橋を渡って口之津歴史民俗資料館・海の資料館に行きました。
対向車が来たら恐くなる一車線の橋です。
海の資料館は、明治時代、三井石炭の海外輸出港として繁栄を極めた口之津の当時の資料や、「船員の町」として船員が海外で求めた民芸品を多く展示しています。
また古野電気の魚群探知機も展示されていて、なぜここに展示されているかと古野電気の創業者はこの辺りの出身だそうです。
歴史民族博物館は明治32年に開設された長崎税関口之津支署庁舎を使用しています。
この机は三井が引き上げる時に寄贈されたものです。
与論館です。
明治30年代に石炭荷役労働者としてやってきた与論島の人々の思いを伝える資料を展示しています。
歴史民族資料館で印象深かったことは”からゆきさん”のことでした。
からゆきさんとは海外に渡航した日本人女性のことで、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちでした。
彼女たちは斡旋業者、女衒により海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。
彼女たちの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地であり、その土地で亡くなって墓を立てたりしてる人もいた。
こういう悲しい歴史があったことは認識し、二度とこんなこと無いことを祈ります。
対向車が来たら恐くなる一車線の橋です。
海の資料館は、明治時代、三井石炭の海外輸出港として繁栄を極めた口之津の当時の資料や、「船員の町」として船員が海外で求めた民芸品を多く展示しています。
また古野電気の魚群探知機も展示されていて、なぜここに展示されているかと古野電気の創業者はこの辺りの出身だそうです。
歴史民族博物館は明治32年に開設された長崎税関口之津支署庁舎を使用しています。
この机は三井が引き上げる時に寄贈されたものです。
与論館です。
明治30年代に石炭荷役労働者としてやってきた与論島の人々の思いを伝える資料を展示しています。
歴史民族資料館で印象深かったことは”からゆきさん”のことでした。
からゆきさんとは海外に渡航した日本人女性のことで、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちでした。
彼女たちは斡旋業者、女衒により海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。
彼女たちの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地であり、その土地で亡くなって墓を立てたりしてる人もいた。
こういう悲しい歴史があったことは認識し、二度とこんなこと無いことを祈ります。