杉咲花と花咲舞を区別しにくい。今田美桜と杉咲花は親しいそうだ。片品村の花咲ははなさくであってはなさきではない。写真は5月の3日の花咲の道の駅の裏手の空の鯉のぼりのののののの
道の駅で買った「さんしょ」を茹でて冷やして刻んだ。
部屋いっぱいに かおりがひろがる
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青木美希『なぜ日本は原発を止(や)められないのか?』の文字を途切れ途切れに追っている。うわあうわあと思いつつ。
その日武田砂鉄のプレ金ナイトで飯塚事件の話題が途切れ途切れに聞こえていた。真実が明かされると国がひっくり返ると言われたとかが漏れ聞こえた。国をひっくり返せる人が被害者本人に次いで冤罪被告人殺人まで犯してたぶんもしや今も国を動かしている?
それよりはかなり緩いところのあれやこれやで、偉い人が「法には触れていない」と威張って仰るのをどれほど見てきたか。
法には触れていないという釈明は大抵、違法すれすれやら歪曲やら、少なくとも人に顔向けしづらいことであるのは自明なはずだが、たぶんもしや立法司法は法律から権力者を守るためにあるか、など。
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半日後の加筆。
AI 的矢継ぎ早な AI 技術採用拡大とそれへの懐疑や不安がよく言われる。AI は AI として認識されようが、ヒトによるヒト同士の組織重層包囲攻撃的知性(?)はヒトに認識されぬまま、いずれ AI に利用される材となるや。前掲『なぜ日本は原発を止(や)められないのか?』p.185から p.190の政治家逡巡 (2020年10月) はその個人的正直さと相俟っての活写と映る。事実の前に死ぬ気がしないのなら防衛は要らない。
p.212 の福井地裁判決文抜粋 (2014年5月)。
(高裁にて逆転敗訴)
渾身。