2019年の年頭にNHKBSで昨年放送された「欲望の資本主義2018」と2019年版が放送されました。NHKはニュースメディアとしてレベルの低さに失望することも多いのですが、時々クオリティの高い番組を制作してくれるので視聴料もまあ無駄ではないか、と思わせてくれます。この番組は内容も良く練られており、考えさせられる良い番組でした。それぞれが2時間の番組枠で、単行本のように10位の章にテーマ分けされて製作されているのですが、それぞれの章が興味深く、見終わったところで「さあ、どのようにまとめとして感想が書けるか」というとそれが非常に難しい。他の方の本番組の感想を記したブログなども覗いてみたのですが、なかなかすっきりとまとめて記されているものがなく、それだけに内容が多彩で一言で表しにくいのだろうと思いました。そこでrakitarouなりに少し時間を置いて考えをまとめた内容を番組構成から離れるところもありますが、記しておきたいと思います。
「テーマ」
まず両編に共通するテーマは「歴史的に社会主義に勝ったはずの資本主義が実感としてうまく行ってないように見えるのはなぜか」という問題です。
本来人類全ての人、社会にあまねく恩恵が与えられるはずのシステムが、富の一極集中をもたらし、リーマンショックのようなカタストロフィをもたらす。経済は無限に成長するはずなのに「貨幣」がいくら増えても「実体経済」は成長せず、貨幣は信用部分も含めて一部の人や組織に集中して滞留する。これは資本主義という原理原則の問題なのか、はたまたそれを運用する「人間」の問題なのか、という「問い」に基づいて番組が進んでゆきます。
NHK番組のホームページから
「マクロ経済学(学問)」としての資本主義に欠陥があるのか
番組ではアダム・スミス、ケインズ、ハイエクなどの現代資本主義の元になった経済学者達の理論、アンチテーゼとしてのマルクスの理論などを簡単に紹介しますが、個々の細かい議論はせず、「専門家」とされる人達の現在の経済との比較における評論が紹介されるのですが、特に市場原理主義を推奨したシカゴ学派のハイエクの理論が現在の金満資本主義経済では「都合よく乗っ取られている」というチェコの経済学者トーマス・セドラチェク氏の話が興味深く感じました。つまり本来のハイエクの理論では全ての人が「自由」でなければ市場原理主義は理想的な状態で成り立たないのに、現在は「金と力がある人や組織」にとっては「自由」が謳歌されているが、力がない人にとっては「自由」がない、これは本来のハイエクの理論とは異なる、というものです。
TPPは自由貿易協定といいながら、各国がそれぞれの国内事情で「自由」に貿易を調整する事に対して制限を課します。今回改定された種子法は国内の農家が自由に自分達が使う種子を育てることを禁じます。このような各人の「自由」を制限する制度が「自由貿易」や「市場原理主義」ではありえないのです。
資本主義は対立する外部(社会主義)がないと健全に成長しない
これは社会主義崩壊後たびたび提唱されていたことで、労働者階級の力を示す「労組」が力を失ってから資本家が己の欲望どおりに権力を使うようになり、却って資本主義の健全な成長(全ての人に恩恵を行き渡らせて経済を成長させる)ができなくなっている状態です。
帝国は内部から崩壊する
リーマンショックにも代表されますが、抑制が効かなくなった金満資本主義は、大きすぎる帝国が内部から崩壊(ローマ帝国とか)する様にどこかで崩壊するかもしれない。その兆しは徐々に見えてきているように思います。
Googleは神である
うまい表現です。判らない事、困った事があればGoogleに聞けば大抵解決する世の中になりました。これはGoogleが神化したとも言えます。電気のon offや気温管理もGoogleにお願いするなどというのは気が狂っているとしか思えません。他のGAFAもamazonは商業の神、Facebookは交流の神、Appleはトレンドや流行「イケテル」を象徴する神として既に世界を支配しています。これらの巨大資本は新しい有力な対抗馬が出そうになるとM&Aで吸収合併し、より大きくなって市場独占を維持し、自由な競争を許しません。自由な競争がないところに健全な資本主義は育たないというのが根本理論だったはずです。
売買の原則
物(サービスも)を売る人は、自分の持つ商品が購買者が払う金よりも価値が低い(貨幣の価値の方が高い)から売ります。一方で物を買う人は自分の払う金よりも相手の持つ物(サービス)の価値が高いと考えるから買うのであって、両者の関係はwin-winになるはずです。客が神などとという一方的な関係ではなくて、「売ってくれてありがとう。」「買ってくれてありがとう。」が本来の売買の姿なのです。貿易も石油はあるけど野菜がない国と野菜は沢山できるけど石油が取れない国がお互いに有り余る物を交換する所に交易の本来の姿があるのです。この「本来の姿を失った売買や交易は辞める」というのが一つの解決策だと言う主張はもっともだと思います。
「欲望の資本主義」
この番組の題名は良く考えられていると思います。学問としての資本主義は恐らく瑕疵がないものなのだと思います。しかし現実の社会でそこに「人間の欲」がからむと「自由な競争」や「売買の原則」よりも「独占」や「他人に制限を加える」ことが行われるようになり、理論どおりにはうまく働かなくなる、ということを暗示した題名ではないでしょうか。資本主義が欲望をなくして成立するのか、個人の自由と言いながら国家が欲望の抑制に介入することは初歩的なアダム・スミスの理論にも矛盾しているようにも思いますが、結局欲望を放任してはうまく行かないという結論なのですから「欲望に制限を加える」事が我々現代人に課せられた至上命題であるように思います。番組で紹介されたBasic income(イタリアで成立したらしいですが)導入、相続税を85%にして物の所有は一代限りとする(元々命の所有も一代限りだし)というのも手です。また各コミュニティの事情で交易に制限を設けることを許す事も、「各人の自由の保証」に結果的にはつながり、大企業や力のある国の専横から守る大事な事柄であると思います。
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