モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 3月6日

2024-03-06 06:04:19 | 総大会
「ここに来るのが好きなのは、みなさんが…イエス・キリストについて話すからです。」
(言葉と行いでイエス・キリストを証する パレーラ長老)

イエス・キリストについて話すとき、心が優しくなるような気がします。
それは主を思い起こすからなのでしょうか。

主の前にふさわしく振舞いたくなります。
御霊の影響なのでしょうか。

心地よいひとときです。
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総大会 3月5日

2024-03-05 06:04:26 | 総大会
「救い主の御名を受けるということには、行いと言葉を通して周りの人々にイエスがキリストであられることを宣言し、証することが含まれます」
(言葉と行いでイエス・キリストを証する パレーラ長老)

イエスがキリストであることを証するためにはいつも「キリストが…」と言わなければならないのでしょうか。
気の弱いわたしにはできそうにありません。

福音が教えているように‟優しい行いと思いやりの言葉”で主を証したいと思います。
簡単とは言いませんが、それなら少しくらいはできそうです。
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総大会 3月4日

2024-03-04 06:07:52 | 総大会
「今いる場所から始めましょう」
(聖約によるキリストとのつながりをもって歩む フリーマン姉妹)

福音は理想論です。
理想を語り合うのは良いことです。
それは夢と希望を与えてくれます。

ただ、時々心配になることがあります。
その理想は現実とつながっているでしょうか。
もしも現実とかけ離れたところにあるとしたら、「絵に描いた餅」になっているかもしれません。

理想と現実がつながりを持つとき、理想はわたしたちの心を引き上げてくれる大きな力になります。
そのためには「今いる場所から始め」ることが必要かもしれません。
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総大会 3月3日

2024-03-03 07:01:36 | 総大会
「これらの深遠で個人的な問題に対する答えは、一人ひとりが見出さなければならないでしょう」
(聖約によるキリストとのつながりをもって歩む フリーマン姉妹)

福音に出会ったとき、宣教師の証を信じました。
教会員の証に頼りました。

「人ではなく、神を見て信仰してください」
繰り返しそう教えられました。
意味が分かりませんでした。
神を見ることができなかったからです。

人の弱さが見えたとき、信仰は揺らぎました。
教会を信用できず、福音を疑うようになったのです。

だれかがこんな話をしていました。
「自分自身の証を得なければ、いずれ限界が訪れます」
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総大会 3月2日

2024-03-02 06:09:53 | 総大会
「わたしたちを…導くのは道そのものではなく…救い主…であることを覚えておかなければなりません」
(聖約によるキリストとのつながりをもって歩む フリーマン姉妹)

モルモン書は福音の道を指し示します。
それは事実だと思います。

では、モルモン書があれば福音の道を歩むことができるのでしょうか。
たとえ優れた知恵と理解力があったとしても、それだけでは難しいように思えます。

少なくとも知恵も理解力もないわたしには無理でしょうね。
主に頼る信仰と、それによって与えられる御霊の助けが必要です。

「誰かが手引きしてくれなければ、どうして分かりましょう」使徒行伝8:31
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