつの事だけにこだわって、他のことを顧みなくなる」という意味です。
疑念に凝り固まって真実に目を向けようとしない
そのような状態を‟かたくな心”といいます。
「疑わないで信仰を持って願い求めなさい。疑う人は…主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」ヤコブ1:6~
モロナイの約束を試して聖霊から答えを受けたとき、こう思いました。
「これが神からのものだとどうして分かるんだろう」
‟感じた力が本当に神からのものであるのか”と疑ったのです。
疑いがなくなるまで何度も繰り返して試しました。
何年もかかりました。
こうも尋ねました。
「今この祈りを聞いているあなたは神ですか?」
今もよく尋ねます。
「これは主の御心ですか?」
「わたしは主に従っていますか?」
「わたしはこのまま進んで行っていいのでしょうか?」
わたしはいつも疑っています。
自分が本当に正しく理解しているのか自信がないのです。
疑うので考えます。
そして真実を見つけようとします。
今までそうでした、これからもそれを続けるつもりです。
ヤコブの手紙にある「疑い」とは何を意味しているのでしょうか。
もしかすると問題は‟疑いに集中して御霊を受け入れない”ことにあるかもしれません。
ちょっと字は違いますが、‟凝り固まる”という言葉があります。
「ひとつの事だけにこだわって、他のことを顧みなくなる」という意味です。
疑念に凝り固まって真実に目を向けようとしない
そのような状態を‟かたくな心”といいます。