モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 3月11日

2024-03-11 06:03:11 | 総大会
「たとえ地獄…が…あなたを吞み込もうとしても…これらのことは…経験を与え…益となる」
(キリストに穏やかに従う人 クック長老)

わたしの場合、ジョセフの経験とはずいぶんかけ離れた話になります。

その入り口から恐ろしい光景が見えるなら誰もそこから入ろうとしないでしょうね。
サタンの誘惑は魅惑的です。
興味本位で覗いてみると、多くの人で賑わいでいて、なんだか面白そうです。
分別のある人から「近づいてはいけない」と教えられていても、そこまでなら大丈夫そうに見えます。
そんな入り口の景色がその奥にあるものを隠して見えなくしているのでしょうね。

一度経験してしまうと、その誘惑を忘れるのは容易いことではありません。
今も苦労しています。
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総大会 3月10日

2024-03-10 07:27:20 | 総大会
「わたしたちの素晴らしい行く末は逆境に遭っても変わりません」
(キリストに穏やかに従う人 クック長老)

試練は何のために与えられるのでしょうか。

「その人の信仰を試すため」という説がありますが、ちょっと疑問を感じます。
そんなことをしなくても神はその人の信仰を知っているはずですよね。
もしかすると、その人本人の成長のためではないのでしょうか。

わたしの人生の転機はいつも試練でした。
自分の信仰を確認し、主の助けと導きに気付き、主を信頼することを学ぶ機会になったように思います。
思いの方向が修正され、より良いものを知り、生き様に変化が生じたように思います。

ジョセフの人生はどのようなものだったのでしょうか。
本人にしか分からないことの方が多いのでしょうが、つい考えてしまいます。
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総大会 3月9日

2024-03-09 05:59:33 | 総大会
「主に従うのは決して簡単なことではありません」
(キリストに穏やかに従う人 クック長老)

穏やかで平安に恵まれた日々、主に従うことは難しくないと思えました。

問題が起こりました。
平安は失われ、生まれながらの自分が心を支配します。
「主に従う?今はそれどころじゃない!」なんて…

そんな信仰の試しを何度も受けました。
きっとこの先にもあるのでしょうね。
その度に覚悟が足りていないことを知ります。
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総大会 3月8日

2024-03-08 18:10:49 | 総大会
「わたしたちは…彼らを試し…神が命じられるすべてのことを彼らが為すかどうかを見よう」
(キリストに穏やかに従う人 クック長老)

神はどのようなことを命じるのでしょう。
特別なことでしょうか。

いえ、ごく普通のことだと思います。
心身ともに健やかで、争いの心を持たず、穏やかに暮らすように、家族を大切にし愛情をもって子供を育てるように…、そんなところでしょうか。

すべての人がそのために努力を惜しまなければ、この世は天の国のようになるでしょうね。
そう思いませんか。
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総大会 3月7日

2024-03-07 06:03:45 | 総大会
「彼は…信仰をわたしたちに押し付けたことがありません」
(言葉と行いでイエス・キリストを証する パレーラ長老)

福音を宣べ伝えようとするときに、押しつけになってしまうことがあります。
「あなたのためなんだから、聞きなさい!」
そんな雰囲気に聞こえているかもしれません。

主を信じている者同士で福音について語り合うのはどうでしょうか。
「それって何?」と思う気持ちがあれば自然に聞いているものです。
そしてどのような行いをするか見ていると思います。

もっとも簡単な、もっとも効果的な方法に思えます。
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