rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

目に見える独裁と見えない独裁

2011-11-29 20:22:04 | 政治

大阪のW選挙は橋下元知事達のグループが圧勝したことで、現状の権力構造を変えないで欲しいと願って反橋下派を応援した既成政党やマスコミは戦々恐々としているようです。「民主主義の暴走」とか「橋下独裁体制の危険」とかまるで飛んでもない事を起こそうとしているかのごとく危機感をあおり立てます。

 

橋下氏の思想信条は私に近いものがあるからかも知れませんが、私は彼はよくやっていると評価しています。あれだけ正論を堂々と主張されるとインテリ趣味で反日や弱者の味方を気取っている諸兄は反発を覚えるでしょうし、利権を否定されれば怒りを覚えるでしょう。ただし内田樹氏が主張するように教育に対する露骨で急峻な干渉というのは控えるべきだと私も思います。ゆとり教育の際も急激な教育内容の変化によって現場も子供たちも混乱して結局悪い結果しか生みませんでしたから。

 

橋下氏のやや強引な政治手法を「独裁」という言葉で批判するマスコミが多いのですが、私は独裁の指揮を執っているのが彼であることが明らかなだけ良いのではないかと考えます。まして民主主義的選挙によってはっきりと民意を問うた上で自分の主張を通すのですから基本的に問題はないと思います。一番いけないのは「目に見えない独裁」です。

 

日本国民は鳩山・小沢体制、やや中国より、官僚独裁の否定、というマニフェストを選挙によって選びました。しかし、首相はその後勝手に2回も変り、選挙の際には影も形もなかったTPPに民意を問わずに参加を勝手に決め、増税も既定の事実となり、官僚独裁はむしろ強められています。選挙を経ずにこのように国民の生活、国家の方針にかかわる事態を決めてゆく事は民主主義の否定であり「独裁」(国民の目に見えない奴が勝手にいろいろ決めている)ではないでしょうか。勝手に決まってゆく種々の事態に対して、我々国民は誰を批難して良いのか解りません。官僚?マスコミ?アメリカ?自分の言葉で話さない首相?一体誰を批難すれば良いのでしょう。

 

ヒトラーも始めは選挙で選ばれたのだ、という批判はありますが、日本の戦前は国民が選挙で選んだ指導者が独裁体制をとって戦争に進んでいった訳ではありません。むしろ戦争に向かうニューマ(空気)とも呼ぶべき、個人では否定することができない「目に見えない独裁体制」によって日中戦争や太平洋戦争に突入していったことを忘れてはいけません。選挙によって民意が確認され、目に見える独裁によって事が進んでゆく方がよほど安全安心と言えます。問題があれば次の選挙でその人を選ばなければ良いのですから。

 

勿論選挙で常に正しい選択がされるとは限りませんが、民主主義を否定して哲人政治が良いとするならば、堂々とその旨を主張して憲法を変えればよいではないですか。マスコミでそこまで主張している人を見た事がありません。橋下氏の批判をする前に日本は「目に見えない独裁」からまず開放されるべきです。

 

 

コメント
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