「グローバルな競争には規模がいる。戦略的なM&A(合併・買収)には非上場化が必要だった」
JSRのエリック・ジョンソン最高経営責任者(CEO)は日経ビジネスの取材に語気を強めた。同社は半導体の回路を母材のシリコンウエハーに転写するのに必要な感光材(フォトレジスト)大手で、先端品向けで世界シェア首位。
6月には政府系ファンドの産業革新投資機構(JIC)による1兆円規模の買収で非上場化を決めた。
非上場化には経済安全保障上、他国メーカーの買収の脅威から「国の宝」を守る狙いもあるとみられる。
JSRの株価は2023年の年初に約2600円と1年前に比べ約4割下落。業績は悪いわけではなかったが、中国などへの技術流出を防ぎつつ経営の効率化と再編準備のために、国に出資を持ちかけた。
「フォトレジストの再編を言っているなら、独り言で終わってほしい」。JSRのライバルである東京応化工業の種市順昭社長は8月、公の場でこうくぎを刺した。
この発言には、再編で統合が進めば、「市場のイノベーション(技術革新)が弱くなる」という意図がある。
東京応化は23年、フォトレジスト以外の事業を譲渡しほぼ専業となった。フォトレジストの道を究めようとする中で、他社からのアプローチには距離を置く。
再編劇は一筋縄ではいきそうにないが、JSRのジョンソンCEOは「圧力は強まっている」と強調。実際、JSRは21年、回路線幅5〜7ナノ(ナノは10億分の1)メートル以下の最先端半導体の製造に欠かせない「極端紫外線(EUV)」に対応したフォトレジストを手掛ける米インプリアを約450億円で買収している。
JSRの危機感の背景には、経済安保もからんだグローバル競争が日増しにし烈になっていることがある。日本にとって経済安保のカードである半導体材料の技術優位性とシェアが揺らげば、国益を損なう。
最新技術も宝の持ち腐れに
電子ビームで半導体の回路パターンが描画されたガラス製の原版「フォトマスク」。回路はそのマスクを通してシリコンウエハーに転写される。
大日本印刷(DNP)はマスク世界3強の一角を占めるが、DNPの中西稔執行役員は「大手3社でコップの中の争いをしている場合ではない」と危機感を募らせる。気がかりなのは中国メーカーだ。
今年に入り地場のQYマスクが28ナノ用のマスク供給を始めたとの情報が入った。歩留まりなど総合的な実力は未知数だが、DNPはかつてディスプレー用素材で中国勢から打撃を受けた苦い経験を持つ。
DNPはすでに中国・台湾で、米フォトロニクスと合弁事業を展開しており、提携拡大に踏み切る可能性もある。
もっとも最先端品では中国に大差をつける。25万本以上のビームを使い一気に回路を描画する「マルチビーム」技術で、23年、最先端の3ナノ用マスクを世界で初めて開発した。1〜2日かかっていた描画を10時間でこなせる。
だが、まだ大規模な量産品になっていない。なぜか。台湾積体電路製造(TSMC)など半導体大手が数ナノクラスの最先端品マスクを自ら内製しているからだ。
マスクは露光工程でチップの歩留まりも変わってくる生命線ともいえる技術。最先端品向けは自ら囲い込むことで競争力を守ろうとしている。
革新的な技術を生んでも、TSMCのように巨大化し、周辺技術も取り込むような存在を前にすれば、宝の持ち腐れになる。
DNPはキオクシアホールディングスやSTマイクロエレクトロニクス(スイス)を主要顧客に持つが、3ナノほどの微細回路を必要としていない。
規模のみならず最新技術でも障壁を作るTSMCなどに対し、サプライヤーが合従連衡する圧力はいやが応でも高まる。
追いかける中国勢
日本の半導体向け材料・装置は高い世界シェアを誇る。
KPMG FASの半導体専門メディアに基づく調査によると、日本の半導体材料の世界シェアは56%と2位台湾に42ポイントのKPMGの岡本准執行役員パートナーは「レガシー(旧世代)向け材料は中国の実力が伸びてくると考えられるが、先端部材では日本に大きな優位性がある。
複雑で高度なすり合わせは簡単にはまねできない」と説く。
