前回の書評 「おどろきの中国」で、文革であれほど資本主義を嫌っておきながらあっさりと改革開放・拝金主義になった心理的構造がどういうものかという視点で読んだことを書きましたが、「文革と改革開放は一連の物」という面白い視点はあったものの明確な答えはなかったように思います。ただ、文化大革命で中国的な有形無形の古い伝統を紅衛兵という伝統を知らない少年少女達の世代に破壊させたことは、次の改革解放に中国全体が伝統にとらわれずに進むことの抵抗をなくした、つまり社会のキャンバスが真っ白になった所で資本主義、拝金主義の絵を自由に書き込む下地ができた、という分析は正しいように思いました。
日本においても維新前の動乱期には幕府の外圧による開国政策に対して強行な攘夷思想を掲げる志士達が倒幕運動を進めましたが、一度維新が達成されると積極的な開国西洋化がなされました。この転換にさして心理的抵抗が起こらなかった理由は、結局「攘夷」は本当に外国人が憎かったのではなく、倒幕のための方便でしかなかったということだと思われます。倒幕の中核となったのは関ヶ原以前から土着であった「下士」といわれる徳川体制では虐げられてきた武士達であり、尊王をかかげることで権威の後ろ盾を持ち、攘夷という反幕政のスローガンでまとまることができたというだけで、維新後に西南の役のような燻った状態もありましたが、庶民を含めて多くの人達はすんなり開国・西洋化を受け入れてしまったのでしょう。
中国も共産党政権ができる前の状態は、西欧列強と遅れて乗り込んだ日本に酷い目にあっていたとは言え、特に中国社会で資本主義が発達して、その搾取で多くの民衆が苦しんでいたという訳ではなく、国民党が都市部を中心に勢力を固めたのに対して、共産党は農村に入り込んで土地を農民に解放し(その後公社化しますが)、食料を確保して行く事で勢力をのばした背景があるにすぎないのであって、特別反資本主義をかかげるマルクス主義が選ばれた結果、共産党政権ができた訳ではなかったはずです。だから文化大革命で走資派とされて迫害された人達も「資本主義の権化として散々民衆を苦しめたから」というよりも「党の幹部」であったり、「中国の伝統や社会における権威」であったりしただけの理由で迫害されただけです。そういった点で10年に及ぶ文革で社会が破壊されて白いキャンバスになった時、日本における維新後と同様に「諸外国に追いつくためにどうするか」を問われた時に、「手っ取り早く資本主義・拝金主義を導入しましょう」という結論になったのは自然だったかも知れません。
ところで、中国の人達が倫理的に善悪を決める基準が何かは、「おどろきの中国」には明確には書かれていませんでしたが、私の想像としては、やはり「自分が生きのびること」を基準として、幇と呼ばれる自分の属する集合体の利益を優先することが善悪の基準になっているように思われます。社会の法や規則は幇のもう一つ外側にあって、幇の規範に反しない限り守られるというもののように見えます。近代的な国民国家に住む人達が抱いているのと同様な、「中華民族の国家」という意味での「愛国心をもとにした精神」が倫理的な善悪を決める基準になっているかというと、政府としては大いにその方向に持って行きたい所でしょうが、民衆の側としてはまだ十分とは言えないように感じます。外国に出て「中国人」としてひとくくりにされるとナショナリズムをむき出しにするように見える中国人ですが、まわりが全て中国人とう状況の中ではお互いを同じ国民として信頼し合う事はなく、幇や同郷といったくくりの方が依然として遥かに重要なタームになっているように見えます。この事についてはまた勉強を続けたいと思います。