rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

市長をリコールすると地方の医療崩壊が防げるのか

2009-03-12 19:08:00 | 医療
銚子市では市立病院の休止を決めた市長をリコールする動きがニュースになっています。岩手県では県立病院のベッドを休止するための予算成立のために議会で知事が土下座をする様子が報じられました。昨日茨城県では医師不足のために存立が危ぶまれる病院の統廃合を県が市町村に勧告する事態が起こりました。存立が危ぶまれる筑西市民病院は20名以上いた常勤医師が現在5名に減少し、160床のベッドが60床になり、実質稼働40前後という状況と言います。同院の事務長は市議会で医師確保の努力の状況を説明してまわり、何とか存続できるよう四苦八苦しているようです。

「日本の医療問題は詰まる所経済問題である」ことは前に説明した通りであり、日本の医療費を1.5倍にすれば医療問題は解決します。ただし現在都市部で問題になっている医療崩壊と地方で問題になっている医療崩壊は内容がやや異なります。都市部では病院の質が維持できないことが問題なのですが、地方では病院そのものが消失してしまっているのです。そこには新研修医制度導入によって医局制度を崩壊させたことによる医師不足も原因になっています。

「いわゆる医師不足」=「安い給料でリスクの高い医療を行う勤務医の不足」であることも前に説明しました。大学病院や都市部の基幹病院では負担が増えるばかりで給与は開業医の半分以下、神業のような医療を行っても上手くいって当たり前、いかなければ犯罪者にされる医療の現状に嫌気がさして働き盛りの医師達が次々と戦列を離れ開業しています(立ち去り型サボタージュ)。大学は業務を維持するために今まで地方に大学から派遣していた医師達を次々と呼び戻しています。大学の医局というのはある程度適正な人事配置をするための強制機関としての役割を果たしていたので、将来より良いポジションで働けることを条件に本人の希望しない地方の病院にも医師達が派遣されていました。新研修医制度の導入によって特に地方の大学病院に若い医師が入局しなくなり、医師が引き揚げた後の地方病院に代わりの医師を派遣することが物理的にできなくなりました。結果として地方の病院は医師がいなくなり、存続できなくなったのです。市長や事務長の問題ではありません。

大学の医局制度は「罪」もありましたが、医師の適正配置や医療技術の均等化といった面では長年の経験で培われた「功」の面も多々ありました。新研修医制度は「罪」を取り除くために導入されましたが、医局制度の「功」の部分を補う方法については一切考慮されませんでした。「これはえらいことになるな。」と我々は導入前に100%予想される今日の姿に暗澹たるものを感じたのですが、我々の意見など全く聞かれる事もなく、既成事実として新制度は導入されました。「アメリカでやっているから」というのが理由でした。

フランスでは勤務医の収入は開業医よりも高額です。ドイツでは開業医の定数が決まっていて自由に開業はできず、また多くの義務が課せられています。ブレア時代に医療費を倍増したイギリスでは行政が病院を含めた医師の配置を決めます。医療崩壊が目前に迫ってやっと今、日本では行政が「どうしようか」と考え始めました。

市長をリコールすることで地方の医療崩壊は防げるでしょうか。
コメント (2)
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