中国勢も追いかけてくる中、再編や提携は現実味を増す。
もちろん勝ち残りの道はそうした「防御」だけではない。すり合わせ技術を突き詰め、自らの強みを磨き続けていく。そんな攻めのイノベーションで半導体大手に頼られる企業も出てきている。
フォトマスクの原板である「マスクブランクス」。これまで先端品ではHOYAと信越化学工業が世界シェアの過半を握っていたが、ここに彗星(すいせい)のごとく現れたのがAGC。先述したEUV技術を突破口に猛然とシェアを奪っている。
EUVの波長の短い光は極端に微細とあって、転写時に回路に欠陥が出やすい。
このためEUV用ブランクスは高純度な石英ガラス、それをマイクロ(マイクロは100万分の1)メートル単位で平たんに研磨するノウハウ、ガラス上の薄膜技術がそろわなければ使い物にならない。
AGCはHOYAと違い石英ガラスの製造から成膜まで三位一体、一貫して手掛けられる。例えばEUV用ブランクスは光を反射し過ぎても、吸収し過ぎても欠陥ができやすい。
だが、「(多層からなる)薄膜の絶妙な組み合わせや、材料組成の独自設計技術によってEUVならではの難しさをクリアしている」(鈴木氏)。基板の研磨も極小のキズがつきにくいノウハウを持つ。「そもそもキズが出にくい合成石英作りに一日の長がある」(鈴木氏)という。
市場参入は03年。元々持っていた合成石英の技術力を買われて米国有数の技術コンソーシアムに入った。難度の高さから一時は撤退ムードもあったが、EUVに食らいつかなければ活路はないと続行。
非連続のイノベーションをものにし、17年に量産を開始。TSMC、米インテルなどの3強に瞬く間に食い込んだ。EUV向けは先発組の信越化学はまだ開発できていない。
22年、福島県にあるブランクス子会社工場の生産能力を倍増したのもつかの間、足元では能力を3割増強中。一連の投資額は数百億円にも上る。すべてEUV向けだ。
最先端技術を競争軸に小が大を飲む群雄割拠の争いはほかにもある。
フォトマスクの検査装置で再びのしあがったのはレーザーテックだ。先述したようにマスクに微細な欠陥があると、それがシリコンウエハーに転写されてしまう。製造された半導体がすべて不良品になる場合もあり、欠陥を確実に見つけ出す検査装置が欠かせない。
2010年代前半、レーザーテックは業績低迷からの回復途上だったが、微細化の手段がEUVにシフトしそうな情勢をとらまえた。
その後、検査装置大手の米KLAテンコールに先駆けてEUV光源の装置を開発。レーザーテックのシェアは一時5%に沈んでいたが、今やKLAを尻目に独壇場を築いている。
売上高はこの10年で7倍超に達した。KLAは23年6月時点でもまだEUV光源を利用したマスク検査装置の開発に成功していないもようだ。
SCREENホールディングス子会社で半導体洗浄装置などを担うSCREENセミコンダクターソリューションズ(京都市)。同社は「枚葉式」というウエハーを1枚ずつ洗う洗浄装置で世界シェア40%弱と首位を独走する。
「最先端分野は顧客より先に課題を見付け、ソリューション提案しなければ業界をリードし続けられない」。
同社の杉本洋昭マーケティング部長はこう唱える。5〜7ナノメートルの先端品だとそれ以下のサイズのごみや不純物を取り除かなければならない。
同社は洗浄用薬液の温度や濃度、流し方や圧力をきめ細かく制御する技術でこの難題に対応。デファクトスタンダード(業界標準)を握っているとされる。
近年は微細化で回路の横幅が狭く、縦に高く伸びる構造になっている。洗浄する際、水の表面張力で高く伸びた回路材料が倒壊してしまうが、そうならないような独自の乾燥技術も開発した。
EUVにも対応し24年3月期は3期連続で過去最高の売上高、営業利益を更新する見通し。全国3工場で新増設の投資を進めており、24年3月期までの2年間で投資額は過去最大の560億円にもなる。
(日経ビジネス 上阪欣史)
[日経ビジネス電子版 2023年10月18日の記事を再構成]
日経記事 2023.11.20より引用