世の中はAPECで野田総理が参加を表明すると言われているTPPについて賛否両論激しく戦われています。世間が騒ぎ出す前にさっさと参加することにしてしまえば良い、という政府の読みだったようですが、TPPが及ぼす影響があまりに広い分野に渡るために懸念を表明する言論人が増えてそれがインターネットを中心に広がり政府やメディアも無視できない状態になりました。
日本医師会も正式にTPP参加反対を早くから表明しています。その主旨は「国民皆保険制度を守るため」ということになっています。私の個人的意見はTPP参加反対です。「アメリカ様の機嫌を損ねるといけないから入れと言われているから入ろうよ」と積極的ではないながらも「TPP参加やむなし派」の人もいるようですが、「今は震災復興と原発問題の見通しが立たないので国論を二分するTPP問題はもう少し待ってくれ」と言えばこれだけの大惨事ですからアメリカも人道上絶対駄目とは言えないはずです。またせめてそれくらいの交渉力がなければ参加表明したとたんに全ての問題をアメリカに都合が良いように押し切られておしまい、という結末が見えています。
多くのTPP反対論者が指摘しているTPPの危険は、これが各国の民主主義制度を否定し、各国国民の総意で決めた社会制度や法律を外国の一企業の利潤追求のために変えさせられる可能性(ISD条項)があることです。つまりTPPは国家間の取り決めのようで実は「国家vs(グローバルな)資本家」の取り決めでしかないのです。現在のアメリカ政府の主な役職を占める人達はグローバル企業や財閥の重役ばかりですから、アメリカ政府が言ってくることは全てグローバル企業に都合がよいことばかりです。現在のアメリカが本当にアメリカ国民のための社会であったならば、米国があのように貧富の差が激しい格差社会になることはなかったでしょう。アメリカが目指すのは全世界を現在のアメリカのような格差社会にすることでしかありません。TPPはアメリカの一般庶民にとっても何の利益もないものですから日本が今は駄目ですといっても一般のアメリカ国民が怒ることはありません。
反TPP論に反対する経済学者達も活発にメディアに登場するのですが、この人達が滑稽であるのはTPPを関税に関することだけに矮小化し、輸出入が増えて経済が活発になる(実際は輸入が増えるだけですが)=国民生活が豊かになると短絡してみせることです。「物価が安くなる=国民が豊かになる」ではない事は経済の初歩の初歩。「通貨の価値が下らずに国民全体の所得が上がる」ならばそれは国民が豊かになると言っても良いでしょう。「給料の安い人達に労働をさせた結果、物の価格が安くなって、それを給料の高い人達が消費する」という形の豊かさというのは「奴隷に労働をさせて市民は豊かに暮らす」という西欧の古代(ギリシャやローマ)からの社会構造にそった考え方であって、奴隷が皆市民に格上げされてしまったら成り立たない図式です。そのためには奴隷は永久に奴隷でありつづけなければその社会は成り立ちません。現在の社会に当てはめれば勝ち組は永久に勝ち組でありつづけなければ、安い労働で働かせて得た物を安く消費しつづけることができなくなるという図式です。以前「日本の格差が少ない社会は上に立つ者が滅私奉公の精神で楽をせず働いてきたからこそ成り立ってきたのだ」という論を書きましたが、日本社会が今まで均一で暴動や物騒な事件が少なく済んできたのは長い間培われたそのような倫理観による所が大きいと感じます。欧州にもノブリスオブリージュという似たような思想がありますが、そのような古い構造を捨てて強い者が勝ってアメリカンドリームを掴めば良いとして成立したのが米国だったのでしょう。
それぞれの国、社会には長い歴史の試行錯誤のなかで作られたその国や民族にあった社会制度や法律があり、それは軽々しく変えないことがその国の人々にとっては幸福であることが多々あります。それが米国的グローバリズムにそぐわないからといって無理やり変えてしまえ、というのは「傲慢」の一言に尽きます。日本の国民皆保険も様々な問題はありますが、これをぶち壊してアメリカ式の民間保険制度にすれば諸問題が解決して日本の医療が良くなるということは100%ありません。贅沢医療である予防医療は保険適応から外しても良いと感じますが、本当に困った時の急性期医療や難病は国民あまねく保険医療の対象であることを堅持し、急性期医療や難病に従事する医療者を優遇すれば現在の医療問題の多くは解決します(急性期医療に従事しない開業医は病院勤務医に帰るべし)。
前にも書きましたが、現在でも派遣を切られてしまうからという理由で早く病院に受診していれば治っていた癌が手遅れになるという事例が増えています。ここ1−2年で数例40台から50台の同じ理由で手遅れになった癌患者さんを経験しました。結局働けなくなって入院して、職も失い、生活保護になって医療費は心配なくなるのですが、2−3ヶ月で癌死という結末になります。国民皆保険がなくなるとこのような患者が著増することが目に見えています。アメリカでは3億人のうち4千万人以上が無保険、アメリカの破産理由の第一は医療費という現実からみて皆保険をなくすことで日本人が幸せになるとはとても思えません。
さて、そうは言っても「TPP参加は既成事実」となってしまいそうな勢いです。民主主義の国では真に危急の場合以外は国論を二分するような重大事に拙速な結論を出すということはあってはならないのですが、日本は民主主義国家ではないので真っ先に「拙速な結論」に対して「駄目だし」をするはずのマスコミが参加賛成の論陣を張ってしまっています。「バスに乗り遅れるな」といって慌てて乗ったバスが地獄行きだったのが日独伊三国同盟だったのですが、また慌てて乗ろうとしているバスは地獄行きではないのか、まるでこれが最終バスであるかのような論調がありますが、二つ三つバスをやり過ごしてから何処に行くバスか見極める方が私は良いと思います。