モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

足りないこと

2019-09-29 18:38:09 | 福音について
「イエスは彼に目を留め、慈しんで言われた、あなたに足りないことが一つある」マルコ10:21

「彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」マルコ10:22
主は「彼に目を留め、慈しん」だ上で、「さらに主に近づくためのステップ」を勧めたのに、
彼はそれを喜ばず、悲しみ、立ち去ってしまいました。

「足りないことが一つある」常にこの言葉を言われてきました。
その一つをクリアすると「もう一つある」と言われるのです。
「足りないこと」の一つひとつは、成長し、主に近づくための階段のようなものです。

人が成長して力を得たときに、主は「次のステップを上るように」と勧めます。
そのステップを上るときに主に近づくことができるし、上ることができるという主の保証も、
さらには主の後押しもあるのですから、それは悲しむことではなく、むしろ喜びであるはずです。

福音の中で生活をする目的はここにあるはずなのですが。
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愚かさ

2019-09-29 07:25:33 | 今日の一言
自分の愚かさを認めることは
自身に助けをもたらす



自分の愚かさに気付いたとき心は落ち込みますが、
それは愚かなことを繰り返さないための助けとなります。
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憤り

2019-09-29 06:32:13 | 福音について
「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46

御霊が去ったときにわたしたちは同様の経験をします。
罪に抵抗する力が失われ、サタンの誘惑にいとも簡単に屈してしまうとき、
御霊の助けが得られていないことを悟らずにはいられません。

「憤り」は高慢から生まれ、そのときに主から顔を背けてしまうことがあります。
たとえそれが「その瞬間には自分で気づかない」ほどに小さなものであっても、
自分の心を吟味するなら、御霊の力が薄れていることが分かります。

「憤り」とは内に秘めた感情であり、それが表に現れたとき「怒り」となります。
憤りは、敵意、争い、分裂、妬み、憎しみを引き起こし、人を罪に導くサタンの誘惑です。
その感情に正当な理由があったとしても、これらが人に幸せをもたらすことは決してありません。

憤りは御霊を去らせ、人は神の平安と愛、守りを見失い、人を罪に陥れます。
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