モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 10月16日

2023-10-16 05:44:38 | 総大会
「主を覚えるとどんなことがありますか?」

主の愛を感じているときに
苦虫をつぶしたような顔があると思いますか。
不平や不満はあるでしょうか。
苛立ちや怒りはどうでしょう。

優しく穏やかで親切な振る舞いがあると思いますか。
喜びや笑顔はあるでしょうか。
寛容や平安、善意はどうでしょう。

主を忘れているときと覚えているとき、
心には明らかな違いがあります。
わたしが単純だからでしょうか。
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総大会 10月15日

2023-10-15 06:07:43 | 総大会
「どうすれば主を覚えることができますか?」

愛の大きさ、深さを測るにはどうすればいいのでしょうか。
もしかするとそれほど難しいことではないかもしれません。

愛が大きく深いほどに思い出す頻度が増えるような気がします。
「一時も忘れることができない」なんて聞くこともありますよね。

主を愛していますか。
それなら主とその教えをことある毎に思い起こすことでしょう。
いつも心の中にあるからです。

そんな人は「主を覚えなくては」なんて思っていないでしょう。
主を忘れることができないからです。
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総大会 10月14日

2023-10-14 05:50:31 | 総大会
「気付くことで何が変わりますか?」

職場での出来事です。
ひとりの機嫌の悪い人がいました。
おかげで空気がピリピリしています。
周りがその人の気分に反応しているからです。

「そんなときにはどうすれば?」
お互いがそのことに気付けばいいのです。
良心があれば改めようとするでしょう。
その意識だけで空気は変わります。
そう思いませんか?

教会であればもっと簡単ですね。
主の愛を思い起こすだけで、その場の空気は和みます。
「主を覚える」とはそういうことではありませんか。

わたしたちは気付いているでしょうか。
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総大会 10月13日

2023-10-13 05:51:47 | 総大会
「地道でさりげなく、ほとんど気付かれることのない支えのおかげで…祝福を…享受することができ…ます」
(自分の義務の道にある べドナー長老)

「わたしは何の役にも立っていない」
社会の中で、教会で、家庭で、
そんな誤解している人があります。
そんな人はきっと、誰かの祝福に
なっていることに気付いていないと思います。

「誰かって誰ですか?」
キリストの愛に気付けば、
その人は主にとっての祝福になります。
主がその人のことを喜ぶからです。
それはその人自身にとっても祝福となり、
多くの人にとっての祝福となります。
大切なのは気付くことだと思います。

多くの人が経験して、知っています。
…ですよね w
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総大会 10月12日

2023-10-12 05:50:50 | 総大会
「自分の義務の道」
(自分の義務の道にある べドナー長老)

義務とは「当然行わなければならないこと」です。
安息日に教会に集うのは教会員の義務です。

強制とは「無理やり行わせること」です。
「教会員なのだから教会に行きなさい」
それって強制になっているかもしれません。

教会員としての義務は主の定めたことです。
しかし強制は主の方法ではありません。
自由意思は不変の原則です。
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