モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

これで大丈夫

2019-09-26 06:02:52 | 福音について
「果たして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい」2コリント13:5

「キリストが…内におられることを…悟らなければ…偽物として見捨てられる」2コリント13:5
御霊を受けるために福音があり、聖典があり、戒め、教会が与えられています。
もしも自分の内に御霊が宿っていないとしたら、何のために信仰しているのでしょうか。

ある人は「自分は信仰があるから大丈夫」と言います。
正しい信仰があるのであれば、御霊が内に宿っているはずであり、
それを確認することは決して難しいことではありません。

「主の御心にかなった生活をして…神を知る知識をいよいよ増し加えるに至る」コロサイ1:10
御霊が宿っている人の大きな特徴は、知恵と知識、御霊をさらに求め続けることであって、
「これで充分、大丈夫」という思いはサタンから来るものです。

「ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった」ルカ3:40
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覚悟

2019-09-25 10:18:27 | 福音について
「覚悟で心の武装をしなさい、肉において苦しんだ人はそれによって罪から逃れた」1ペテロ4:1

この世で人はなぜ苦しまなければならないのでしょうか。
苦しみがもたらされるのを見るときに、理不尽に思えることがあります。
苦しむことに何の得があるのでしょうか。

「自分の十字架を負うて、わたしに従って来なさい」マタイ16:24
多くの人が平安と喜びを福音を求めているのに、
キリストに従うために苦しまなければならないのはなぜでしょうか。

「わたしの名のために…どんなに苦しまなければならないかを…」使徒9:16
この世の苦しみが罪から清められるために必要であることが信じられるでしょうか。
主に従うことを望むすべての人に覚悟が必要であることを受け入れられるでしょうか。

「主が与え、主が取られたのだ、主の御名は誉むべきかな」ヨブ1:21
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愛のある家庭に

2019-09-25 10:12:58 | 今日の一言
愛のある家庭に無いものは〇〇
愛のある家庭に在るものは〇〇



思い付くものを当てはめてみてください。
おそらく、どの答えも正解だと思います。
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2019-09-23 06:20:51 | 福音について
「主を仰ぎ見て光を得よ、そうすればあなたがたは恥じて顔を赤くすることはない」詩篇34:5

ある女の子から質問されました。「天国ではどんな顔なんですか。この顔嫌いだから」
誰でも、どんな人でも、素敵な表情を見せるときがあります。
目が大きいとか小さいなどとか、つくりに関係なく、とても素敵な心からの笑顔です。

笑顔の練習をしたことがあります。
鏡を見ながら、口角を上げて、目の表情を造って…それは良いことだと思います。
ただし、それが仮面のように心を隠してしまうようになることもあります。

悩みを抱えた人と話し合う時、相手に笑顔が見えると安心を覚えます。
ところがそこに「作り笑顔」を感じると、逆に不安になります。
心を仮面によって隠そうとしているのではないかと感じるのです。

天国では誰もが「恥じることのない真心からの素敵な笑顔」で過ごすと信じています。
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安息日

2019-09-22 06:43:03 | 福音について
「安息日を守ってこれを汚さず…悪しきことをせず…固く守る人…は幸いである」イザヤ56:2

「あなたがたはこの世では悩みがある」ヨハネ16:33
安息日は「この世の悩み」から離れて、主のもとに行き、休むために与えられました。
主の御霊と救い、贖いを受けるために、主はこの日を備えました。

「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」マルコ2:27
安息日は本来「何かをしてはならない」とか、「何かをしなければならない」という日ではなく、
「主と共にありたいと望む人のため」の日です。

安息日は霊に集中するので、霊的にはとても疲れます。
しかしそれは霊的な喜びであり、喜びが大きすぎるための疲れであるはずです。
幼い子どもが遊びに夢中になりすぎて疲れ果てるのとよく似ています。

「安息日を喜びの日と呼び…」イザヤ58:13
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