モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

キリストを見る

2021-08-30 05:35:39 | 福音について
イエス・キリストを見ることはできますか?


ジョセフ・スミスはイエス・キリストをその目で見ました。
スノー大管長も神殿の廊下で主に会ったと話しています。

イエスの時代に多くの人が彼をその目で見ました。
その中で彼がキリストであることに気づいた人はどれだけあったでしょうか?

今の時代にイエスを目で見る人はとても少ないと思います。
しかしイエスがキリストであると知っている人はどのくらいあるでしょうか?
興味深いことに、イエスをその目で見た人でそれを知る数よりもはるかに多いのです。


心に残っている話があります。
神殿で一日の奉仕を終えて閉館しようとしていました。
建物の中に人が残っていないことを確認したのですが、なぜか人の気配を感じます。
もう一度見て回っても誰も見つけられませんでした。
気になって鍵を閉めることをためらっていると電話が鳴りました。
教会の中央幹部でした。
「今主が帰られたのでもう鍵を閉めていいですよ」

主が神殿を訪れたという話はよく聞きます。
それを話す人々はその目で主を見たのでしょうか。
それとも御霊によって心に感じたのでしょうか。

イエス・キリストを見るとは、その目で見ることでしょうか。
それとも御霊によって心に感じることでしょうか。

「聖霊によらなければ、誰も『イエスが主である』と言うことはできない」1コリント12:3

(神殿セミナーでお話したことです)
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信教の自由

2021-08-30 05:25:09 | モルモン書
「多くの者が彼の言葉を信じた」アルマ1:5


ニーホルの教えには何の問題があったでしょうか。
彼が裁きを受けたのは殺人であって、その教えは法的に問題はなかったようです。

・ 祭司と教師は皆人望を得るはずであって
 その教えは人々を幸福に導くものであるから人望を得て然るべき

・ 自分の手で働く必要はなく
 祭司と教師は人々が幸福を得るために働く
 そのために周りの人々は自らの意思で支援する

・ 全人類は終わりの日に救われる
 神はすべての人を愛しており、誰も滅びることを望んではいない

・ 人は恐れる必要もおののく必要もない
 神は畏れ敬うべき存在であって、恐れるべきものではない

・ 主はすべての人を贖い、結局すべての人が永遠の命を得る
 すべての人はそのために生きており、そこに神の愛がある


深く考えなければ、「どこに問題があるの?」と感じる人もあるでしょう。
悔い改めを引き延ばしているなら、ちょっと心を惹かれそうです。
多くの人々がニーホルの教えを喜んだのも納得できる気がします。

「法律は人の心情については誰をも罰する力を持たなかった」アルマ1:17
‟信教の自由”を認めるなら無下に否定することはできないかもしれません。
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