遠鐘を退出し
手水鉢 心径苔生
を見つつ向かったのは
和風堂外観(鎖の間(建渓)側)
鎖の間(建渓)
古田織部考案の「鎖の間」。数寄屋と書院を繋ぐ役割を持つ場所で、数寄屋より広い場所を生かし、二畳敷の上段、書院床・袋棚には様々な道具を飾る事が出来る。
こちらでは濃茶を頂きました。
展示をいくつか紹介
砂張釣船花生(吉川経家より吉川元春へ)
大肩衝茶入(秀吉より吉川広家拝領)
芦屋釜「如水釜」(秀吉、黒田官兵衛より吉川広家へ)
砂張釣船花生は本当に吊ってあって驚きましたが、それ以上に驚いたのはそれぞれの所持者。
吉川経家、秀吉・黒田官兵衛といえば、これは鳥取城攻防戦で対峙した間柄。それが仲良く展示してあるのは意図したのかしていないのか・・・
続いて次の間の床には
俳句二首 吉川広家筆 偈 江月宗玩筆
祖父・毛利元就と兄・元長の命日に広家が詠んだものと、江月宗玩が広家十七回忌に書いたものを広家200回忌に合装して一軸し仕立てたもの。
祖父と兄があって父・元春がないのは・・・そこは察しておこう。
次の場所へ
敬慎斎
鎖の間とは廊下を挟んだところにある広間。
展示は上田家のもの
桜の和歌「登しを」 豊臣秀頼筆(初公開)
竹茶杓 古田織部作(加藤風庵(加藤清正家来)より)
こちらでは薄茶を頂きましたが、主茶碗は
高麗(御本)茶碗(浅野家伝来)
私が頂いたのは上田家の家紋である釘貫/三階菱を見込みに表した上田家ならではの茶碗(三島写)。
廊橋を渡って二階建ての書院屋敷へ
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